★【26】守り抜いた愛
「留の入れてくれるお茶って、変わらずとっても心が落ち着くわ」
庾月の言葉に留はようやく落ち着きを取戻す。
子どもたちも『おいし~』と笑ってくれて、綺にいるような雰囲気になって──留も座り、家族団らんを堪能した。
片付けを終え、子どもたちが寝静まったあと──ふんわりと何かが香ってきた。
「いい香りだね」
「だって、私……『柚子』だもの」
トクンと胸が懐かしさを刻む。これは──庾月が『柚子』という名前を『いい!』と認めたときの会話に似ている。
庾月がクスクスと笑うから、留も一緒になって笑う。
──でも……。
『姫』として生きている今の庾月は、『庾月』で。
──もっと、『柚子』という名前も……俺も、大事にすればよかった……。
綺で過ごしていたときは、『庾月』という名前がとても大切で。結婚したのも、恋をしたのも、『庾月』だという思いが強くて。
離れてみて、『柚子』がもういないと、幻だったと──『庾月』は、遠い存在だと、一度は打ちのめされた。
ふと、庾月が留の左手を取る。そして、薬指にスッと何かを通した。
「やっと、はめてもらえた」
庾月と選んだ結婚指輪の上にもうひとつ、指輪が重なっている。
「これ……」
「留のよ」
ゆるやかに庾月が微笑む。
──俺が……本来なら付けられなかった、正式な結婚指輪だ!
「付け直ししてくれる?」
庾月が左手から外した指輪を留に渡してきた。
「やっぱり留に付けてほしいのよ」
受け取った指輪を留は手の平からつまみ、一度じっくり見る。
「ふたりの名前が入ってるね」
留はそのまま庾月の指に付ける。
「あら、ふたりで選んだの指輪の方がすてきでしょ?」
ふふっと笑って、庾月はうれしいことを言ってくれた。
留の手に触れている庾月の手を見れば、その手にも同じようにふたつの指輪がある。
心が震えるとは、まさにこのこと。
「花の香りみたいな感じがする」
庾月の髪を耳にかけて囁けば、庾月が何かを言いたげに口を動かした。
しっかりと見たはずなのに、行動に移せず手元の髪の毛を指で回す。
「ねぇ……恋人の印は、くれないの?」
今度は庾月が言葉にして──いつまでも待つと瞳で訴えてくるから、留は恥ずかしさを堪えきれずに笑う。
チラリと意識するのは、子どもたちで。
娘たちは昼間の疲れからか、となりの空間でぐっすり眠っている気配が伝わってくる。
視線が逸れたからか、チョンチョンと庾月からつつかれた。
こうなれば留は、観念するしかない。
サラリと前髪に触れ、しっとりとした頬を伝って耳に手を置く。
少し斜めに屈んで香りに近づけば、やわらかい頬が間近で──そのまま、唇を落とす。
自身の鼓動を強く二回感じたくらいで体勢を戻し、やわらかい耳たぶをふにふにしていると、
「じゃあ……愛している、は?」
庾月が更なる要求をしてきて。
留は一度大きく息を吸って背を伸ばし、キュッと唇を噛む。うるさい鼓動を落ち着かせている暇はない。
顔を近づけると、庾月が背伸びをして──近づいてきた。
美しくしなやかな手に重ねた留の手が、白く滑らかなシーツに沈んでいく。
心のように体を重ねて、しみ込ませて、体がバラバラになっていたと感覚の違和感に気付く。
互いの欠片を絡めて、愛情で再生されていく。
深く沈んだ底から立ち上がる。
抱き締められて、個体と認識していく。
抱き締めて──ぬくもりが伝わってくることに、感謝する。
「愛してるよ、庾月」
どのくらい、言っただろう。
「会いたかった」
どのくらい、焦がれていただろう。
何度も呼ばれて呼んで、互いに『ここにいる』と伝えて、愛を囁いて──日を浴びれば、夢のようで。
体を起こした留は、でも夢じゃないと微笑む。
すぐとなりでまだ夢の中にいる愛しい人は、紛れもなく、手の届く距離にいる。
留は寝顔を覗き込んで、何度も幸せそうに微笑んで、指を伸ばしては触れる前に引っ込めた。
身支度を整え戻れば、庾月が目を覚ましていて。
「おはよう」
声をかけ、娘たちの様子を見に行く。
仲良く三人並んでいる姿に頬のゆるみを感じて、いけないと強制的に視線を切り替える。
服の用意をしていれば、庾月がやってきて、
「そろそろ起こそうか?」
と聞けば近づいてきて──スッと口づけをしてきた。
「そうね」
娘たちを起こしに行く背に釘付けになって、留は平常心に戻ろうと試みるが、結局うまく口元が閉まらなくなる。
留は娘たちを連れ、庾月と城内の人たちにあいさつ回りをする。
大臣が言っていた通り報道は続いて、その度あちこちから視線を感じた。
──でも、これ……きっと俺自身に向けられた視線じゃ……ないんだよなぁ……。
最高位の姫『庾月』の夫、そんな興味を向けられている気がしてならない。
ただ、それならそれで。
──残念ながら俺は、『最高位の姫』と結婚した……じゃなくて、『庾月』に恋をしたら『最高位の姫』だった……だけなんだよねぇ……。
庾月もそうだと言い切れる。
それに、父の子だと騒がれても同じ。
庾月とは互いに『個人』という最小単位で恋をして、色々あったけれど結ばれた。
婚約をして、留が離さないと決めた──それだけだ。
だから、どんな目を向けられているのかと留は興味を抱かなかった。
綺を継ぐつもりだった留は、この数年をかけて経営学を学んでいて。それを知った庾月から、
「大臣の仕事を手伝ってみる?」
と打診をされ──。
子どものころから綺を手伝ってきた留にとっては、きちんとした居場所を得るような、ありがたい提案。
だが、宿屋と一国──いや、世界を背負う城とでは規模がまるで違う。
力不足を承知で、
「庾月の手厚い補佐を必要とするだろうけど……」
と返答したが、
「決まりね!」
なんて、うれしそうにされて。
留の力不足なんて問題視しない庾月は、考えがあっての提案だったと視野の広さを垣間見た。
物の配置から書類の流れなど、一から十を庾月から聞き、今更ながら結婚当初の柚子の気持ちを追体験しているような──少しふしぎな気持ちになる。
留は庾月にふたつのお願いをした。
ひとつは、言葉の勉強を双子と一緒にさせてほしいと言った。
鴻嫗城と綺とでは、大陸が違う。同じ言葉が同じ意味を持つとしても、イントネーションの違いが大きい。
もうひとつは──。
「庾月とも、子どもたちとも……なるべく一緒に過ごしたい」
庾月が大きく息を吸って、ふいに表情をやわらかくした。
「もちろんよ!」
庾月の二十五歳の誕生日、結婚十年目を迎えた。
約束したように、みんなでリボンを付け合う。
花月と令舞生は、髪にちいさな黒いリボン。
夷吹には腰に大きな黒いリボン。
庾月の黒いリボンは、上品に左の胸元に。
留は紫の蝶ネクタイにした。
一枚目は、あえて堅苦しいように撮ってみて。
二枚目は、二枚の写真が合わさったような、互いを見る構図にして。
三枚目は、みんなで肩を寄せ合った。
「来年は、中庭で撮ろうよ」
留が言えば、
「晴れるといいわね」
と庾月が子どもたちと笑う。
──楽しかったな。
留は職場にコトリと写真立てを飾る。いい家族写真が撮れたと大満足だ。
そんな折り、
「少しは、休んだら」
と聞き慣れない声が聞こえた。
振り向けば、庾月の弟で。けれど、もう間もなく十八歳になる青年の姿になっていて。
──颯唏くんも、大きくなったなぁ……。
少し、しんみりとした。
「昔から染みついた癖みたいで……寛ぐって、できなくて」
苦笑いを浮かべ、留は言う。
となりでは庾月が朗らかに笑った。
そんな庾月を、颯唏はチラリと見た気がした。
──あ。
「よかったね、姉上」
颯唏は、確かにそう言ったのに──きっと庾月には聞こえていない。
ふふふと幸せオーラをまとった庾月が、満面の笑みを咲かせる。
スルリと花月と令舞生が颯唏へ走り出した。
『あ』と留が言う間もなく、花月と令舞生は颯唏に興味津々の眼差しを向けている。
「お兄ちゃん遊んで」
「遊んで~!」
留が止めようとした刹那、颯唏の表情が変わった。
「よし、いっぱい遊ぼう!」
キラキラとした颯唏の笑顔を留は初めて見て──やっぱり庾月と姉弟だなぁと眺める。
パッと颯唏と目が合った気がした。
留は遠慮がちな笑みを浮かべてしまったが、颯唏は気づかないようだった。
颯唏が双子と遊びに行ってから、ふと庾月が呟く。
「あの子、そろそろ結婚するのよねぇ~……」
『早いわぁ』と言いながらも、うれしそうで。
「そういえば礫くんは……俺と入れ違いだったんだっけ?」
「そうなのよ。折角、留がきてくれたのに……寂しいわよね」
その一言で、かつて礫に想われていたとは微塵も思っていないと、少し驚く。
「そうだね。……でも」
ただしそれは、一貫した礫の誠実さなのだろう。
「また、いつかきっと……みんな会えるよ」




