第二十一節 ナイドルの試練 一
「無様だとは、思わないが」
デネボラに向かってユアンはそう言った。だがデネボラは言葉通りには受け取らず、ハッと嗤った。
「女なのに男のふりをしてたのをばらされるなんて、こんな滑稽なことはないだろ。しかもひらひらでフリフリの、ピンク色の服を着せられてさ」
ユアンは押し黙った。デネボラにかける言葉を見つけられないのだろう。それはレグルスも同じだった。
「……学園に在籍したいなら、一番であり続ける。それがパパとの約束だった。女の身でナイドルになるなんて、他のどの男よりも優れていなければ、誰も許さないだろうってね」
鏡に背を向けたデネボラは、ぽつりぽつりと話す。
「一年の時は、不安なんてなかった。だけど今年の入学式で、キミの祝詞を聞いてからは……」
デネボラの言葉にレグルスは、ようやく入学できたあの日のことを思った。新入生代表として祝詞をそらんじたユアンを見たレグルスは、その一瞬で彼を天才だと確信した。事前の準備なしにあれほどの出来栄えなら、本番の入学式はどれほどのものだったのだろう。
「一番とは、具体的にはどういうことなんだ」
ユアンは単刀直入に尋ねた。
「学年もアステラも違うあなたと俺とでは、成績を競うことはできない」
「誰の目から見てもボクが一番優れている、ということだよ」
「誰の目から見ても、とは、《《誰の目》》を指しているんだ」
「……キミって案外、理屈っぽいんだね。観客全員だと思っているよ」
「レグルスは、どう思う?」
「へっ!? お、おれ!? どうって!?」
「この人は、ティターニア学園で一番の生徒だと思うか?」
「そりゃ、思うよ。上手すぎて怖いくらい」
紛れもない本心だ。去年のチャリティーストーリアで初めて見たときから、ずっと目が離せなかった。デネボラの実力は抜きん出ていて、並ぶ者がない。
「ユアンはどうなんだ?」
「俺も、同意見だ」
「だよなあ」
デネボラの顔はこわばっていた。嬉しさと申し訳なさとが入り交じったような、複雑な表情だった。
「だが、あなた自身はそう思っていなかった。俺があなたを脅かすんじゃないかと思ったんだろう」
ユアンの言葉にデネボラは俯く。
「……そうだよ。キミの成績が落ちてしまえばいいと、キミの弱みを突いて陥れようとまでした」
「へっ!? い、いつ? ってか、ユアンの弱み……?」
「メンタルだよ」
そう言って、デネボラはひどく申し訳なさそうな顔で見た――ユアンではなく、レグルスを。
「アステラは、偽りなき心の反映。前期期末試験で、彼は派手にアステラを乱しただろう。あのときは、キミが彼の名前を叫んだおかげで事なきを得たけれど」
〝地母神の加護〟において、ユアンのアステラ・ブレードは黒く染まった。ナイドルになりたくないというユアンの本心が、刀身を黒く染めたのだ。それを、デネボラは見ていた。あの日の試験は、ナイドル部の生徒全員が観客だった。
「それで、ボクは……レグルスに……」
「へっ? おれ?」
「レグルスはあなたに感謝している」
話が見えないレグルスとは違い、ユアンにはデネボラの意図がわかるらしい。
「あなたの事情が切実だったのもわかった。俺はもう気にしない」
「ど、どういうこと?」
「……ボクはキミを利用したんだよ、レグルス」
デネボラは俯き、苦しげに吐露した。
「ユアンを追い詰めるには、キミを奪うのが一番効くと思った。自分よりも他人が傷つくのを恐れるタイプと見えたから……要はね、ボクがキミに特訓を持ちかけたのは、キミを通してユアンを観察し苦しめるためだったんだよ」
「うえぇっ?」
そう言われても、やはりわからなかった。ユアンを苦しめるのにレグルスを利用するというのは、どうにも遠回りな手段に思えてしまう。
「俺は君が心配だった」
混乱するレグルスに、ユアンは語る。
「疲れと寝不足を解消しないまま試験に臨む君が、心配だった」
「……それが、デネボラさんの狙いだったってことですか?」
デネボラは頷く。
しかしあの日、ユアンを一番追い詰め、アステラパシーの暴走を招いたのは、ほかでもないレグルス自身の言葉だった。裏にデネボラの思惑があったとしても、直接の原因だとはとても言えない。それどころか――
「おれ……デネボラさんに教えてもらってなかったら、再試験にも受からなかったかも。みんなとくらべて、すっげぇ下手だったし。でもあの特訓で、少し自信がついたんです。だから、デネボラさんがいてくれてよかった」
「……っ!」
デネボラはレグルスを見た。今にも泣きそうな顔を上げて。
「……デネボラ」
ユアンが、デネボラの名を呼んだ。
「俺は気にしない。レグルスはこういう人間だ。今はこの状況を打開することだけを考えた方がいい」
「うん……うん」
デネボラは両の手のひらで頬をパンッと叩き、瞳に銀色の光を灯した。
「ごめん。キミたちに気を遣わせている場合じゃなかった。上級生のボクが君たちを引っ張らなきゃいけないのに。女に指図されるなんて、嫌かもしれないけど……」
「へっ、なんでですか? おれの班の班長も女の人だったし、嫌とか嫌じゃないとかあるんですか?」
デネボラは目を丸くして、それから、どこか嬉しそうな笑みをこぼした。
「……そういうことじゃ、ないんだけどね」
そして、アステラ・ブレードを具現化させると、その刃でドレスの裾を細長く切り取り、それをリボン代わりにして、淡萌黄色の髪をうなじでひとつにまとめた。
「ヴィルジェーニアスは原典の誤りを正せと言っていた。とはいえ、あの場にカノープスがいたことは疑いようもない」
デネボラは椅子を引き丸テーブルについた。レグルス、ユアンも続いて着席する。
「だからボクは、《《本物のカノープス》》を演じてみせる」
「本物の?」
レグルスが問うとデネボラは頷いた。デネボラはカノープスの人物像について、何らかの確信を抱いているらしかった。自信があるならば、レグルスとユアンから口を出すことはない。
「おれは、ブランヴァかあ」
〝不可視の剣士ブランヴァ〟は、本来ならソール・アステラを宿すナイドルが演じる役だ。これまでに見てきたアステラ・ストーリアに登場したさまざまなブランヴァ像を思い浮かべてはみるものの、どうしても祖母とかつて見たアルテイルの姿がちらついてしまう。
「真実……って、どういうことなんだろう。本物のブランヴァらしく演じなきゃいけないのか?」
「まずは原典学で習ったことだけで考えればいい」
ユアンの助け船にデネボラも乗る。
「うん、うん。ブランヴァは原典で細かく語られているほうだから、まずはキミが知っていることを整理してみて。詳しいだろう?」
「うーん……せめて教科書があればなあ」
そうレグルスが呟くと、突然テーブルの上に本が現れた。
「あれ? これ……おれの教科書!?」
次の瞬間には、冷たいお茶の入ったピッチャーと、人数分のグラスが出現した。グラスにはすでに冷茶が注がれている。
「へっ? な、なにこれ? ヴィルジェーニアスからの差し入れ?」
「毒が入っていそうだね。あの女神なら、媚薬かな」
デネボラが心底嫌そうに毒づくと、今度は空中からひらひらと紙が落ちてきた。さながら、神の眷属からの褒状のように。机の上に落ちたそれを、ユアンが手に取る。
「生産者の顔……? エミリオ・フィーロ……」
「へっ!?」
ユアンがレグルスに示した紙には、確かに、エミリオの似顔絵が描いてある。
「おれの家で作ってる茶葉を使ってるってこと?」
「毒に類するものは入っていない、と言いたいのだろうか」
父の顔を出されては拒否しづらい。レグルスはグラスを手に取り、おそるおそる匂いをかいでみた。よく知っている香りが鼻腔を抜けていく。
「これ、父さんから送られてきたのと同じハーブティーだ。学園長にもあげたやつ」
デネボラはため息をついた。
「本番から今までで喉が渇いているのは確かだけど、神の考えることは理解できないよ。こんなの、疑うに決まってるのにね」
神殿で熱と痛みに襲われたせいか、レグルスはひどく喉が渇いていた。
「……飲んでみる」
レグルスは意を決してグラスに口を付けた。少しだけ口に含むつもりが、慣れ親しんだ香りにつられて、そのままごくごくと飲み干してしまった。
「ぷはぁ。怪しいけど、おいしいや」
「……大丈夫そうだ」
ユアンがグラスを手元に寄せると、続いてデネボラも手に取った。
「あれ? おれ、毒味役にされた?」
「キミはどうするんだい? ユアン。サジェに関して、なにか思うところは?」
デネボラはレグルスの呟きをさらりと無視し、ユアンもデネボラに応じた。
「原典の誤りと断じることはできないが、ずっと疑問に思っていることは、ある。気になって、グリーゼ先生に尋ねにも行った」
「それってもしかして、エルトファルがいないってこと?」
レグルスが尋ねると、ユアンは頷いた。
マルコと三人で職員塔までグリーゼに話を聞きに行ったとき――ユアンは、グリーゼにこう尋ねていた。「なぜ、エルトファルは〝月明の剣〟に登場しないのか」と。
エルトファルはカノープスの旅に同行すべく剣の修行に励んだ。その様子を描いたのが〝エルトファルの修行〟だ。だが、このストーリアを最後に、以後、エルトファルは一切登場しなくなるい。
「でも、ユアンはサジェ役だろ。エルトファルは関係あるのか?」
「俺は、あると思っている。グリーゼ先生は、サジェの存在とエルトファルの不在には解釈の余地があると言っていた。登場人物の性格をどう脚色するかということではなく、存在そのものに解釈の余地がある。つまり……」
「エルトファルは、ちゃんとカノープスと共に旅に出ていた。それが、サジェという人物に差し替えられている、ということだね?」
「はい」
デネボラの言葉をユアンは静かに肯定する。
「そうかあ、本当はエルトファルもいたのか」
レグルスはユアンの話を自分なりにまとめ、口に出してみた。そして、
「へぇぇっ!?」
自分の口から出た言葉に自分で驚きすぎて、椅子ごとひっくり返ってしまった。




