【17】駆け足の幸せ
「おめでとう」
食堂から数歩離れた場所で、馨民が唐突に祝いの言葉を言い──留の思考は瞬時停止する。
──何かあったかな?
フル稼働で脳内を探る。
ただ、馨民にはフリーズしていたように感じたのか、ハッとしたように見えた。
「柚子ちゃん……今回はつわりがひどくないみたいね」
そこまで言われて、留は祝われた意味を理解する。
グ~ッと体が酸素を取り込んで、体が膨らむのと同調するように喜びが湧いてきた。
でも言葉は浮かばず──少し体が震えた。
「あ、ありがとうございます……」
何とか返答する。
深呼吸のように長く息を吸ったのに、過呼吸みたいに間隔が短くなっていて、うまく呼吸ができない。
「また悠穂ちゃんと交互にくるから……大船に乗ったつもりでいてね」
気遣いに感謝しつつ、どうにか返答をする。
確かに、馨民か悠穂がいてくれるなら、これ以上の安心はないだろう。
けれど、しばらくして──庾月のつわりが、夷吹のときより重くなって。
留が心配していたら、安定期に入るころ馨民から血の気の引く報告があった。
「双子かもしれない」
うれしいのに、正反対の感情も湧いてきて。あれもこれもと立て続けにガヤガヤと心が騒ぎ立ててきた。
「そういえば、柚子ちゃんのお父さんって、双子だったのよね?」
留は横になっている庾月の手を、自然とキュッと握っていた。
「俺の父も……というか、柚子のお父さんと、双子だったみたいです……」
『まぁ!』と馨民が驚く。
「そういえば、双子って孫に出現しやすいって聞いたことがあるわ」
青白い顔をした庾月が言う。
──俺たちの親がどっちも双子なら、可能性は高かったのかもしれない。
庾月が妊娠したらまた心配すると思っていたのに、双子と想定したことがなかった。
手が冷えていく感覚に、庾月の手を離そうとした直後──。
「楽しみね。双子もきっと、もっとかわいいわ」
馨民か満面の笑みで言ってくれたから、留は改めて『柚子をお願いします』と頭を下げる。
ポンポンと、頭に何かが触れた。
留が頭を上げると、夷吹だった。
プツンと緊張の糸が切れて──留が思わず笑うと、続けて庾月も朗らかに笑った。
ほどなくして庾月のつわりが始まり、留は部屋で安静を勧める。
だが、
「留の近くにいたい」
と庾月は言い──留は夷吹を抱える庾月を更に抱え、食堂裏の部屋へと連れていくのが日課になった。
そのうち夷吹が『と~』や『あ~』と言い始め、
「そろそろ話すかなぁ?」
と留は庾月と微笑む。
夷吹に言葉を教え始め、庾月のつわりは徐々に軽くなっていった。
──他に気が向くのがよかったのかな?
留は少し安心しつつも様子をみて過ごす。幸いなことに、安定期を迎えるころには、庾月の具合も改善していた。
春真っ只中には、夷吹が話せるようになって──留の目の前には、四つの大好きな色彩の瞳の花が咲いた。
泣きそうになるほど感動して、何より母子ともに無事で安心して。
留は庾月に微笑む。
「ありがとう。すごくうれしい」
双子を花月と令舞生と名付け、呼び名は『花』と『舞』に決めた。
抱っこ紐は将来的にと前後にひとりずつの物も用意したが、ふたりを抱っこできる新生児用の物を真っ先に手にする。
いそいそと身に付け、
「やだ、これすんごく幸せな状態だね」
留の頬が急激にゆるんだ。
仕事が始まっても留の頬はゆるみっぱなしで、客に双子を紹介すれば、
「蝶よ花よと、育てようと思って」
と、もっともらしい名の由来を添える。
本当の由来は、本人たちにいつか伝えればいいと、胸に秘めて。
産後の庾月は、夷吹と食堂裏の部屋で過ごしている。
昼になる前に留は顔を出す。花月と令舞生を交互に託し、夷吹と少し遊ぶ。
昼の忙しい時間に子どもたちは昼寝をしてくれるようで、
「私も一緒にちょっと寝ちゃうの」
と庾月も体を休めてくれているらしい。
忙しさが過ぎたころ、留は祖父と昼食を軽く食べ、
「様子を見てくるね」
と庾月たちに顔を出す。
「おと~ちゃん!」
夷吹が呼んでくれれば留の顔は一気にゆるみ、ぎゅ~っと抱き締めて、頭をなで、頬をふにふにする。
「ふふふっ」
夷吹が同じように留の頬をつまむから、すぐには離れがたくなる。
ただ、そこは仕事中と留は多少割り切り、
「よろしくね」
と庾月に託す。
「さて、またと~ちゃんとこにおいで」
花月と令舞生を片方ずつ抱っこ紐で固定して、
「じゃあ、またね」
手を振れば、庾月が夷吹の手を振ってくれる。
そうして、また忙しくなる前に顔を出し──昼と同じように庾月に子どもたちを託して仕事に戻り。
忙しさが過ぎるころには子どもたちが寝ているとわかっていても、一度顔を出す。
そんな毎日が過ぎていったある日の夜。
自室に庾月と子どもたちを連れて戻り、『ふぅ』と一息ついた。すると、庾月がポソリと呟く。
「留の子なんだから、ひとりくらい……留の色だったらよかったのに……」
「そうかな? 俺は自分の子がクロッカスの色を持っているのは、誇らしいよ」
留が幸せを噛み締めるように言うと、庾月は一瞬目を大きくした気がした。
留には違和感で、
「ん?」
と首を傾げる。
「あ、ううん……。留がそう思ってくれているなら、いいわ」
ふと、庾月は子どもたちのベッドに顔を向けた。
「人数が増えたから……狭くなってしまってない?」
心配そうに言われ、留は部屋を見渡す。
──確かに……。
元々ひとり用の部屋。庾月と同じ部屋で過ごすようになって夷吹が生まれても、部屋を変えようと提案してこなかった。
でも、明確な理由が留の中にはあって。今もそれが変わらないかと、留は自身に問いかける。
──俺……今の状態が嫌、かなぁ?
思わず考え込みそうになり、留はふふっと笑う。
「庾月とも子どもたちとも近い……今の状況が、俺好きかも」
よくわからないが、すごく安心する。それに、すごく心が満たされていて──こんな状況が、ずっと続けばいいと奥底で願っている。
いつになく強く感情が走ってきて、留は咄嗟にまた笑う。
「ああ。でも、もし庾月が広い部屋がいいって言うなら……」
キュッと庾月がくっついてきた。
「私も。留にすぐこうできる距離にいたい」
呼吸が一回分止まった気がした。
息を大きく吸って、留は庾月をふんわりと抱き締める。
「同じだ。うれしいな」
もぞりと胸元で庾月が動いた。
留が少し距離をとって様子をうかがうと、庾月が微笑んだ。
「すごく安心するわ」
馨民と悠穂のどちらかが定期的に検診で来てくれて、半年。
庾月は順調に回復し、子どもたちも順調に育っていると聞いて留が安心した──夜のこと。
「もう……半年経つんだけど」
不満そうな庾月の声に、留はドキリとする。
ベッドの上に座った庾月のとなりに座るや否や、不服を言われたものの──。
──むうっとする庾月もかわいらしい。
なんて、見とれていたら。
「『まだいいんじゃない?』って言いそう」
痛いところを突かれ、留はつい視線を逸らす。
子どもたちがスヤスヤと眠っているのを見ても、意識は庾月にある。
しかも、いくら留が視線を戻さなくても、庾月は視線を離なさそうで。
耐えられなくなって留は『あ~……』と、場を繋ぐような声が出る。
──困った……。
返す言葉がない。
そう思う一方で、もうひとりの自分が囁いた気がした。
──俺って……贅沢者じゃない?
はたと思考が止まる。
「ねぇ、俺って贅沢者……だねぇ?」
言っている途中で照れて、笑ってしまった。
いけないと庾月を見てみれば、きょとんとしていて。目が合えば、耳まで赤くなりそうに見えた。
「そっ……そうよ! 女の子に、毎回こんなこと……言わせるなんて」
目を伏せて口まで歪ませるから、留の心はガッシリと捕まれてしまった。
「そうだね。こんなことばっかり、大事な子に言わせてちゃいけない」
留が片手をベッドについて近づくと、庾月がゆっくりと視線を上げた。




