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冥府の魔女

 耳をすませば、低く、喉を鳴らす獣のような音が聞こえてくる。


 これは……ずいぶんと見慣れた物が現れたな。


「……低級アンデッドか。何のつもりか知らんが、攻撃しているつもりか?」


 俺は影に隠れる《《誰か》》に向け、そう声をかける。


 低級アンデッドを使うという事は、ネクロマンサー……死霊使いか。

 こんな夜にはうってつけの魔術師だな、まったく。


 すると、そのアンデッドはヨタヨタと片足を引きづるようにして、木々の影から月明りの元へと歩み出てくる。


 その後ろから、黒髪の妖艶な美女が姿を現す。


 片眼が隠れた長い前髪に、切れ長な目元。

 すらっとした体躯に、色気のある仕草。


 それはまるで、"色将"リリスを彷彿とさせるものがあった。


 人間にしては……かなりのものだな。

 俺は冷静にそう結論付ける。


 その美女は、しっとりとした声で言う。


「あら、この子たちに全く動じないのね。意外」

「あいにくアンデッドは見慣れているからな」


 俺の返答に、美女は僅かに口元を緩ませる。


 すると、右手でアンデッドの頬を撫で、愛おしそうな眼差しでこちらを見る。


「噂通り口は生意気みたいね、強がっちゃって……それがまた可愛いわね。……いいわよねえ、アンデッド。永遠ほど美しいものはないわ。うっとりしちゃう。そうは思わない?」


 蠱惑的な指使いに思わず見とれてしまう……。

 この吸引力……ただの色気じゃないな。


 あの指先……僅かに魅了チャームの魔術があふれ出ているな。


 ――だが、あいにく俺には耐性がある。

 普通の者なら今頃この美女の虜になっているだろう。


 まったく、対等に話すつもりは初めから無いという訳か。

 どいつもこいつも、本当に勇者を目指しているのか疑問に思えてくるね。


「腐った肉体に本能が縛り付けられただけのただの屍だ。美醜の価値はそれぞれだが、悪いが俺にはわからんな」


 と俺は肩を竦める。


 すると、美女の目が僅かに見開かれる。


「……あらあら、あなた自我を保てるのね。――ますます可愛いわ。どうかしら、話、聞いていかない?」

「悪いがこれから用がある。またにしてくれ」

「その用についてなんだけど」


 …………。

 こいつ、知っているのか。


 てっきりこの話はロイドたちにしか広まっていないと思っていたが……。


「誰に聞いた?」


 美女はフフっと笑みを浮かべる。


「私の奴隷たちがちょっとね……。従順な子って素晴らしいわ」


 なるほど、密偵か。

 あるいはそういう情報を取引に使っている奴が居ると言う訳か……。


 まったく、この学院はどこもかしこも気が抜けないな。


「そんな厳しい顔をしないで。可愛い顔が台無しよ? 安心して、私しか知らないから」

「あんたしか知らない? 俄かには信じられんが……一体何が目的だ」

「あなたの力に成りたいのよ。このまま行って負けたら、あなた明日の朝日は拝めないわよ?」


 そう言って美女は自分の後ろに広がる広大な森を指さす。


「ここ、そういう人達がた~くさんいるの。夜な夜な聞こえる"嘆き"は彼らのものかしらね」


 美女は楽しそうに笑う。


「脅しは十分だ。俺の力になるメリットは?」

「せっかちな男ね」


 そう言って美女は俺の方へと近づいてくる。


 彼女の下では、真っ赤に爛れたアンデッド犬が、涎を垂らしながら美女の脚代わりとなっていた。


 美女は俺に近づくと、アンデッド犬から降り、俺の横立って肩に触れる。


「あなた、今は何処の派閥にも属する気、ないんでしょう? でなければ、"魔術会"の誘いを蹴ることもなく、シュトロゼス達といざこざを起こすなんてことにもならなかったでしょう? 違う?」


 顔が近いな……。


「……別に俺が勧誘されたわけじゃない」


 魔術会の勧誘の件も知っているか……まああれは食堂で堂々とだったしな。

 つまり、ほとんどこいつには内情が筒抜けだと思った方がいい。


「あの娘、なんていったかしら――そう、シリカちゃん。可愛いわよねえ。純真無垢で」


 俺はシリカの名前に反応し、静かに女を睨む。


「お前もシリカが狙いか?」

「とんでもない」


 美女は両手を上げて、ヒラヒラと動かす。


「あと、お前って言わないで。私はメアリー。そう呼んでね」

「メアリー……」


 メアリー……――メアリー・ウィットソンか……。


 確かクロエが言っていた、序列9位の"冥府の魔女"……。


 次から次へと十二英傑とやらが寄ってくるな。


 それだけ現状はシリカの周りが特異点になっているという訳か。


「あら、そんな険しい顔しないで、可愛い顔がまた台無しよ? 私のこと知ってるのかしら」

「名前だけは」

「なら話が早いわね。ようは私は彼ら……シュトロゼス達に弱体化して欲しいのよ」

「そんなこと自分でやればいいだろう? 序列9位は名ばかりじゃないんだろ。新入生の、それも入学二日目の男に頼らなくてもいいんじゃないか?」


 すると、メアリーはフフっと笑う。


「私が直接動けばそれはもう戦争よ。学院が混沌カオスに包まれちゃうわ。そんなリスキーなこと出来ないわよ。わかるでしょ? あなただからいいのよ。まだ名前も存在も知られていないあなただから……。それに、難しいことは無いわ。私がお膳立てしてあげる」


 メアリーは、後ろから俺に両腕を回す。


 ぎゅっと抱き着かれ、不覚にもドキンと体が反応する。


 柔らかく、暖かい感触。


 そしてそっと耳元に口を近づけ、囁く。


「――私が口の悪いディードを弱体化して上げるわ。あなたはそれに勝てばいいの、単純でしょ? ……私は自分の目的が達成できて、あなたも生きて帰ることが出来る……いい案でしょ?」

「ふむ……」

「悩む必要なんてないわ。あなたはただ私の言う通りにすればいいのよ。それですべて解決するんだから」


 都合のいいことを言っているが、ようは自分の駒になれということか。


 こいつの派閥と繋がりのない俺が奴らを掻きまわせば結果として自分たちの派閥の立場が上がる。そして俺は借りを作る形になる。


 その恩を使って今後も駒として扱えるば一石二鳥という算段か。しかも、今俺を捕まえておけばシリカも付いてくる可能性が高いのはディードの件を知っているのなら自然な考えと……。


 姑息な女だな。


「いい案だ。俺の勝ちの目も見えてくる」

「じゃあ――」


 俺は首に絡みついた腕をぞんざいに弾き飛ばす。


 バランスを崩したメアリーが、よろよろと二、三歩下がる。


「断る」


 メアリーは一瞬間をおいて、問い返す。


「……どうしてかしら? あなたにとって何も損のない話だと思うけれど?」

「いいか、よく聞け。俺はお前に頼るまでもなく、ディードを倒せるからだ。俺たちの目的は平穏だ。わざわざお前の犬になるつもりはない」

「…………メアリーって呼んでよね」

「悪いが、一人でやらせてもらう。帰ってくれ、メアリー《《先輩》》」


 メアリーは肩を竦め、フッと笑いを漏らす。


「ふふふ……本当面白い子ね。想定外だわ――……いいわ、好きにしなさい。あなたのこと、少し気に入ったわ。もし朝日が昇ってまだ命があったら、また会いたいわね」


 そう言ってメアリーはすーっと森の方へと歩いていく。


「それじゃあね、ゼノア君。次会えるのを楽しみにしてるわよ。……言っておくけど、ディードの坊やはただの暴言吐きじゃないから気を付けるのよ。ただの最下位が勝てるほど、この世界は甘くはないわよ」


 そうして、メアリーの姿は"嘆きの森"へ、スーッと消えていく。


 まとわりつくようだった空気が、パッと晴れる。


 俺は軽くため息をつく。


「……まったく、人間にしては異常なほど妖しい雰囲気を持った女だったな。さすがは勇者学院といったところか、才能の幅が広い。あれが9位とは……1位の男はどれほどか興味が湧いてきたよ」

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