第百七十七話「なんかどこかで寝取られた感覚がする」「落ち着けバカ剣聖」
持っていた木刀が砕け散るのを見て男───『泰山公』イブキは、目を見開いて飛び退る。
「……ほう?」
木刀が砕け、折れるのは、これまで何度も見てきた。だから今さらその程度で驚くことはない。イブキが驚いたのは、初めて見たその壊れ方だった。
(彼の刀に触れた瞬間……木刀がまるで中身のないハリボテのように軽くなり、カラカラの老骨を踏み潰すが如く、容易く砕けた。はて、そのような力があるとは聞いておりませんが───)
イブキは地面に散らばる木刀の破片を見る。
(何度も見た破片そのもの。実際に中身が空洞になったわけではない、か。刀の、もしくは本人の能力。或いはさきの技によるもの……)
右手に意識を集中。わずかな輝きと共に現れるのは、イブキの背丈を越えるほどの大太刀。得物を両手で握りながら、目の前にいる若き剣士に目を向ける。
「く、うァ、あ……」
さっきまでの落ち着いた雰囲気はなく、顔の右半分が浅黒く変色しており、両目は漆黒のよう。赤い眼光を揺らめかせながら、刀を杖代わりにして苦しげに呻いている。
「だ、め……だ。違、う。こんなの、は……っ」
大きく肩を上下させて息を吐き、何度も頭を振る。
まるで何かを抑え込んでいるようだ。しかし、体の内側から溢れてくる、悪しき『気』は止まらない。腕を伝って刀へと流れている。
(なるほど、あの『気』が……)
イブキは木刀を砕いた原因がソレにあると理解する。知りたい。ソレがどれほどのものか。年老いてもなお消えぬ、この闘争心に背を押されるように、大太刀を振り上げる。
「ご安心召されよ。我のことは気にせず、その力を振るいなされ」
「で、も……っ!!」
「伊達に歳をとってはおりません。若者が苦しみ、その心に陰りがあるのなら、それを少しでも和らげて前へ踏み出せるよう支えることこそ我の役目。今はその力を発散させるのが先決です。さあ……」
「───すま、ま……せん……、ぐゥ……アァァッ!!」
彼が飛び上がる。魔力で強化したわけではない。それでも周りの木々を軽々と越えた。
「"百鬼夜行"・弐番───『鮮花唐傘』」
切っ先から悪しき『気』が溢れ、螺旋状に回転しながら刀身を覆い、落下しながらの鋭い突きを放つ。イブキは砕かれた木刀を一瞥し、受けではなく回避を選択。
「ハハハ、これはこれは……」
地面へ直撃した瞬間、それは大輪の花が咲くように鮮やかに、懐かしき故郷の傘のような美しい円形に、刀身を覆っていた『気』が炸裂する。
(貫かれていたら体が内側から吹き飛んでいましたな。それにしても、先の読み合いとは打って変わって、荒々しい攻撃的な『気』の流れをしている……)
迫る剣士に大太刀を振り下ろす。刀で受け止めると、火花を散らしながら刃を滑らせ懐まで潜り込み、鍔迫り合いに持ち込まれる。
「うゥゥゥゥ───ッ」
「そう、力を発露を抑え込むは欺瞞でしかない。たとえそれが認めたくないものだとしても、それは誰でもない貴殿の力です。振るわなくては意味がありませんぞ」
「ッ!! ……でも、僕は」
「その目、そして刃を交えれば分かります。貴殿がこの悪しき『気』に苛まれているのを。確かに嫌でありましょう、危険でありましょう。まるで内なる狂気の具現。ですが……フン───!!」
「ぐっ!?」
腰を入れての体当たりで剣士をはじき飛ばす。
「抱え続けるのもまた危険……。その刃がいつか、貴殿の隣にいる者を斬らないとは限りません。それは貴殿自身が一番良くお分かりのはず」
「それ、は……」
「その悪しき『気』を掌握とはいかずとも、上手く付き合う術を、今ここで会得するのです。その為にはやはり力を使って慣れるしか方法はありますまい。危険と判断したら止めます。意識を途切れないようにしながら、ひたすらに発散しなさい」
そう言って大太刀を担ぎ、不敵に笑みをうかべる。
「我が老骨、その程度では欠けも無し。老いぼれと甘く見るのであれば、この場で斬り伏せましょう。強くなりたいのなら、誰かを守りたいのなら、その力と向き合い、見事我の体に一刀打ち込んでみるがいい!!」
若き剣士は悪しき『気』に飲み込まれそうな意識を繋ぎ止め、大きく息を吐き、刀を握りしめる。
初対面のこの老人が只者ではないと初めから分かっていた。どこの誰かなんて、今はどうでもいい。この"百鬼夜行"を前にしてああも豪語するのだ、ここはそれに甘えて、なんとしても己という芯を確固たるものにしなければならない。
「さあ、来なさい!!」
■■■
暴走の特異変質。
それが僕───弟切 錬を苛む、この力の正体だ。
二度に渡る暴走の第一段階、邪悪の眼による狂乱、そして力の渇望、これらを経験したことにより『異法』はより激情を好むようになり、力を求めた僕に対し"百鬼夜行"という剣技を提示した。
つまり、暴走第一段階という状態そのものが、剣技へと変質したのだ。
古くから伝わる数多の妖怪の名を冠し、技それぞれに異なる性質を持つ剣技。相手を破滅することに重きを置いた殺人剣。
『───全テヲ斃セ、全テヲ滅セ───』
この衝動の赴くままに、身体も意識もそれに引っ張られる。もしこれに飲み込まれれば暴走の第二段階に陥り、言葉通りに何もかも斬り殺すだろう。
(……だけど剣技として確立しているなら、まだやりようはある)
剣技とは、単なる物理的な動作だけでなく、心・技・体の調和を重んじる武術の基本。"百鬼夜行"という技を振るうには、僕の心と体は不可欠。
前なら『激情にのまれ暴走の第一段階になり暴れる』ところを、これからは『理性がありつつこの剣技を扱う』という状態になる。
完全に暴走するまで一つ猶予ができたのだ。
(暴走の第一段階の姿になっても、理性は働いている。克服ではないにせよ、上手く扱えば、暴走による力を"百鬼夜行"へ還元できる……ッ)
やり方は『炎環ノ水月』と同じだ。
絶えず技を放ち、心が衝動に飲まれないようにする。
どんどん薪をくべて燃やして突き進みながら、その熱に浮かされて判断を誤らないよう、理性だけ氷のように冷たく、体の手綱を握る。まるで綱引きだ。
(衝動を効率的に消費するなら……威力の高い属性がいい、なら、やはり───)
「グゥゥ……アアァァァァ!!」
何度も斬り込んでは無傷であしらうあの老人から離れ、握り締めた『月夜祓』へ、黒く淀んだ悪しき『気』を一気に送り込み、その様を変えさせる。
「焔、ですか……それも紫炎とは」
あの老人がなんと言ってるか聞く余裕は無い。
穢れを孕んでいようが、それを燃やしきれるのなら構わない。今はとにかくこの力の流れに慣れ、扱い方を確かな物にしたい───!!
「暴走抑制剣技『炎環ノ水月』改め、暴走変質剣技"百鬼夜行"……その試しに、付き合って、くれますかッ」
「もうコツを掴んできましたか。ハハハ、最近の若者の成長には驚かされるばかりですな。無論、我はそのつもりです。遠慮は不要。かかってきなさい」
老人は満面の笑みを浮かべて体を魔力で強化し、僕は刀身を覆う紫炎の勢いを強める。
「参ります……ッ!!」
体は衝動に突き動かされるまま、しかし心は一歩引いて己の状態を見定め、全てを亡きものにしようとする技を振るう。
「ハハハ、愉快愉快!! その調子で……いえ、まだ思いきりが足りませんな。あと一歩踏み込んで技を放つといいでしょう!!」
「くッ、こう───ですか!!」
「良いですな、ですがまだ我には届きませんぞ。もう一歩、大きく!!」
「ッ───オオオオォォ!!」
技を放ち、その都度指摘される。
僕よりも"百鬼夜行"の加減が分かっているかのように、彼の指摘は的確で、時折褒め称えながら、暴走の可能性に竦む心を後押ししてくれた。
そうして───
「お見事」
「ハァ……ハァ……ハァ……ありがとう、ございます……」
息も絶え絶え。心身は疲弊して、立っているのがやっと。それでも乗り切ったという達成感があった。僕は、なんとか扱い方を覚えた。
「ここまで出来るのであれば満点と言えますな。ですが、あの剣技は強力ではあるものの、一歩間違えれば敵どころか貴殿自身や味方諸共、破滅する。使わないに越したことはない、諸刃の剣ですな」
「そうですね……」
「"百鬼夜行"を体に覚えさせたことで、貴殿の刀に変化が生じたかと思います。次、刀を振るう時、その変化に戸惑うかもしれませんが受け入れなければなりません」
「はい、でなければ全てが無駄になる」
息を整え、一礼する。
「貴方という人に会えたことを幸運に思います。そして、ここまで付き合ってくれたことに感謝します───『泰山公』、イブキさん」
「おおっと、気づかれてしまいましたな」
言い当てられ、老人は笑う。その笑みは初めて会った時と変わらず、こちらを安心させるような優しい笑みだった。
「ここに来たのは偶然。戦争前に僅かな余暇をここで過ごす為です。ここで将来有望な剣士がいたから少し指導をした、ということにしておきます。しかし、明日には迎えが来るので、その前に発つといいでしょう。また会う時は敵同士、さらなる成長を期待していますぞ───『月鏡刃』、レン殿」




