天秤
「自分は、公認会計士になりたいです。大学在学合格を目指して勉強しているつもりなので、もちろん1級は勉強します」
進は灰原に向かって冷静に回答した。進はそうだった。初めて会った時もそこはぶれていなかった。お父さんの影響だろう。こういうブレない奴は将来的にきっと大きなことをするにちがいない。僕はといえばブレにブレて、足元から崩れ落ちそうな勢いであった。しかし、それでもなんとかここに立ってはいるのだけれど。
「私は、いい会社に就職したいので1級を頑張って勉強します」
橋本は、就職願望があったことを思い出した。本当に出会った当初そんなことを言っていた。こいつもまたブレないらしい。日が経つにつれて、どうして僕とクリスマスなんかにデートをしてくれたのかよくわからなくなってきた。やはり、僕はブレブレだ。
「僕は、職業的専門家に興味があります。税理士、会計士、その他にもいろいろあると思う。大学教授も良いんじゃないかとも思ってます。だからもちろんやります。」
鮎川らしい、インテリな回答だった。彼は、初めは簿記に悩み、まったくというほどアジャストできていなかった。僕や進の方が簿記の勉強は初めの頃はできていた。しかし、気がつけば持ち前の地頭の良さでカバーして、進と同じくらいの簿記の習得率であった。僕は鮎川にはすでに抜かされたと思っていた。
「あたしにとって簿記部は最高の場所です。将来とかよくわかりません。でも、簿記部を捨てる事はあたしには考えられないので。やります。たとえこの決断が辛いものとなっても」
桜はすっかり、簿記部のマスコット的人間になっていた。しかし、後で気がついたのだが、桜は自分のクラスでは、のほほんとしており、周りのクラスメイトからは「簿記部は毎日せんべいを食べながら、茶をしばいている部活」と、あわや茶道部と勘違いされているとのことだった。鮎川を見ることによって、ぎりぎり簿記部は真面目な部活なのだろうと認識されているに違いなかった。
さて。僕の出番である。
なぜ、僕が最後になったのだろうか。
それは、あの死んだ魚の目をした灰原ケイジという男は、僕が一番迷っていることに気がついたのだろう。
死んだ魚の目は死んでいないのだ。死んだ目をしているのは僕であった。
僕は、入学をしてから今までの約1年間を振り返った。春には電卓を買って、簿記部に入部させられた。夏には合宿と称したバイトに励んだ。これは、いい経験で、働くことの難しさと楽しさを学んだ。秋には文化祭
で野菜を売った。モノを直接お金を出して買ってもらえる喜びを知った。冬には、なぜか簿記部の女の子とデートに行った。あの時はとても可愛く見えた子も、今は特に進展はない(相手はどう思っているのかはわからないけど)
僕は、時々思うんだ。運命というものは確実にあって、僕の考えとは裏腹に勝手に彼らは僕を動かしていると。単なる食堂に惹かれて入った高校で僕は、楽しく生活している。人間としても成長している気がする。決して僕はここまで見通してこの学校を選んだのではない。選んだらこうなったのだ。もちろん、未来まで見据えて決断できれば、これほどまでに人間は苦悩しない。僕らはもっと楽に生きていけるはずだ。
僕の心は決まっていた。あとは、あの死んだ魚の目をしたモサモサ頭に、声高らかに言ってやればいいのだ。僕のこの気持ちと考えを。
「先生」
僕は、声を出した。
「僕は……」




