【11】鮮明で曖昧な記憶
「親ってのは、子どもや孫には何だってしてやりたいもんだ。それでもよ、できることなんて限られてんだ。だから、『向こうができることは、やらせてやろう』くらいに思っとけ」
『今は向こうが、いくら世話をしたくでもできないって状況なんだからよ』と、流すように祖父は言い足した。
──やっぱり……じぃちゃんって『大人』だなぁ……。
「それに、お前にしかできないことはたくさんあるんだからよ。それは金じゃ解決できねぇ。……よく覚えとけ」
留は息を呑む。
何においても平等な価値であるはずの唯一無二。そんな物であっても、価値は変化すると目から鱗だ。
──状況や人により、何事も……『価値』は変動する……。
「ありがとう。そうだね……よく覚えておく」
だからこそ、『今できることをする』のが一番と胸に刻む。
──わかっていたはずなんだけど……な。
見失っていた。
でも、また見付けられた。素直に受け入れられた。祖父の言葉は、いつも留に道を見失わないよう、ヒントをくれる。
仕事が終わり、庾月を迎えに行く。
留が顔を出せば、パァッと庾月の表情が変わって。『失礼します』と部屋に上がり、庾月が立ち上がるのを支える。
「馨民さんたちは滞在中、私が前に使っていた部屋を使ってくれるって」
「俺たちの部屋と近いね」
『一緒に行きましょう』と留は道案内をして、『ありがとう』と『お疲れ様でした』を伝えて別れた。
部屋に入れば、今日話したことを庾月が教えてくれて、つわりには波があるとも教えてくれた。
「昨日は約束のケーキを作れなかったけど……庾月の体調が落ち着いたら、必ず作るからね」
約束を再提示すれば、
「楽しみだわ」
と、庾月がゆるやかな笑みを浮かべた。
そして、ポツリポツリと話し始める。
「お父様も、ケーキを作ってくださったことがあったの……」
「そうなんだ」
「留のお父様と、双子だった」
そう言われてみれば、父同士が兄弟という距離感よりも、父は庾月に近い存在として物事を言っていた──気がする。
『父同士が双子だった』と聞けば、だからかもしれない。
でも、腑に落ちないのは──。
「私はお父様に継承を受けたの」
これだ。
現状の『最高位』は、庾月の母のはず。
それに、父は鴻嫗城の長男。だから庾月の父は、『鴻嫗城の次男』になる。
「庾月のお母さんは……継承者だった人と結婚したから……あれ、でもそれで庾月が継承をした、じゃなくて……お母さんが継承をしたの?」
継承は次世代になるのでは──と、留は混乱する。
「お父様の中では、ずっと……お母様が一番だったのよ、きっと」
珍しく庾月と会話が噛み合っていない気がした。
──でも……多分、俺が聞いたところで理解できないんだろうな……。
庾月の父が亡くなったのは、留が十四歳くらいのころだ。
別の大陸のことだし、ましてや貴族のこと。留は興味がなかったと言えばそうなのだが──耳に入って、頭の片隅には残っている。
『鴻嫗城』イコール『姫』だったような気がすると、引っかかっていたのだろう。
「混乱しちゃうわよね……ごめんなさい。でも、私も……色々あったころだったから、うまく説明できないの。ただ、お父様が生きていらしたころは、確かに……お父様が継承していらしたのよ」
『いつか真実が明るみになる日が来ると信じているけれど』と言う庾月は、見たことのないほど寂しげだった。
留は切なくなって、抱き締める。
「辛いことを、話そうとしてくれて……ありがとう」
庾月の父が亡くなる前後、庾月はしばらく留の父の家にいたと言っていた。その時期の記憶は、あいまいだとも。
でも、今話してくれた『覚えていること』は、真実なのだろう。
きっと、留が話を聞いてわからなかった以上に、庾月は消化できていないのだ。
庾月の泣き声が聞こえる。
びっくりして留は腕の中を覗く。
わからないながらも、必死に『鴻嫗城の姫』でいたんだろう。記憶の父を消したくないと、その一心で庾月は、継承の重荷を背負って頑張ってきたんだろう。
「大好きだったんだね。お父さんのこと」
目尻の涙を拭えば、庾月の表情が一気に崩れた。そうして、ワンワンと声を上げて泣き始める。
──庾月は……ずっと泣けなかったんだな……。
留は頭をなでる。
『いい子だ』と見守るように、何度も。
すると、庾月の泣き声は収まってきて、次第にグズグズと泣き始めた。
「いいんだよ。我慢しないで。庾月は……ずっと頑張ってきたんだから」
ふんわり抱き締めると、庾月がしゃっくりをし出して、苦しそうに言う。
「いい、の?」
「うん」
「でも……恥ずか……しい」
「そんな庾月もかわいいよ」
庾月が泣いているのに、かわいいが止まらない。妙な感覚だと思いつつも、感情が抑えきれず背中もさする。
「本当に……すてき、な、旦那様だわ……」
ふふっと照れ笑いをしてしまい、
「あ、庾月を笑ったわけじゃないからね」
と言えば、
「わかっ……てるわ……」
庾月の恥ずかしそうな言葉が返ってきて。
「かわいい」
留は思わず口にして、また頭をなで始めていた。
そのうち庾月は安心したように眠りについた。
──庾月はちいさいころ、お父さんにこんな感じで甘えられていたのかな……。
スヤスヤと眠る姿を見て、庾月の中の大きな存在と並べた気がした。
──産まれてくる子が、庾月に似たらいいな……。
幸せな想像をしたのに、ふいに不安が心を覆ってくる。
──無事に……母子ともに元気でいてほしい……。
大丈夫、大丈夫と留は心の中で繰り返す。けれど、繰り返す度に苦しくなって、覆ってきた不安に負けそうになる。
ギュッと庾月に抱き付く。
辛い。とても怖い想像をしてしまった。
耳元では、庾月の静かな寝息が聞こえる。この安らかさを、庾月を信じようと必死になる。
「留……」
微かな寝言なのに、ハッキリと聞こえて。ハッと留は息を吸えた。
手をゆるめて、庾月の髪をやさしくなぞる。
『ふふっ』と笑った庾月が、髪に触れる留の手を握った。
またスーッと庾月は熟睡したようで──留は庾月の手を握り直し、目を閉じる。
今、庾月がいる──それ以上のことは考えるのをやめて、去った不安を追いかけないようにする。
庾月の呼吸に合わせて呼吸をすれば、確かな繋がりを感じられて──留はゆっくり眠りに落ちていく。
浮かんだのは、最悪なことばかりだった。
不安の原因は考えなくてもわかる。生まれのせいだ。
庾月のせいでも、もちろん子どものせいでもない。留自身の問題で。




