第十七節 《月明の剣》 二
神殿の内部は広く、高く、しかも入り組んでいる。内装は目眩がしそうなほどきらびやかで豪奢だ。ユアンたちを探したくても、闇雲に歩いては迷ってしまう。
どう進んだものか悩み足を止めると、白い床の上に小さな金色の炎が灯り始めた。熱を持たない炎が、左右に二つずつ等間隔に並んで道を作る。ユアンのアステラパシーが学園を覆ったときと同じように、アステラの光がレグルスを導こうとしている。
(ユアンじゃない……)
金色の炎は、冷たい。ユアンのアステラならもっと温かいはずだ。この光の主は、レグルスを試している――そんな気がしてならない。だが、今のレグルスには従うほかない。ひりつく焦燥を抱えたまま、硬質な床の上をひとり走った。
「はあ、はあ……ここ、かな」
息を切らしてたどり着いた先にあったのは、巨大な両開きの扉だった。左右の扉それぞれに、三日月と満月が浮かぶ夜空をかたどったレリーフが彫り込まれている。ぞっとするほど繊細な意匠に、レグルスは息を呑んだ。だが、気圧されている場合ではない。両手をつき、渾身の力で扉を押し開ける。
「ぬうぅっ!」
レグルスの身長より遥かに巨大な扉は、当然ながら凄まじく重たかった。だが、レグルスが勝った。扉は、開いた。
扉の先は、神さびた祭壇であり、玉座でもあった。祭壇が背にする円形の薔薇窓はこの世のものとは思えないほど美しく、神殿の主の神聖さと偉大さの両方を示している。それなのに、この祭壇の間は、ひどくがらんとしていて物寂しい。レグルスは疲労を意識の外に追いやって、玉座に向かって走った。薔薇窓の下で、女と騎士が向かい合っている。
「デネボラさん!」
こちらに背を向けている騎士は、深緑の鎧を身につけたデネボラだった。デネボラは振り向き、驚いたように目を瞠ったが、すぐに玉座へと向き直った。レグルスはデネボラの隣に立ち、この場にいるもう一人を見た。
「ああ……あなたを待っていました。ずっとずっと待っていました」
女は玉座に座っていない。薔薇窓を背に、玉座の上に浮かんでいる。
二つのシニヨンから流れる長い黒髪は夜空のごとく、瞳は朧月の光を宿して妖艶に輝く。星明かりを帯びた神々しく幽玄な藍色のドレス。
「剣の主、レグルス・フィーロくん」
「……っ!」
名前を呼ばれた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気がした。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
女の眼光がレグルスを射抜く。
瞬間、ふと脳裏をよぎる。ユアンの母セシリアは言った――彼女に〝移り気な月の呪い〟をかけた純血の月の民らしき人物は、黒髪の女性だったと。
「あなたの席は用意してあります。舞台に立つならば演じたいでしょうから」
ここにいるのは女と、デネボラと、場違いにも制服姿のままのレグルスの三人だけ。今の場面に出演しているはずのイレーナと、ブランヴァ役の生徒の姿はない。舞台袖で出番を待っているはずのユアンや、アンサンブルで出演したマルコはどこにいるのか。
「ユアンくんは、彼の登場するシーンになったら来ますよ。ほかの生徒たちは、残念ながら私に見える資格なしです」
心の中を見透かされたような発言に、
「神に言葉は必要ない。ただ心だけがあれば十分なの」
――戦慄した。レグルスが口を開かなくても、女は答えを返してくる。
「さあ、続きを演じましょう。剣の主よ、あなたの役はブランヴァくんですよ」
女は何気なく告げるが、ブランヴァを演じるのはソール・アステラを宿すナイドルだ。テッラ・アステラを宿すレグルスが演じることは許されない。
「アステラが違うのに、ブランヴァくんを演じていいのかって? そういうところを気にするのは、保守的でよくないですね。実によくない……」
すると、突如、手にしているアステラ・ブレードがごうと燃え盛った。まるで、女の言葉に呼応するかのように。
「ほら、剣は言っていますよ。あなたに資格あり、と」
ようやく、テイアーの言葉に実感が伴った。レグルスのアステラ・ブレードは確かに、テッラとソールの二つの属性を宿している。テッラは地母神に由来する大地のアステラで、紅蓮の炎を放つことは決してない。今燃え盛っているのは、陽主神に由来する太陽のアステラに違いないのだ。
「デネボラさんも、いいですよね? あなた自身が稽古をつけるくらい可愛い後輩ですもの」
「……」
デネボラは答えない。おそらくデネボラは今も、カノープスとしてその場に立ち続け、黒髪の女と向き合っているのだ。
「デネボラさん。あなたの夢……太陽の熱で燃え尽きてしまうくらい、儚いもの」
女の周囲でアステラが渦巻き始める。白や金に光る粒子の中に真っ赤な星がひとつ。頭上には冴えた三日月が輝いている。夜空の星の運行を具現化したかのようなアステラに、レグルスは畏怖すら覚えた。
「ブランヴァくんの演者は舞台に立っています。これでストーリアを再開できますね。さあ、デネボラさん。演じてごらんなさい」
デネボラは黙ったままわずかに顔を横に向け、レグルスを見る。その目には明らかな迷いがある。レグルスは、意を決して口を開いた。自分自身の言葉で語っても許されるとしたら、正式な演者ではないレグルスのほうだろう。
「お前は誰だ。なんでチャリティーをめちゃくちゃにする? イレーナさんはどこだ!?」
女は肩をすくめる。
「一つ目、名乗ったはずですけれど、聞いていなかったんですね。二つ目、めちゃくちゃと言ったけれど、チャリティーストーリアの進行には問題ありませんよ。時間は止めてありますから」
「……時間は、止めてある?」
「ええ。止めている時間を再び動かすときには、全部元に戻りますよ。私がこの舞台を閉じれば、イレーナさん演じる私の登場シーンから、チャリティーは再開しますよ」
女が何を言っているのか、レグルスにはまるで理解できない。
「想像の範疇を超えた出来事に遭遇すると、思考を停止して理解を拒む。弱く儚い、愛しい人たち……一から百まで説明しなければなりませんか」
女は咳払いをすると、ふわりと宙に浮かんだ。
「今このとき、あらゆるくびきから逃れ自由に演じることを、神の名において許しましょう」
羽もなく宙に浮かぶ姿、心を見透かして発される言葉、周囲の景色を一変させるほどの強大な力。
――時間は止めてある。
――神の名において。
荒唐無稽だ。しかし、人知を超えた現象のすべてに説明がついてしまう。
「我が名は月姫神ヴィルジェーニアス。新たな時代の騎士たちよ、神事たるアステラ・ストーリアを私に捧げてごらんなさい」




