【8】新しい約束
ボソリと、心の声を口にしてしまった。すると祖父が、
「何だ? 妬いてんのか」
と笑いながら言ってきた。
「え、妬いてなんて……」
『ない』と言おうとしたのに、言えなかった。理解が一拍遅れたせいで、間が開く。留自身よりも、祖父の方がよほど留の気持ちを理解していたと、呑み込む。
「そうだね、妬いてる」
『だって、結婚前はともかく…』なんて続けると、祖父が今度はガッハッハと豪快に笑った。
「気になるなら、聞いてみりゃいいじゃねぇか」
「いいよ、大丈夫」
そう言ったものの、大丈夫な顔をしていないと自覚はある。
──ずっとポツポツ出かけると知ってはいたのに。どうして今更、気になってるんだろう……。
仕事に意識を注ぐように過ごし、昼時になった。ふと、柚子がいると気付く。
──そういえば、だいたい三時間くらいで戻ってくるんだよな……。
どこに行っているかは、じぃちゃんが知っているみたいだし──と、嫉妬心を消すよう努める。
これまで気にならなかったのに、気にする方がおかしいと。
けれど、次の月も同じ日はやってきて。
──また、きれーなかっこしてる。
無意識で留はムッとしていた。
「行ってきます」
笑顔で出て行く庾月に、意識的に視線を逸らしてしまうほど。
「おお、行ってらっしゃい!」
祖父の変わらない大声も聞こえたのに、聞こえないフリまでしてしまった。
そのまま仕事に溶け込んで時間を流していたが、
「留」
と庾月の声がし、振り返る。
帰宅後の庾月が、出かけたままの格好で食堂に来ていた。
──あ。
咄嗟に留はマズイと感じて、従業員通路まで庾月を連れていく。
パッと庾月の手を離したところで、庾月が無言を切り裂いた。
「留、もしかして……怒ってない?」
「怒ってはない」
即答したが、言葉足らずだと懸命に言葉を探す。
だが、うまい言葉は出てこず。留は観念して素直に言うことにした。
「妬いてる」
「妬いてる?」
庾月に聞き返されて、
「うん」
と首肯する。
「どうして?」
距離を詰められ、思わず留は顔を背けた。
「庾月が……そんなきれーなかっこで、どっか……行くから」
キュッと庾月がくっついてきて、留は驚く。
「な、何?」
ふふふと庾月は笑った。
「ごめんなさい。ちゃんと言えばよかったのよね……でも『姫』だって留にはあんまり、思ってほしくなくて……」
言葉をしっかり聞いていたのに、どうにも話が見えてこない。疑問符ばかりが浮んでくる。
すると庾月が、わかりやすく言い直してくれた。
「お仕事よ」
「お仕事?」
「そう。私がしないといけないことが、どうしてもあって……。それで、書類を届けに行っているの」
『たまに『な』に丸のついたところから、郵便が届くでしょう?』と庾月が続ける。
「あ」
そう言われれば、庾月が来てから定期的に届く封筒があったと思い出す。
これまでの無頓着さが、急に恥ずかしい。
庾月は違う大陸の人だ。しかも姫だ。
理由なく、別大陸にくるはずない。
庾月が仕事でこの大陸へ来たから、留は出会えた──のだろう。
約束なく定期的に庾月が綺に来ていたのだって、庾月は仕事で来ていた──から、約束する必要がなかったわけで。
「留に妬いてもらえるなんて、うれしいわ」
庾月は足踏みをして、はしゃぐ。
「信じてないわけじゃ……ないよ?」
キュウっと抱き寄せれば、庾月が居心地よさそうにスリスリしてきた。
「私も信じてないわけじゃないのに……言葉不足だったわ。ごめんなさい。……でも、後悔してないわ」
チラリと見上げてきた庾月と視線が合い──庾月が少し背伸びした。
少しだけ唇が触れ合って、また『ふふふ』と庾月が笑う。
「留にきれいと見てもらえていたとも知れたし……こんな幸せも悪くないわね」
楽しそうに笑う庾月に、留は少し屈んで唇を合わせる。愛情を注いで庾月が応えてきたところで、スッと離れた。
「いたずらっ子には、お仕置きです」
そう言いながら、頬がゆるんでいるのは自覚している。そのせいか、庾月がクスクスと笑った。
「こんなお仕置きなら、大歓迎だわ」
思わず眉が下がって、『もう』と照れる。
「俺、戻るから。庾月は着替えてきて」
「もっと『きれい』って見ててほしい」
「昼時だから……じぃちゃんに悪いよ。早く戻らなきゃ」
本音を言っているのに、名残惜しくて庾月の頭をなでる。
「夜になったら、また着替えてくれてもいいんだよ」
いつでも見たいと耳元で呟けば、庾月は途端に留から離れた。
「そ、そうよね……一番忙しい時間帯だもの! き、着替えてくるわ……」
パタパタと庾月は走っていく。
──あれ? また言い方を間違えたかな?
けれど、どう捉えられたか。何と言えばよかったのかもわからず。
──まぁ……いっか。
『言い換えることもできないし』と割り切って、仕事へと戻る。
一ヶ月が経ち、庾月がまたきれいな格好をしていた。
『な』に丸をして示す場所へ行く日だ──と留はパッと理解する。
「行ってきます」
「おう、行ってらっしゃい!」
庾月と祖父の明るいやり取りのあと、留は走って追いかけた。
「柚子!」
庾月が振り返って、留に向き合う。
「庾月、きれいだよ。だから気をつけて」
姫の仕事に行く今は『庾月』だからと、周囲に聞こえないよう耳元でポソリと言っただけだったのに。
留が体勢を戻せば、庾月は顔を真っ赤にしていて。
──あれ?
留はきょとんとしてしまった。
「ありがとう。……はい、気を付けて行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
今月はきちんと見送れると、留は満面の笑みで手を振る。
庾月は手に持っていた封筒をキュッと抱き締め、小走りで出て行った。
「お前は無意識でしてるから……結構罪深いよな」
ボソッと祖父が言ったが、留にはあまり聞き取れず、
「え?」
と聞き返す。
「いや……何でもねぇ」
留は首を傾げたが、祖父が言い直さないなら独り言だったのかと気にしないことにした。
──また、来月も庾月のきれーなかっこが見れるのかな……。
あれだけ妬いてしまったのに、すっかり楽しみになっていて──留はひとり笑った。
結婚して一年が過ぎ、庾月の十七歳の誕生日がやってきた。
誕生日と、結婚二年目をささやかに祝う。
祖父に頼んで留はケーキを作った。庾月と一緒に選んだ、黒い皿に乗せてテーブルに出す。
「来月も食べたいわ」
そんなかわいいことを庾月が言ってくれたから、
「じゃあ、庾月の誕生の日と同じ、十二日に……また作るね」
と約束をする。
──今日は、庾月と約束をしたケーキを作る日だな。
留は祖父に調理を教わりながら客席も見るようになって、半年が経っていた。
少しソワソワしつつ、仕事を回す。
ふと、調理場から客席を見ると──庾月がテーブルに片手をついて下を向いていた。
「じぃちゃん、ごめん。ちょっと離れるね」
「あ? おう」
火を止め、箸を置く。
背中から回ってきてくれた祖父と交代し、急いで庾月のもとへと向かう。
「庾……子、大丈夫?」




