★【エピローグ】描けなかったハッピーエンド
留が大臣職を正式に継いでから、数年が経った。
庾月の意見を仰ぐことはあっても、それは職務上どうしても発生すること──と、割り切れるくらいには慣れてきた。
家族写真は、あれからも毎年撮っている。
毎月十二日のケーキは、家族の誕生日に変わった。みんなのリクエストに応えるのが、とても楽しい。
他に変わったことと言えば。
留たちが鴻嫗城に来てから数日後に、父の長女である黎夫婦が鴻嫗城に来たことだ。
夫の蓮羅は、かつて庾月の護衛だった長身男性の息子らしい。
蓮羅は、留より年齢がひとつ下。尚且つ、髪の毛の色が黒い。
だから留は、
「俺たち、仲良くなれそう」
と初対面で言ってしまった。
だが、会って数年経っても、蓮羅とはまだ友人と言ってもいいかと迷うくらいの仲。
留にはイマイチわからないが──蓮羅は夷吹の護衛として来たようで、それが関係している様子。
庾月曰わく、鴻嫗城の跡取りには護衛が付くのが常らしい。
庾月と出会ったころを思い出し、留は『なるほど』と振り返った。
それと、直近では──。
庾月から新しい命を授かったと報告を受けた。
ドキリとしたが、じんわりうれしく。けれど、不安が過ったのも事実で。
「今、心配だな~って……思ったでしょう?」
ジトリと庾月に見られ、留は言い返せなくなる。
すると、庾月は畳みかけてくるように言った。
「私、まだ二十代の後半よ? それに三人も産んでいるんだから、いい加減安心してほしいんだけど?」
首を傾げて見上げてくる姿はあまりにもかわいく。留は思わず抱き締める。
「何人目だって心配だよ」
『無理はしないでね』と耳に口付けすれば、急に庾月の体温が上昇した気がした。
何ヶ月も留は名を考え、安定期に入ったころ庾月に話す。
「ねぇ、庾月……この子に、付けたい名前があるんだけど……」
言っていいものかと迷う留に対し、
「何ていうの?」
と、庾月が背を押すように聞いてくれる。
「鴻嫗城の『鴻』。男女どっちでもいい名前かなと思うし……それにこの子は、鴻嫗城で生まれて、鴻嫗城で育つから」
これまで長い歴史があるという鴻嫗城。その歴史をほとんど知らない留が名付けに使っていいものかと何度も悩み、口にしていいものかとも直前までためらった。
でも、口にした以上の思いが留にはあって、どうしてもこの名を付けたいと強く願った。それは──。
「この子は、また俺たち家族が一緒に暮らせるようにならなかったら……芽生えなかった、命だから」
ジッと留を見ていた庾月が、ふいに表情を和らげた。
「とてもすてきね」
庾月がうれしそうに言うから、留は照れる。そのせいで、一瞬だけ視線が泳いだ。
「今思えばさ……」
様々な思いが駆け巡ったが、今なら言える後悔を──いや、言葉にした途端、照れの方が確実に勝る。
そう予測していても、留は言わなくてはと言霊に変える。
「懐迂の儀式をしなかったのは……もったいなかったね」
途端に庾月が抱き付いてきて──ギュッと、強く抱き締められ、留は庾月の髪をなでるように頭をなでる。
──やっぱり、庾月は我慢したんだ……。
深い深い愛情を受け止めて、謝罪とも感謝とも何とも言い難い様々な感情を返すように、庾月を抱き締める。
「ありがとう……俺、本当に幸せだよ」
庾月の腕の力がゆるんで、留も力をゆるめる。
腕と腕の間に多少の隙間ができれば、庾月が留を見上げて。
鴻嫗城血筋を継ぐ者たちが、言葉を囁かずに愛する者へ想いを伝える証を──留も知っている。
ふたりは微笑み合うと瞳を閉じ、その証を互いに捧ぐ。
数ヶ月後、無事に鴻が生まれたのは、留の誕生日の前日だった。
月は違えど、数時間の差で。留はいたく感動してしまった。
これまでのようにまた留は、抱っこ紐を愛用して仕事をする。
十一歳になった夷吹も、九歳の花月と令舞生も、自分たちが同じようにされていたのは、記憶にないらしい。
年の離れた赤ん坊に興味津々で、鴻はすっかり家族のアイドルになってしまった。
──あと何年かすれば、夷吹も庾月みたいに、克主研究所へ……社会勉強に行くんだろうなぁ……。
『そのときはよろしくね』と、父と祖父に今度連絡をしよう──と、庾月と出会った日を思い出す。
月がまた変わるころ。
鴻のお披露目の日がやってきて──身支度を終えた留がガラス越しに中庭を見ていれば、遠くから記憶に残る声が聞こえてきて。
思わず、留は視線を向ける。
──颯唏くんと、礫くんだ……。
『相変わらず仲がいいな』とつい眺めてしまい、
──いけない……。
と、視線を逸らす。
留は一度職場に寄ろうとしたが──。
「兄上」
「義兄上!」
礫と颯唏に呼ばれて、背筋が伸びた。
見つかってしまっては気付かなかったフリはできない。留は眉を下げた笑みで振り返る。
「あ、お帰りなさい」
瞬時、礫と颯唏が横目で見合った。
──あれ? やっぱり気付かないフリした方が……よかった、かな?
留が不安を感じた矢先、
「義兄上」
颯唏が距離を詰めてきた。
「え?」
グイッと颯唏が来たと思っていたのに、礫まで近づいてくる。
「え? ……え?」
スッと、颯唏の手が伸びてきた。
「やっぱり。上着の下、ゆるっとしたの着てる……」
「兄上にはカッコつけててもらわないと、俺が困ります」
続いて礫の手まで伸びてきた。
「え、ちょ……颯唏くん? 礫くん?」
身動きが取れなくなって、留は周囲を見渡す。
すると、庾月の姿が見え──たが、庾月はなぜかうれしそうにニコニコと微笑んでいた。
しばらくして、留と庾月は世界に発信される出産報告に挑んだ。
留は弟たちに身なりをしっかり直してもらったからと、しっかり背筋を伸ばす。
ほとんどの受け答えは庾月がしていて、留は控えめに微笑み──時折、庾月と見つめ合うと、ついうれしさを隠しきれず。その度に、ついつい照れてしまった。
その夜、庾月と久しぶりにお茶をして、
「庾月が無事で、回復も順調で……子どもたちもみんな無事に生まれてきてくれて、しかも元気で……本当によかった」
と、留は安堵がもれた。
それに対し、なぜか庾月は頬を膨らませる。
「私は……男の子もほしかった」
確かに、鴻は娘だった。尚且つ、鴻嫗城の血を継ぐ者が本来持つべき色彩の、クロッカスの色彩を持っている。
妙に庾月が拗ねているように言うものだから、留は考える。
「そう言われると……庾月似の娘たちに囲まれてる俺って、すごく幸せ者なんだね!」
うれしくなって、えへへ~とつい、自慢の笑みになってしまった。
「うっ……」
なぜか庾月が固まり、留は覗き込む。
「庾月には俺がいるでしょ? それじゃ駄目?」
「だっ……駄目じゃないけど……。でも……」
いつになく庾月がゴニョゴニョと何かを言っている。
留は逆方向に覗き込んで、
「じゃあ……また授かったとして、また女の子だったら? その子は『いらなかった』って、なるの?」
と問いかける。
庾月の視線が逸れて、でもゴニョゴニョが止まらない。
だから留はもう少し顔を寄せた。
「じゃあ……もし男の子が生まれたとして。庾月がそんなに『俺に似てる』って言ったら……俺、妬いちゃうかもよ?」
すると、庾月の視線が戻ってきた。
「少し妬かれるのも、いいかも」
「ほんとにぃ~?」
『もう』と留は姿勢を戻す。
お茶に手を伸ばし、一口含んで喉にあたたかい物が流れ落ちたあと、庾月がこんなことを言ってきた。
「じゃあ……今後。もし……授かったって、なったら?」
留は思わず、湯飲みを落としそうになる。
──ちょっと……調子に乗っちゃったなぁ……。
反省しても、時間は戻せない。
お茶を口にして落ち着いたのが嘘かのように、鼓動が強まってきた。
留は視線を動かさなくてもわかる。
庾月は、絶対に留を見ている。
「それは……うれしい。もちろん、男女どっちでも」
留は照れながら何とか言葉を絞り出す。
庾月の満足そうなニコニコとした笑顔が──留の脳裏には浮かんでいた。




