【10】付添人
顔を見合わせ祖父のあとをついていくと──調理場の裏が簡易的な部屋になっている。
「じぃちゃん、これ……」
「おう。しばらく柚子は仕事休むだろ? だから、ここにいればいい」
留が息を呑むと、
「入って……いいですか?」
と庾月が聞く。
『入れ入れ』と祖父が楽しそうに言うから、留も一緒に入っていく。
中には布団やクッション、椅子も置いてあって、狭いながらも庾月が過ごしやすいようにと考えてくれたのが伝わってくる。
「ありがとう」
「ありがとうございます!」
ふたりが礼を言うと、祖父はうれしそうに笑った。
庾月をひとりにするのは心配だったが、
「これがあるから大丈夫!」
と呼び出しベルを見せられた。
「留はこの音、聞き逃さないもんね」
自慢げに庾月が笑ったから、
「そうだね」
留も笑って返す。
「よし、じぃちゃん戻ろ!」
庾月の言葉なら、留は信じられる。『またね』と庾月に言って、部屋を出る。
すると、背後から祖父の声が聞こえた。
「まー、柚子も限界まで我慢せずに呼ぶこった。その方が留が一番安心する」
「わかりました」
戻りながら留は、ふふっと笑ってしまった。祖父があまりにも的確に庾月へ言っていたから。
食堂へ戻った直後は多少忙しかったが、ピークは過ぎていたため落ち着きを早くに取り戻せた。
お陰で留は、庾月のいる方の音を意識しながら仕事ができた。
祖父には心を見透かされていたのだろう。
「手が空いたら、柚子の様子見てきていいんだぞ」
ぶっきらぼうな言い方でも、留は顔がゆるんでしまって、
「行ってきます」
と、言葉に甘えた。
仕事が終わり、庾月を迎えに行く。部屋に向かう途中、祖父に声をかけられた。
「克主研究所から医者が来てくれることになった。しかも交代でずっと診てくれるそうだ」
他の大陸では城が国を治めているが、城がない楓珠大陸だけは、克主研究所が治めている。
「南西の森の……近くの?」
ボソボソと話すのは、誰かに聞こえていい内容ではないから──と、留は察した。
──唯一の研究所で……確か、すごいお医者さんがたくさんいたような……。
教育と研究と医療の最高峰。研究者の憧れの場所と聞く。入るのは、難関だとも。
「すごいところだよね? いや……」
『そんなところから?』とも妙な緊張感が湧いてきた。ただ、同時に。
──そうか、庾月は……。
『最高位の城の姫だもんな』と、頭を過る。
だからこそ留も町医者ではなく、きちんとした機関に任せた方がいいのではないかと浮かんだわけで。
「う……ん。それはとっても安心する」
結婚して一年ほど経った。
忘れていないようで、日頃から頭にあるわけでもない。
それほどまでに、留といる庾月は、『柚子』で。『普通の女の子』として生活している。
ふたりだけのときに、『柚子』と、呼んだことはないけれど。
「明日の朝、早くから来てくれるってよ」
「そ、そうなんだ」
やはり、改めて庾月の立場を意識すると、遠い存在のように感じてしまう。
「留、心配してくれてありがとう」
留の服の袖をつかみ、庾月はえへへとうれしそうに笑う。その笑顔は、十七歳の年なりの女の子の笑顔で──気高さも、威厳もない、ひとりの少女だ。
──何考えてたんだろう、俺。……庾月は庾月だ。
「当たり前だよ。庾月のこと、大事だもん」
『よかった』と庾月の手を取り、
「じぃちゃん……ありがとう」
おやすみと夫婦であいさつをして、祖父と別れる。
翌朝、いつもよりも早く支度をし、祖父の用意してくれた簡易部屋へ向かった。
庾月に『どう配置すると使いやすそう?』と聞きながら物を移動していると、
「待たせたか?」
と、祖父が顔を出す。
待ってないと伝え、互いに朝のあいさつを交したところで、
「頼もしい方々がいらしたぞ」
と言う祖父の横に、人影が見えた。
祖父が紹介をしてくれたのは、ふたりの女性。
留が会釈をしている間に、庾月が一歩前に出た。
「馨民さん、悠穂さん。まさか、おふたりが来てくださるなんて……」
「こんな大事なときに付き添えるなんて光栄です。なるほど、結婚のお相手が公表されなかったのは……こういうことだったのですね」
庾月よりも濃い色の髪の毛を持つ、小柄な女性が言った。
留は何度もまばたきを繰り返す。
──そういえば、『な』に丸って……。
庾月が度々行っているところを思い出す。
庾月が抜ける時間は、毎回二時間くらい。
克主研究所まで片道一時間弱と聞いたことがある。
──往復の時間と一致する。
それに、庾月は城の重要書類を渡しに行っていたとしたら。それは、庾月しかできないことだ。
これだけで、何もかも辻褄が合っていく。
「こんなにいい旦那様なのに、もったいない」
ふと、留は我に返る。
「え?」
いつの間にか医師たちと距離が縮まっていた。
さっきの声よりも高い声だったから、もうひとりの──浅黄色の薄い色ような、珍しい色の髪の毛を持つ女性の声だったのだろう。
留の横では、庾月が照れ笑いをしている。
「すみません。うれしくてつい話し込んでしまって……」
話しかけられ、視線を動いた。
「私は四十七代目君主の助手、馨民と申します。このような大役をありがとうございます」
最初に庾月と話していた女性が言った。
もうひとりの小柄な、珍しい髪色の女性が会釈をしてから話し始める。
「同じく、四十七代目君主の助手で、悠穂と申します。よろしくお願いします」
──何か……想像した以上にとってもすごい人たちがきた。
留は動揺つつも、心強いと安心する。
少しの冷静さを取戻し、ハッとした。言っておかなくてはいけないことがある。
「こちらこそよろしくお願いします。それで……別のお願いがあるんですが。あの、ここでは庾月を『柚子』って呼んで、普通の女の子として接してください」
『お願いします』と留が頭を下げると、
「え、いいんですか?」
意外にも嬉々とした返答が返ってきた。
留は頭を上げる。すると、庾月もニコニコとして『ええ』とと答えている。
「私も悠穂ちゃんも娘がいるから、何でも相談してね」
馨民が言えば、
「娘みたいにかわいいって、ずっと思ってたの。孫はまだいないから、初孫って感覚になちゃって……今回のこと、すっごくうれしい」
と悠穂も言い──女子三人で手を取り合い始めた。
「私も、お母様が増えたみたいで……すごくうれしいです……」
庾月の言葉をきっかけに、
「じゃあ、お母さんって呼んでくれる?」
「私はママで!」
馨民のあとに悠穂も続き、三人は盛り上がり始めた。
留は一歩引いて見聞きしていたが、勢いに圧倒される。
──すごく大らかで、やさしい人たちだ……。
この人たちなら、安心して庾月は何でも話せそうだと安堵する。張り詰めていた緊張感が留の中で溶けていった。
「一先ず、今日はふたりで庾月さ……えと、柚子ちゃんの、話しを色々聞かせてもらいます。明日からはひとりずつ……まずは私からで、一週間交替で常駐させていただきます」
馨民が言い、悠穂が続く。
「基本的に旦那様がご一緒ではないときは、私たちのどちらかが柚子ちゃんのそばにいます。旦那様がご一緒のときは、近くの部屋で待機します。その際も時間をお気になさらず、いつでも呼んでください。私は明日の朝に、一度失礼します」
『よろしくお願いいたします』とふたりが改めて頭を下げてくれた。
留が同じように上げると、庾月も同様にしている。
じんわりと胸が熱くなる。
──こうして一緒に頭を下げるのは、何回目だろう……。庾月の、こういう飾らないところが好きだな。
留は体勢を戻すと、『あの』と口を開く。
「すごく心強いです。仕事中でも俺、なるべく近くにいると思うんで……いつでも呼んでください」
『飲み物がほしいとかでもいいんで』と言えば、馨民と悠穂は一瞬きょとんとして、
「はい!」
と満面の笑みで返してくれた。
庾月の体調不良が始まってから、ずっとどこか緊張状態だった。だから久しぶりに、留は羽が伸びた気がした。
昼が終わり、夜に向けた仕込みを祖父としている途中で、大事なことを突然気付く。
「そういえば……じぃちゃん。すごくうれしいけど、費用って……」
「心配すんな。何も言わずともあそこの大臣が手筈を整えてくれただけだ」
ピクリと一瞬、手が止まった。
『何も言わずとも』と祖父は言ったが、正しくは『妊娠したと報告したら、それ以上のことは言わずとも』なのだろう。
「でも、俺たち……」
「向こうにしたら、いくら出しても惜しくない。こういうときは『両家』ってことで、上手に甘えた方がいい」
──確かに……そうなんだろう。けど……。
一度呑もうとし止まったが、留は再び言葉を呑もうとする。
確かに、向こうからすれば庾月の命と、庾月の子の命に対すること。『いくら出しても惜しくない』のだろう。
けれど『そうだとしても』と、留にはモヤモヤした気持ちも残る。
言葉にせずとも、表情に出ていたのか──祖父が『あのな』と話し出した。




