死んだ魚の目をした死神
灰原ケイジという名の男が突如僕らの前に姿を現した。
先生の予備校時代の知り合いというが、その事実を知ったところで依然として、その風貌は怪しさで満ち溢れていた。
「君たちは、本気で簿記を学びたいのかい?将来的に会計で飯を食べていきたいのかい?」
灰原は僕らをその死んだ魚のような目で僕らに訴えてきた。その口調はゆっくりで、声の大きさもまた静かなものだった。
「ここから先の道は、本気の者にしか進めない道だと思ったほうがいい。言い方は悪いかもしれないが、君たちがここまでやってきたのは、あくまでも部活であり単なる検定試験マニアが試験を受けていたようなものだ。しかし、1級からは違う。1級の勉強をすることと引き換えに失うものは多くなると思ったほうがいい。楽しい高校生活、旅行、アルバイト、などなど。普通の高校生が遊んでいる間君たちはひたすら電卓を叩き続ける。問題と向き合う。他の人たちは楽しく生きているのに、君たちは悶々と苦悩していくんだ」
淡々と話すその話は少し恐怖すら覚えた。そして、何を大げさなことを先生は言っているのだと思った。僕はその時、周りのみんなが真剣に灰原の方を見ていることに気がついた。僕だけが、懐疑的な姿勢だった。
「やるからには、最終的には職業的専門家を目指す気持ちでやってほしい。そうすれば、1級はすぐに受かる。モチベーションも高い水準をキープできるはずだ。会計で飯を食う気がないのであれば、やめたほうがいい。高校生の君たちに決断を迫るのは早いのかもしれない。しかし、人生はいつだって突然のさ。そして、その突然が、今だということだ」
次第に、灰原の死んだ魚のような目に僕は恐怖を覚えた。この目の前の男は何を言っているんだ。いきなり怪しげな姿で、怪しげな行動で現れてたと思ったら、人生の選択を迫る。大きな鎌こそ持っていないが、まるで死神ではないか。僕はこいつに殺されるのか。例えば、ここで「会計で飯を食う気はなくで、サッカー選手とか野球選手とか、プロスポーツ選手として食べていきたいので、簿記は勉強しません」などと、今の僕とは到底かけはなれている職業を思い描いたとしたら、目の前の死神は僕に何て言うんだ。
僕は、生まれて初めて人生の決断というものを迫られているのだ。決断をしたところで、僕は死なない。しかし、決断をするということはもう片方の選択肢を切ることになる。僕はその瞬間、選ばなかった選択肢の何かを失うのだ。
1級の検定試験を受けないという選択肢を選んだ場合、僕の高校生活は次第に色づいていく。きっと可愛いような可愛くないような普通の女の子と付き合って、人並みにバイトをして、卒業旅行と称して国内か海外に旅行にいく。しかし、その場合、この周りの仲間とは多分一緒にはいられなくなる。
1級の検定試験を受けるという選択肢を選んだ場合、四六時中簿記のことを考えて、一発合格を目指してひたすら勉強する。でも、きっと辛い時でも仲間が一緒に勉強していて、助けてくれるはずである。楽しい楽しい高校生活と引き換えに、僕は一生付き合える仲間を得られるかもしれない。
「あと10分後にみんなの気持ちが聞きたい。それまでは、誰一人としてしゃべってはいけない。これは、人生がかかっていると思ってほしい。だから、自分の気持ちで考えてほしい。人の意見に流されてはダメだ。自分で選びとって、回答してほしい」
10分はあっという間だった。そして、目の前の死神は、僕らに回答を求め始めたのだった。




