★【25】つかんだ幸せ
海の風は、まだまだ真冬並に冷たい。
花月と令舞生は今月末で五歳になる。
毎年写真は送っていたが、留の中の夷吹のように、庾月の中の双子も、離れたときの状態のままかもしれない。
「俺の息子だと公表した方が、安全保証される」
『庾月の結婚相手』だからと言った父は、留たちが船を降りるころ公表になると続けた。
「俺に喧嘩売ろうなんてヤツはいねぇからな」
父は鼻で笑っていたが──鴻嫗城で生活するとなれば、本名も開示される。
それに、『庾月と釣り合うか』と見られる。
父は先手を打ってくれるわけだ。
「貴族籍になって……改名するか?」
父に聞かれ、もしかしたら父が付けたかった名に付け直してもらえるかもと思ったが、首を横に振った。
「ううん。俺、『留』って名前が……好きなんだ」
ちょっと恥ずかしかったけど、違う名だったらまったく違う人生になっていた気がして──愛称として『留』という名は残るかもしれないのに、それでも嫌だなと断った。
「踊り楽しかったね」
「またステージで踊りた~い」
無邪気に笑う娘たちの会話が、幸せに響く──のに。
──いつかふたりが……『綺で踊っていたかった』って、思う日がくるのかな……。
船の上で遠のいた大陸を見ながら、これでよかったのかと、迷う。
「庾月が鴻嫗城の裏門で待っているはずだ。行ってこい」
『行ってくる』と決意を伝え、激励を受ける。ポンポンと背を叩かれた直後、父との距離がスッと離れた。
別れを惜しむな──とでも言っているかのような態度は、『またいつでも会える』と言われているかのようで。
もう、留はそれが本当だと知っているから。
『そうだね』と微笑めた。
父と祖父に感謝を伝え、
「またね」
と、未来の約束もした。
冷たい風が強く留の頬を叩いた。
娘たちが心配になってすぐに目を向けたが──どうやら身長差で影響はなかったらしい。
少し、目が覚めた。
──そうだ。そのときがきたらまた……考えればいい。
胸元にかけた、庾月と昔交換しあった──庾月の髪の毛の入った小瓶を握る。
『今すべきこと』は、時間とともに変化する。まさに、この数日がそうだった。
結婚するときの約束と、真逆の行動をとっている。でも、この決断は──間違っていなかったと、『未来』に言えていると信じる。
『過去』の約束も、全部必要なことだったと、信じられているから。
早朝の船に乗って丸一日。
夜が明けて、自身と娘たちの身支度を済ませていく。
娘たちには貴族籍があるのだから、ドレスを着せた方がいいのかと迷いつつ、留はふたりが気に入っている服装を選んだ。
お気に入りの髪型にして、最高の状態で庾月と夷吹に再会してもらおうと、ふたりの好きを前面に出す。
「花も舞も……ふわふわした髪の毛が、お母ちゃん似だね」
しみじみ庾月の髪の毛を思い出していたら、
「お父ちゃんとも一緒だよ~」
「そうだよ~」
双子に笑われ、どうしてかジンワリと視界が滲んだ。
船が港に着き、留は娘たちをひとりずつ抱き上げて降ろす。
「大きなお船に長く乗って、疲れたでしょう?」
少し休むかなと声をかければ、
「楽しかった~!」
「もっと乗りたい!」
と弾む声が返ってきて、
「ふたりとも、お船好きなんだね」
と、『帰りの船』がないことに少しの切なさを覚えた。
はしゃぐ双子と、片手ずつを握り歩き始める。
『絢朱の街を出るとき、整備された道じゃなくて、林の方に進め』
父に助言された道を選び、土と砂利の感触と音を聞きながら歩く。
木漏れ日が春めいていて、船に乗っていたときとは一転し、あたたかくも感じられた。
娘たちの足下に気を配りながらしばらく歩いて、視界が開く。
十年前に、逆から歩いた道だと鮮明に蘇ってくる。
──婚約で来たときに、通っただけなのに……。
『覚えようとしてくれてるのね』
庾月の声を久しぶりに聞いた気がして、感慨深い。
ザリザリとした音を耳にしながら歩いていけば──。
「あ~!」
双子が声を揃えて──。
留は咄嗟にふたりを抱えて、走っていた。
すっかり女の子になった夷吹が抱きついてきて。
美しくなった庾月も両手を広げて抱き付いてきた。
「元気だった?」
「すっごく~!」
「元気~!」
留が答えるより先に、花月と令舞生が答えて。留は庾月と、眉を下げて笑う。
花月と令舞生を降ろすと、夷吹が『おと~ちゃん』と言った。
ハッとした留は、夷吹をキュウっと抱き寄せる。
──昔の言葉遣いに……戻ってる……。
「すっかり大きくなったね。……イブも、元気だった?」
「うん!」
二歳で離れた夷吹も七歳。成長を見届けられなかった歳月の大きさを思い知る。
大きく返事をした夷吹は、留の顔を見るなり首を傾げた。
「あれぇ? お父ちゃんはどっか痛いのぉ?」
──あ。
ポツンポツンと服に雫が落ちている。
留は『あはは』と笑って、夷吹の頭をなでる。
「ううん。父ちゃんも元気。イブが大好きで、会いたかったから……会えてうれしいんだよ」
『へぇ~』と夷吹はちょっと照れて、ふふふと笑った。
「『イブ』、も好き。あのねぇ……」
『アダムとイブだから、アダムを早く見つけたい』なんて夷吹が言い出して、留の涙はピタリと止まる。
父としては複雑。
けれど、庾月と出会えて、結ばれて──知ったものはとてつもなく大きい。
だから『そうだね』と、願う。
「うん、イブなら絶対、『アダム』と出会えるよ」
ふと、泣き声が聞こえた。
花月と令舞生が、庾月に抱かれて泣いている。
双子をなで、双子と夷吹との再会も見守る。
ふと、視線を感じて動かせば──少女からすっかり大人になった庾月の姿。
抑えめなドレスなのに、それがまた庾月の品格を底上げしている。それでも、留が結婚の当日に誕生日プレゼントで渡した黒いイヤリングも、約一ヶ月後にふたりで選んだ指輪も、今日も身に付けてくれていて──。
「きれいだね」
思ったままを口にしただけなのに、庾月は赤面してうつむく。
「留は……ますます格好よくなったのね」
立ち上がって頬をなでれば、庾月の熱い視線がしっとりと見つめてきて──留は子どもたちの様子を横目で見て、スッと頬に口付けした。
家族で大臣に顔を出し、『これからよろしくお願いします』と頭を下げる。
庾月まで頭を下げたからか、大臣はすぐさま頭を上げるように言って、何だか恐縮してしまった。
「瑠既様からお聞きになっているかもしれませんが……すでに留様のことは公表いたしました」
『これから数日続くかと思いますが、気を強く持ってくださいますよう……』と続いたが、留には実感が湧かなかった。
「一先ず、みんなで一度落ち着きましょう」
庾月の提案にのり、
「こっちよ~」
と張り切る夷吹に付いていく。
花月と令舞生はすっかりソワソワしていて、周りを見渡し、
「すご~い」
「お姫様になったみた~い」
とかわいいことを言い、留はつい頬がゆるむ。
着いた先は、庾月の部屋だった。
駆け足で入っていく娘たちに、
「気を付けるんだよ~!」
と注意を投げ、庾月と目が合って幸せと笑い合う。
「久しぶりだね、庾月の部屋」
「二回目だから、少しは慣れたかしら?」
「この広さは、何年経っても慣れる気がしないよ」
「あら、夷吹はもう慣れてるみたいだけど?」
チラリと見上げてくる、仕草の破壊力が半端ない。
「ちいさい子の方が、適応能力が高いんだね」
つい視線を逸らして言えば、
「まぁ……私も急激にかっこよさの増した旦那様に慣れる日がくるなんて、すぐには想像できないわ」
鈴の音のような可憐な声がびっくりすることを言うから、留の視線は吸い込まれるように戻ってしまった。
ふふふっと照れ笑いした庾月が、小走りで部屋の奥へと消えていく。
「あ、ちょっと……庾月!」
からかわれた感じが妙に恥ずかしくて、でもうれしくて。留は庾月を追いかける。
奥のソファーでは、子どもたちが行儀良く座っていて。
庾月が『留も座って待ってて』と言った。
どこかへ歩き始めた庾月を追いかけ、そっと並ぶ。
すると、庾月が『あれ?』と見上げてきたから、留は微笑む。
「お茶、久しぶりに俺が入れるよ」
手触りのいい食器に触れ、留はお湯を注いで温め、湯切りする。
茶葉を煎れてお湯を注ぎ蒸らす。そのとき、見られている気がして顔を動かす──と、庾月と目が合った。
「あ、ごめんね。つい、いい食器だなって……庾月も座ってていいよ」
「え、あ、うん……よ、よかったわ! 留が気に入ってくれて!」
──あれ?
やけに表情をやわらかくした庾月は、パタパタと子どもたちのもとへと戻っていった。
──こんなことが……前にもあったような……。
記憶を遡ると、いくつも似たようなシーンが思い浮かんできて。
──じぃちゃんに言われて食器を見たときも……。でも、あのときは食器を見たかったんだよなぁ?
思い出しては、自問自答する。
しかし、今回は庾月の部屋の食器。思い出したどれにも、内容が当てはまらない。
『柚子は、留を見ていたいんだよなぁ』
ふと、祖父が昔言った言葉が浮かんできて──。
──え?
留は途端に顔が熱くなる。
──あれ……これって、そういう?
これまでだったら気のせいと流せていたはずなのに、流せず。
留は慣れているはずのお茶入れに、やたら時間がかかってしまった。




