第二十一節 ナイドルの試練 二
「ど、どういうこと?」
レグルスは椅子に座り直しつつ、ユアンに尋ねる。
「どれだけ調べても、サジェの人物像がわからなかった。月の民の有力部族がカノープスの動きを見張るために遣わした人物だということしか、原典には書かれていない……。ほかの人物は、その出自や家族についても記されているのに、不自然だ」
「キミの演じるサジェは、熱血な感じだよね。パブリックイメージとは違っている。でも、あれがキミの想像するサジェなんだろう? 原典を読んでもわからなかったのに、どうしてその人物像にたどり着いたんだい?」
「〝月明の剣〟でのサジェの行動を読んで……」
原典に記された〝月明の剣〟の筋書きはこうだ。
神殿でずっと退屈していたというヴィルジェーニアスは、カノープスたちとの戦いを望む。それが騎士にふさわしい試練だと。そして、カノープス、ブランヴァ、サジェの三人のうちの誰かがヴィルジェーニアスに一太刀でも浴びせられたら、月明の剣を貸し与えると約束する。神であるヴィルジェーニアスが、戯れに人間と戦う。勝算があるかどうかすらわからないが、カノープスたちには応じるほかなかった。
「戦いは、圧倒的に不利だった。だが、ブランヴァが囮になって隙を作ったことでカノープスとサジェは勝機を得て、ついにはヴィルジェーニアスのドレスの裾をわずかに斬った……と、原典には記されている。だがブランヴァが、風の民のカノープスと月の民のサジェのために、命を賭けて、囮を買って出るだろうか……という疑問が、いくら考えても消えなかった」
「なんで? 仲間だし、それくらいはするんじゃないか?」
レグルスの疑問にユアンは首を振る。
「ブランヴァが、カノープスに心を開いていたとは思えない」
「へっ?」
「〝エルトファルの修行〟の時点では、ブランヴァは風の民であるカノープスを見下していて、姿を見せなかったとある。真昼の姫君エステーリャの騎士であるカノープスは、陽の民の王族にかなり近しい者だ。エルトファルとの間にも友情があるように読める。そんな人物にもブランヴァは、心を開いていなかった……」
陽の民は、この世界の最高神である陽主神を祖とする自分たちこそが最も優れた種族であると言って憚らず、ほかの種族を下に見ていたという。それゆえに、クロノとエステーリャの種族を超えた恋は破れた。
「ブランヴァが囮を買って出たのは、主であるエルトファルがその場にいたからだと考えた方が、筋は通る……と思う」
「そうだね」
デネボラは真剣な顔でユアンを見る。
「でも、断言はできない。原典は正しい、書かれていないことは想像で補え……と言われている。月神山に至るまでの間に、ブランヴァはカノープスに友情を感じるようになったのかもしれないよね。グリーゼ先生はなんて?」
「未だわからない、と……ただ、俺の解釈で演じてみろ、とも。だから俺は……エルトファルを演じるつもりでサジェのオーディションに臨み……受かってしまった」
受かってしまった。
その言葉の選び方からは、まさか自分が受かるはずがないという驚きと、本当は受かりたくなかったという苦悩の両方が窺えた。やはりユアンは、チャリティーストーリアへの出演を望んでいなかったのだろう。ユアンが俯く前に、レグルスは口を開いた。
「先生たちがみんなで話し合って、それでもユアンが受かったってことは、ユアンの解釈はありってことだろ。ユアンの想像が当たってるんじゃないのか?」
「確信があるわけじゃない」
「確信に至ることはできないよ。ボクたちよりもずっと原典に詳しいグリーゼ先生にもわからないんだ。ボクたちにわかる範囲で考えたところで、答えは出ない」
デネボラは冷静だ。研究者であるグリーゼにも解明できないことを、学生が今この場で明らかにすることはできないだろう。
「ぬうう……でも、ヴィルジェーニアスは、乗り越えられない試練をおれたちに課すかなあ……」
レグルスは、話しながら考えを整理する。
「ヴィルジェーニアスは、ユアンの疑問に思ってることを知ってて、試練の内容を決めたような気がするんだ。試練っていうより、試験っぽいというか。騎士には戦いを求めて、ナイドルには……ナイドル候補生には試験を、って感じでさ。実技試験なら体調管理が大事だから水分を摂るべきだし、直前まで教科書で復習するし」
三人は自然と、テーブルの上に現れた冷茶と教科書を見やった。
「おれたちでも乗り越えられる試練じゃなきゃ、何もかも止まったままになる」
「あの女神は、そんなにやさしいかな?」
デネボラは忌々しげに毒づく。
「それこそ、確信はないです。でも……なんか、そんな気がするんです」
ユアンはひどく不安げな顔をしている。原典に記されていない人物を演じるなんて、神に逆らう所業も同じ。この世界の神はヴィルジェーニアスだけではない。陽主神ロッサ・ステラトス・ギガンティス、風遊神ヘルマ・カサノヴァトス、地母神マーテルアス。月姫神ヴィルジェーニアスが許しても、果たしてほかの三神は、原典に逆らう者を許すのだろうか――ということを、ユアンが不安に思っているのが、アステラパシーで伝わってくる。デネボラも、不遜な口ぶりとは裏腹な表情だ。ユアンのアステラパシーが、デネボラにも影響しているのがわかる。
「なあ、ユアン」
レグルスはユアンの目を見る。
「このあとどうなるかはわからないけど、何もしないでいたら、何も変わらない。おれたちもこのままだし、チャリティーも再開できない」
「……」
黙りこくるユアンに、レグルスは言葉を尽くす。
「不安なままでもいいよ。アステラパシーは、おれには効かないし。デネボラさんに何かあっても、おれがなんとかするから」
レグルスは立ち上がった。
「やってみよう」
胸の奥が熱を持つ。だが、痛みはない。体を流れるアステラが、穏やかに、しかし強く燃えている。
二人が、じっとレグルスの顔を見る。先に口を開いたのは、デネボラだった。
「キミの言うことには、まったく根拠がないね。でも、頼もしい言葉だ」
その顔に、もはや不安の色はない。
「ボクはずっと薄氷の上を歩いてきたんだ。もっと足元が危うくなったって、歩みを止めたりはしない。レグルス、ボクはキミに賭ける」
その瞳に、銀色の炎が揺らめいている。
レグルスにはわかった。デネボラは、この一瞬で、アステラパシーを撥ね除けた――アステラパシーの影響を、堅固な意志で打ち破ったのだと。
「ボクの心は、誰にも操らせない。神にだって」
やはりデネボラは格好いいとレグルスは改めて思う。ユアンも、デネボラに憧憬のまなざしを向けていた。
「やってみなければ、何も変わらない……」
ぼそりと呟いたユアンは、テーブルの上でぎゅっと拳を握っている。きっと、少しだけ背中を押せば、ユアンも不安に打ち勝てる。
「……ユアンなら、さ」
自然と湧き出た言葉を、レグルスは口にした。
「いつも通りやれば、できるよ」
「……っ!」
ユアンがそう言ってくれたから、レグルスは初めての試験を乗り越えられた。
見開かれたすみれ色の右目に、レグルスの姿が映って揺れる。ユアンは一度目を閉じて、唇を震わせながら、
「……わかった。俺は、エルトファルを演じる」
と、静かに言った。
「じゃあ、台本を直さないとね」
デネボラが言うと、案の定、テーブルの上に台本が三冊現れた。ページをめくってみれば、それぞれに自分たちの書き込みがあった。
レグルスは再び椅子につき、台本と同時に現れたペンでストーリアに手を加えていく。
「じゃあ、サジェの名前をエルトファルに書き換えて、ブランヴァのセリフは敬語にして……」
その様子をユアンとデネボラが左右から覗き込み、逐一意見をくれる。
三人は時間を忘れ、修正に没頭した。
◇ ◇ ◇
「このセリフはブランヴァじゃなくて、エルトファルが言うことにして……これで……よし!」
一仕事終えたレグルスは、ふうと細く息を吐いた。
「あとは、おれがちゃんとブランヴァをやれるかどうかだなあ」
テッラ・アステラを宿すレグルスは、ブランヴァを演じたことなどない。今さらながら、不安が襲ってきた。まったくやったことがない役を演じるのは、三人のうちレグルスだけだ。
ユアンは言う。
「話の内容を丸暗記するくらい見たんだろう。〝月明の剣〟を、アステラヴィジョンで」
「まあ……」
「脚本を直したのも君だ。きっと、俺以上に頭に入っている」
デネボラもユアンに同調する。
「うん、うん。レグルス、キミはキミが思ってるよりも、できるよ」
「デネボラさんまで……」
「さあ、まずは一度合わせてみようじゃないか」
デネボラはアステラ・ブレードを発現させると、軽やかにステップを踏んだ。
「レグルス。これまでも、君はしっかりやってきた。努力してきた。だから……」
ユアンもアステラ・ブレードを発現させ、一振りした。
「いつも通りやれば、できる」
「……うん」
腰に提げた鞘をイメージして、アステラ・ブレードを抜き放つ。その刀身は、炎を纏ってはいない。ただ、ほのかな緋色に輝いている。
「じゃあ、エルトファルがカノープスとブランヴァを助けてくれる場面から!」




