【12】言葉の深意
それこそ、結婚するときには、庾月には後継者が必須とわかっていたことだ。
翌日も留は何かにつけて庾月の部屋に顔を出す。
食事はもとより、飲み物の不足がないかや、コップの交換──などと言いながら、必ず庾月に一声をかけていく。
庾月の返答が、
「大丈夫」
から、
「ありがとう」
に変わり、昼過ぎにはゆったりと眠っていた。
時間の経過とともに、庾月が安心しリラックスしていると伝わってきて、留も安心する。
「よかった」
医師のとなりで眠る庾月の寝顔に、留は愛しさが募ってきた。
つい庾月の頬に触れて、そのまま頭をなで始める。
庾月がムニャムニャと何かを言って、ふふっと笑った。
──ああ、いつもの庾月だな……。
仕事で時折、克主研究所に行っていた庾月。
馨民と悠穂とは、留と会う前からの知り合いだったのだろう。
──やっぱり、鴻嫗城から医師の手配をしてもらえて……よかった。
「馨民さん、ありがとうございます」
留が言うと、馨民はなぜか一瞬目を大きく見開いた。
それに留のまばたきの回数が増える。
すると馨民は、
「あ、ううん。私は何も……」
と言うなり、『あはは』とごまかすように笑った。そして──。
「留くんって、地声は低いのね」
想定外な言葉がきて、留は頭が真っ白になった。けれど、時差で言葉の理解がやってきて。
『ん?』と首を傾げたが、次の瞬間『あ』と気が抜けたと気付く。
「あ……ああ、あの、すみません……」
人前では高い声で話そうと意識しているのに、庾月といると注意を払えなくなってしまうようだ。
──やっちゃった……。
地声の低さを気にしているのに──と反省していたら、
「柚子ちゃんが留くんにぞっこんな理由が、ちょっとわかった気がするわ」
なんて言われたから、留はまた『ん?』と首を傾げてしまった。
ただ、庾月が医師たちに心を開いている理由は、留にも何となくわかった。
庾月は割と何でも相手に伝える方だ。
馨民とも、恐らく悠穂とも、ざっくばらんに話せるのだろう。
柚子として綺にいる庾月を見てきた。多分、庾月はそういう人たちといられる方が心地いい。
「俺も、柚子が馨民さんを信頼している理由が……少しわかった気がします」
今度はきちんと人前を意識して話す。
気恥ずかしさがどことなく抜けなくて、表情をうまく作れなかったけれど。
お互い会話が微妙に噛み合わないと認識しただろうが、気持ちは伝わり合えた気がして──何だか妙な感じだと留は笑った。
それから留が仕事中に顔を出す回数は徐々に減っていき、留自身も仕事に集中できるようになってきた。
数ヶ月が経ち、留は安堵のため息をつく。
馨民と悠穂のお陰もあって、庾月が無事に安定期に入った。
庾月のつわりがやわらぎ、留は庾月と約束をしたケーキを作る。
今日は医師の交代の日。
一週間滞在してくれた悠穂が帰る前に、馨民がやってくる。
留は馨民がやってきたときに、改めてこれまでの感謝とケーキを渡す。今後もお願いしますと、ていねいに伝えて。
「悠穂さんの分もこちらに。あの、ご家族と馨民さんのご家族の分も入っているので……よければ、みなさんで食べてください」
すると、悠穂が『わ!』と馨民と顔を見合わせて、
「ありがとう!」
と喜んでくれた。
留も庾月と顔を見合わせ、微笑み合う。
「柚子ちゃん、また来週ね」
「はい、また来週お願いします」
庾月が頭をさげ、留も一緒に一礼する。
すると、悠穂がにっこりと笑った。
「仲良くね」
『それじゃ、馨民さん、お願いします』と、悠穂は手を振って部屋を後にしていった。
留は悠穂の言葉を表面通りに受け取った。
だが、そうではなかったとわかったのは、その日の夜で──。
仕事が終わって部屋に戻ると、庾月が意外なことを言い出す。
「ねぇ……留? あのね……もう、仲良くしても、いいんだって」
『仲良く』
そういえば、悠穂もそう言っていた──気がするなと、留は記憶を辿る。
「うん?」
──でも、喧嘩はしていないはず……。
留は庾月の手を握る。
ふと、庾月が両手で握ってきた。
──あれ?
庾月が妙にジッと見てきている。
妙な間が過ぎていく。
──何だか、認識の差が……あるような……。
妙な緊張感のドキドキが、吊り橋効果のようで──留はようやく庾月の発言の意図を汲んだ。
──あれ? 悠穂さんの言葉って、こういう意味の?
意図を汲むのが遅かった。
ドキドキが息苦しさを呼んできて、背中にじんわりと汗を感じている。
庾月のことは、好きだ。間違いなく。
妊娠がわかったときだって、とってもうれしかった。
確かに、この数ヶ月間は──庾月のことも、お腹の子のことも心配で、不安でいっぱいだった。
ようやく庾月のつわりが落ち着き、安定期に入ったと聞いて、このまま大丈夫だと思えた矢先──だからか。
感情が追いつかないでいる。
スッと、庾月が距離を詰めてきた。
咄嗟に留はキュッと抱き寄せる。
けれど背中に回った手は、抱き締めるとは違う動きをして──。
「ごめん、待って!」
思わず言葉が突いて出た。
一瞬止まった手が、今度は留の背中を支えるように動いた。
今にも体が震えそうで、留は強く抱き締める。
浮かんでくる言葉は『そういう気持ちになれない』とか『怖い』とか、何を言っても庾月を傷付けそうで。
──何も言えない……。
もどかしい思いを抱え、口を閉ざす。しかし、口を閉ざしたままでは庾月を不安にさせてしまう。
眉間にシワが寄った矢先、庾月がちいさな声で呟いた。
「留は、もう……したいって思えない?」
声が震えている。それが胸に重く刺さって、苦しい。
傷付けないような言葉を──何とか留は絞り出す。
「今……じゃなくても、いいんじゃない?」
「でも、ずっとしてない」
『できる状態でもない』なんて言ったら、庾月がどう感じるかと思うから、留は言葉を返せない。
押し黙ってしまったからか、庾月の震える声が聞こえた。
「このまま離れないといけなくなったら……と、思う、と……」
胸に突き刺さる。
これまで、庾月を泣かせたことはなかったのに。
──結局、すごく傷付けてる……。
庾月の今の感覚は留にもわかる。
結婚前に庾月と数日離れたとき、留も同じような状態になった。
結婚直前だったのに、あのときは留の方が心のバランスを崩した。
わかるのに──応えられない。心が立ち止まったままになっていて、遠い。
庾月がグズグズと泣き始めた。
ゆるいウェーブのある大好きなクロッカスの長い髪が、微かにゆれている。
「留の、ぬくもりが……ほしい、の……」
──こんなに好きだと言ってくれているのに。……俺が、懐迂の儀式をしていたら……。
庾月を泣かせないで済んだのかもしれない。
結婚前に庾月と離れて、自身も心のバランスを崩さなかったかもしれない。
たらればが浮かんでくる。
──でも……いくら医師が大丈夫と言ってくれていても……。
自らの行動で子どもに万が一があったら。
庾月にも、万が一があったら。
可能性を考えるだけで、留は怖くてたまらなくなる。
──絶対に、なんてない。
『それが原因じゃない』と言われても、『万が一』がもしあれば。留は絶対に己の行動を後悔する。
──だからと言って……。
庾月を、泣かせていたくもない。
「わかった」
結婚前は庾月が打開策をいつも出してくれていた。だから、留は『今の最善だ』と、意を決する。
「裸で寝よ」
「え?」




