第百七十六話「飴は好きですかな」「返事する前に握らされた……」
彼女───オウカ・ココノエの復讐劇は、自身の手で果たすこともなく、彼の手によって幕を閉じた。
なぜそんなことになったのか。
あの人曰く、彼女を支え、復讐に手を貸した場合……この物語の結末は決まって『オウカ・ココノエの死』で固定されていたという。だからそれを変える為に何度もこの復讐劇をやり直した、と。
───嫌だった、死なせたくなかった……。だが、どうしてもその物語の結末は『オウカの死』でなければいけないらしい。それは駄目だ、そんなのは認めないっ、俺は───オウカには生きていてほしい……!!───
あんなに彼の必死で悲痛な顔は初めて見た。
僕が知る限り、彼はいつも余裕があり、それなりの危機に直面しても狼狽えない人だ。……そんな彼が、絶望と悲しみで淀みきった暗い目をして、心からそう叫んだ。
どれだけやり直し、書き直し、そして同じ結末を読み見たのだろう。十か、百か、千か。そうして気が遠くなるほどの回数を経て、ついに見つけた答えが、
「復讐劇を……舞台ごと無くしてしまうこと、か」
確かにそうすれば復讐劇という物語は無くなる、物語でなくなるのだから、あらかじめ決まっていた死という結末も、意味をなさなくなる。
さっきまで踏みしめてきた舞台。
復讐の対象としてスポットライトを浴びる敵役。
そこへ武器を持って伸ばす私の腕。
殺意をこめて練り上げる魔力。
首に巻き付き、踏み込むごとに締まっていく、死という結末の縄。
それが丸ごと消えるのを感じたと今朝方、彼女は言った。
立っていた舞台、照らすスポットライト、敵役、そして首に巻き付いた縄。全てが消え去り、なにもかも終わったと悟ったという。
「そう……最後の一人も殺ったんですね、カイトさん」
帝国のとある片田舎。たまにくる商人用に建てられたという宿屋にて、僕たちはオウカさんの『変化』をつかって見た目と身分を偽装して滞在していた。
昨夜、カーウェル領でカイトさんと会い、獣化の負担でまだまともに動けないオウカさんを運んでこの片田舎に駆け込んだ。幸いなことにこの宿屋に空き部屋があり、ひとまずは休息することになった。
(オウカさんはあれから平静のまま……というよりは、平静になってしまうという状態なんだっけ。何もできず突然、復讐は終わったと告げられた。自分の手でやれていない、ふざけるな、と怒りが湧いて直ぐに平静になってしまう、と……)
図書館の力───僕はそう思った。
どんなところかは知らないけど、そこにあったというオウカさんの物語は、恐らく復讐劇であり彼女の人生そのもの。それが復讐劇として定められた物語ではなくなってしまい、その一冊は白紙になってしまった。
そこに何か……仕組みというか、作用があり、オウカさんは人並みに感情はありつつも、振り切れることはない一定の状態になっているんだと思う。
(今の状態が良いことなのかは分からない。でも、もしオウカさんの物語に、また色彩を与えられるとしたら、それは───)
頭を振って思考をそこで止める。
「───はぁ……そろそろ出てきたらどうですか、わざとらしく気配を出して、あまり良い気はしないんですが」
宿屋から出てしばらく裏にある森の中を進んだところで声をかける。
「ははは、気づかれてしまいましたな」
聞こえたのは男性の声。まるで最初からそこにいたかのように、白髪まじりの短い髪を後ろに流した道着姿の初老の男性が、目の前の倒木に腰掛けるようにして現れた。
「これは失敬、余暇を持て余していたところに有望な若き剣士を見つけたものでな。面倒なおせっかいジジイに絡まれたとでも思いなされ」
「ここの住人ですか……?」
「そうですな。故郷は異国なれど、今はここが我の在処。初めは戸惑いましたが、帝国には強き者が多くてなかなかに面白い」
「…………」
まるで大きな山のようだ、と思った。
老いていると思えない、衰えを感じさせない鍛えられた肉体。どっしりと構え、何があっても動じなさそうな雰囲気。倒木に腰掛けているから目線は同じ高さにあるというのに、なぜか見上げてしまいそうになるほどの強大な気配。
只者ではない。帝国生まれではないようだけど、格で言ったら、あのセレネスと同じ。もしかしたらもっと───
「僕に何かご用ですか?」
「腰に差したその刀を見て懐かしさを覚えましてな。疼いてしまうのです。良ければ一手、付き合ってほしい」
彼は背中に手を回すと、二本の木刀が握られていて、片方を僕へ差し出す。その所作はとても丁寧で、悪意は感じない。それに話していると不思議と心が落ち着いてくる。
「……では、胸をお借りします」
「うむ。加減はいりませんぞ、思う存分にかかってきなさい」
木刀を受け取り、中段で構える。対して彼は地面に突き立てて柄に手を乗せたままだ。だというのに、
(あんな隙だらけなのに、隙が無い……)
「ほう……」
一歩踏み込めば互いに間合いに入る距離。
仕掛けようと僅かに前へ体を傾けた瞬間、足を刈り取られて頭から転倒する未来を幻視して、直ぐに止めた。
「……っ」
今度は相手が放つ圧力が高まる。上段からの振り下ろす光景を幻視し、こちらは半身になって躱し、カウンターとして最小限の動作で頭へ突きを放つ『気』をぶつける。
(『気』による攻守の読み合い、やるのは久しぶりだ……)
"明鏡止水"を使うようになってから、相手の動きが『気』の流れで察知できるようになった。お陰で、彼がどう仕掛けてくるのかがよく分かる。
(これなら……?)
僅かに切っ先を下げる。
「ふむ……」
すかさず上半身を狙う───ように見せかけて、切っ先を横へ僅かに払っての腕狙い。これもフェイント。本当の狙いは膝。ここまで視えて僕は切っ先の位置を戻す。
「良く視えておりますなぁ」
「それなりに経験は積んでます」
対峙したまま互いに読み合い、牽制し、せめぎ合う。一見何もせず構えたまま動かないだけでも、この数秒で計八十二回もの『気』による攻防が行われている。
「いちいち狙いのたちが悪く、巧い。ただ怪我を負わせるのではない。貴方の攻めには、確実に戦闘続行を困難にさせる意図がある」
「ははは、見事。よくぞ全てを捌いてみせましたな。ではここからは実際に斬り結ぶとしましょう。とは言っても、一撃のみですが」
「───なっ……」
彼が木刀を握り締め、振り上げた体勢で構える。
(構えただけで圧力が更に強くなった。それに、あの構えは……一撃必殺として恐れられた構えに似ている!!)
強まる圧力は留まること無く。来るのは、先程の的確に負傷させて弱らせる老巧な攻めとは明らかに真逆、一刀にて全てを終わらせる、一撃必殺の剛剣だ。
「───すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」
彼は大きく深呼吸する。
「っ、……これは───」
自分の目を疑う。
(彼は目の前にいる。僕よりは少し高い背丈で、振り上げたまま、そこに立っている。なのに……なんで彼が険しい大きな山に視えてしまうんだ!!)
山そのものが迫って僕を押し潰すかのような錯覚に、全身の毛が逆立つ。渡された木刀では、話にならない。振ったところで砕け散るだけだ。
「刀を抜きなさい」
「っ……!!」
声一つが豪風のよう。今まで感じたことのない圧力で、意識が遠くへ攫われてしまいそうになりながらも、無意識に僕の手は月夜祓へ伸びていることに気づく。
「そちらならば対抗できると、体は判断したのでしょう。恐怖よりも先に挑戦の道を選ぶ。いやはや素晴らしいですな。構いませんぞ───存分に、己を試しなさい」
振り下ろされる木刀。僕の目には最早、地面を揺らし、轟音をたてながら山が落ちてくるようにしか見えない。
(これを凌がなければ……僕はこの先、戦い抜けない。確信がある。セレネスや、他の最高戦力と呼ばれる者たちを相手に、今のままでは勝てないと)
奥義───"明鏡止水"も未だ完全習得とは至らず、一度は使ってもなおラウに押し切られた。もしかしたらカイトさんや、ユキナさんと戦うかもしれない。
そうなったら負ける未来しか見えない。
ずっとそんな考えが僕の中で渦巻いてきた。
『異法』を使う者として、心を乱してはならない。そんなことは分かっている……。でも、この不安と焦燥感は消えることはなく、誰にも言えぬまま。
そのせいか───この時の僕は己を試すのではなく、この状況を打破できるような、チカラを求めてしまった。
(力が、欲しい……。何ものであっても押し切れる、圧倒的な力。打ち砕き、斬り崩し、突き穿つ。敵を破滅させられる、そんなチカラがッ!!)
『───全テヲ■セ、全テヲ■セ───』
そして、まるでその思いを待っていたかのように、その声が頭の中に響いた。同時に、ずっと使い続けてきたような感覚と共に、ソレを解き放つ。
「"百鬼夜行"・壱番───『伽藍髑髏』」
視界が赤くなるのを実感しながら放った居合い。軽く引っ掻くように、切っ先が迫る山肌に触れた瞬間───山を砕き割った。




