【7】若者の特権
言葉にして、留はこれまでの些細な積み重ねがバラバラとガタガタと、微かにズレていくような感覚を覚える。
あれは、結婚のとき──も、そうだった気がする。
告白も──唐突だった。
留には心の余裕がまったくなかったから、当時は気付かなかったけれど。
いや、そもそも貴族は結婚が早いのかもしれないが──でも、庾月の場合は少し違う気がする。
今まで気にかけなかったのに、ひとつのズレに気付いたら、あれもこれもとズレてきた。
ガタガタ動いて、今まで見えなかったものが見えてくるような、妙な感じだ。
──もしかして。
庾月は十六歳で──結婚できる年齢になったらすぐに結婚しなければならないような、そんな事情でもあったのだろうか。
留は未解消だった、あの違和感を思い出す。
「ねぇ、庾月のお母さんって……そんなに体調が、悪いの?」
涙を堪えていた庾月の瞳から、大きな涙の粒がひとつ、またひとつと落ちる。
ドキドキするのに、なぜか血の気が引いていく。庾月の恐怖の理由を履き違えていたと、じわりじわりと理解ができてくる。
庾月は母が亡くなれば、城を継がなくてはいけない。それは、城に戻らなくてはならないということ。
綺で働き始めた恋人同士の期間のときも。
婚約してから、結婚する間までも。
今、このときも。
──だから……。
告白も、返事を催促してきたときも、迷いも躊躇いもなかったと今更知る。
──ただただ、必死だったんだ。
ひとつひとつの思い出が、バラバラと一度粉々になって違う形になった感覚だ。留と庾月とでは、見てきた世界が違うようにさえ思える。
──庾月は、どれだけの不安と戦ってきたんだろう……。
同じベッドの中にいるのに、庾月が幻のように感じてきた。
「そうね。弟の颯唏が生まれてからは……あまり長い時間出歩けなくなったみたいで……」
結婚前の顔合わせのあのとき、感じた奇妙な感覚は──義母を、どこかこの世と離れた存在に感じたからかもしれない。
「お父様とお母様は、懐迂の儀式をしたの」
ギョッとするほど驚いたが、続く言葉にも更に驚く。
「数百年振りに、海が輝いたらしいわ。そうして、生まれた第一子が私」
耳を疑うほど驚いたが、確認しながら順に脳裏で再生してみる。
──懐迂の儀式をして、海が輝いたなら……娘が産まれて当然、か……。
懐迂の儀式は、互いへの愛の証明。
尚且つ、鴻嫗城の血を継ぐ者は、『真に愛し合う人との間に授かる初めての子が女の子』と言われている──とも聞いた。
だから、第一子が『娘』なのは、納得しかない。
こうして話すまで、まったく辿り着かなかった。
「だから、私は……鴻嫗城を放棄できないの。でも、私だけで終わらせるわけにもいかない。後継者が、必須なの」
庾月は、鴻嫗城の『真の後継者』。それも、何百年振りの。
それが、どれほど重かったのか。
「だから、どうしても留と結婚したかった。留以外と結婚するなんて嫌だった」
庾月の背負っていたものの重さが、留にまとわり付く。
「留の言う通りよ。私……ずっと留の子がほしいと願っている。娘か、息子かなんて関係ない。好きな人の子を……産みたいの」
──俺が、綺を出ないと言っているから。
だから庾月を、ここまで追い詰めてしまった。
ズシリと重い。
庾月が生まれながらに背負ってきた重みは、恐らく庾月の父が亡くなったときに膨れ上がった。
父が大好きだった庾月だからこそ、受け止めて一心に背負ってきたのだろう。
「わかった」
留は庾月の抱える重さを一度引き受け、『でも』と続ける。
「妊娠も出産も、庾月の体調が第一だよ。だから、体調が悪いときはきちんと休む! 無理をしない。……約束してくれる?」
眉間にシワが寄ってしまったが、庾月はパッと笑顔になった。
「はい!」
途端、留に抱き付いてくる。
「わ!」
留の胸にスッと頬を付けた庾月は、飼い猫のようにスリスリとしてきた。
──かわいい……。
胸がキュンとし、髪をなでる。
ようやく感情が追いついてきた。だが、感情に呑み込まれずに、肝心なことをきちんと伝えようと言葉を紡ぐ。
「その……子どもはもちろん授かれればうれしいけど、『目的』にはしたくなくて……。えっと、だから……俺は単純に庾月が好きだからしたいし、庾月も同じ気持ちならうれしいなって……。そういう延長線上に『希望』として置いておきたいっていうか……」
ふふっと庾月が笑った気がした。
留は恥ずかしさを感じながら、庾月をのぞく。
「駄目?」
庾月はまた笑って、首を横に振った。
「駄目じゃないわ」
にこりとした──刹那、スッと庾月の顔が近づいてきて。
それは『愛している』と、留に伝わった。
翌日から庾月は、『柚子』としても元気を取り戻した。
留は『よかった』と仕事中も見守る。
「まぁた柚子を見てんなぁ?」
祖父にポツリと言われ、
「そ、そんなこと……ごめん、じぃちゃん。そう、だね……」
恥ずかしさに思わず口元を手で覆う。
「若者の特権だ」
パンと背中を叩かれ、
「柚子が元気になってよかったじゃねぇか」
と、またポソリと言われた。
『うん』と返し、
「柚子は女の子だからさ……その、また体調悪いときは、無理させたくないんだよね」
『お?』と祖父は一度目を丸くし、
「当たり前じゃねぇか。無理させんなよ」
再度、留の背を叩く。
祖父に背を叩かれると、ふしぎなもので。活力が入ってくる気がした。
「はいはい。仕事だ、仕事」
ガッハッハと豪快に笑った祖父は、調理場に向かっていく。
切り替えの早い祖父に追いつかねばと、留も仕事に集中しようと心がけた。
しばらくテキパキ働いていると、朝の祖父の言葉が次々に腑に落ちてきた。
留は祖父とふたりで育ってきた。女性の体特有のバイオリズムを、まったく気にかけずに生活してきた。
そんな留が、『柚子は女の子だから』と体調不良を性別のせいにした。だから、祖父は『お?』と反応したのだ。
──何だか、安易に……。
『男になったな』と言われた気がして、留は時差で照れる。
──やっぱり、じぃちゃんはすごいや。
祖父でありながら、留を男手ひとつで育ててきてくれただけでもすごいと思っていたのに。それだけではないと再認識する。
留を育てる前は、留の母を──娘を男手ひとつで育てていた。
その前には、同然ながら『妻の妊娠』という経験もあったわけで。
──そっか……。じぃちゃんの中では、『当たり前』だったんだ。
祖父に申し訳ないとどこかで思っていたから、『そんな遠慮はいらない』と背中を叩かれた。
──俺とじぃちゃんじゃ、根底がそもそも違ったんだな……。
妙な力が入っていた気がする。
きっと、庾月と結婚して『夫になったから』とか『夫として』とか、無意識で変な責任感を負おうとしていた。
祖父のお陰で、心身ともに軽くなった気がする。
──俺には、じぃちゃんっていう人生の大先輩がいるし。悩んだり抱え込んだりする前に、じぃちゃんに話を聞いてもらえばいいんだ。
ふふっと留はひとりで笑みをこぼし──それを庾月が見いてて、同じように笑った。
忙しい一日が終わり、留は庾月と手を繋いで部屋へと戻る。
部屋に入って、パタリと扉を閉め、それぞれに就寝の準備を──普段なら始めるが、留は庾月の姿を少しぼんやり眺める。
留の視線に気付いたのか、庾月が振り返った。
思わず留は駆け寄り、庾月を抱き寄せる。
「好きがいっぱいになっちゃった」
スリッと頬を合わせて見つめれば、庾月は真っ赤な顔をしていた。
思わず口角の上がった留はチュッと短く唇を合わせる。それが妙に恥ずかしくて、自身のしたことなのに照れて笑う。
庾月の鈴の鳴るような笑い声が聞こえてきた。
固くなっていた庾月の表情も、ふんわりとやわらかくなっている。
そのままふたりで笑い合って、わずかな静寂に照れて──互いに吸い込まれた。
おだやかに時間が過ぎ、結婚してから三ヶ月が経った。
「行ってきます」
今日は庾月が朝から出かけるらしい。
「おお、行ってらっしゃい!」
笑顔で祖父が見送ったのに、留はぼんやりとしてしまった。
「柚子って………俺と付き合ってるときから、たまーにきれーなかっこして、どっか行くよね」




