18.複雑な家庭事情
他人の不幸は蜜の味、ということわざがある。
他人が災難に遭ったり失敗したりした時に、それを蜜のように甘美な快感として喜んでしまう人間の心理を表すことわざ。
人の不幸を喜ぶなど、本来ならあってはいけない。分かっているのに佐々木が暴漢にあったと聞いて、喜んでしまった⋯⋯。
最低だな。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「いや、なんでもない」
妹に心配をかけてしまった。自己嫌悪に浸るのは後にして方がいいな。いったん、落ち着こう。気持ちを落ち着かせる為に深呼吸する。
再び視線をテレビを戻す。ニュースを見る限りでは佐々木はまだ意識を取り戻していない。また、犯人の姿を目撃した者はおらず、情報の提供を求めている状態。
金銭を取られた形跡はなく、強盗目的の犯人ではないと推測されている。佐々木個人のトラブルか?
「⋯⋯⋯⋯」
いや、真面目に考えるような事ではないな。
知り合いや友達ならともかく、佐々木がどうなろうと俺には関係ない。動機であったり、犯人が誰が探すのは警察の仕事だ。
「俺はもう、上に上がるよ」
「了解ー。わたしももう少ししたら部屋に戻って勉強するんだ」
「そうか。頑張れよ」
「うん!」
飛鳥には近所で暴漢が出たので気を付けるように言っておいた。念の為、迎えに行こうかと提案したが、必要ないと拒否されてお兄ちゃんは少し悲しかったです。
そんな冗談は置いておいて。
飛鳥と明日菜は万が一に備えて催涙スプレーと防犯ブザーを常に持ち歩いている。加えて、家から学校の往路は登校時間や下校時間はそれなりに人が多い。
愉快犯でもなければ人の行き来の多い場所で犯行には及ばないだろう。とはいえ、心配なのは変わらないので、早く犯人が捕まって欲しいと強く思う。
───嗚咽がイヤホン越しに聞こえてくる。レオさんの声だ。
『それで、親権を奥さんに取られちゃったんだ』
『そうなんだよぉぉぉ⋯⋯!!』
机をバンバンと叩いて悔しそうに男泣きしている。こんなレオさんは初めて見る。余程に悔しくて辛くて、悲しいのだろう。
「母親が有利なのは知ってましたけど、職業も影響するんですね」
『まー、判断材料にはなるんじゃないかな?』
俺と猫大福さんが話している後ろではレオさんの嘆きの声がBGMのように流れていた。この様子では、復活するまで時間がかかるだろう。
その間、情報を整理しておこう。
猫大福さんとレオさんとは時間きっちりに合流した。レオさんとボイスチャットで話すのは二ヶ月ぶりだったので、懐かしいという気持ちが込み上げてきたものだ。
挨拶もそこそこにお互いの近況を報告し合っていた。猫大福さんはこの二ヶ月特に変わりはなかったので、ブロッククラフトを初めて今ハマっているとレオさんに言っていたな。
レオさんもレオさんで、ブロッククラフトは子供と一緒に遊んだりしていたらしく、ゲーム知識はしっかりあるようだった。
だからと言って、まだ初心者と変わらない猫大福さんにラスボスについて話すのは頂けない。ネタバレはダメゼッタイ! 俺にしては珍しく猛抗議したものだ。
続いて、レオさんが近況報告をしてくれたのだが⋯⋯なんというか⋯⋯うん。予想はしていたが離婚や親権についての話だった為、非常に重たい話だった。
それだったら先に俺の近況報告をさせてくれよと、心中で思ったくらいだ。それはさておき。
既にレオさんと奥さんの離婚は確定している。二人が揉めているのは、溺愛している娘の親権をどちらが取るか、その一点である。
結果については先程のやり取りで分かる通り、親権は奥さんの方にいった。
日本という国は元々、母親の方が親権を取りやすい傾向におる。前にレオさんが話していたが『母性優先の原則』が適用されやすいらしいとか何とか。
『子の利益』に基づき、監護の継続性、経済力、愛情、子供の意思などの総合的な判断で決まるらしいのだが、今回の場合の争点となったのが過去の監護実績と安定性。
レオさんは娘さんを溺愛しており、積極的に育児に参加していたようだが出産後2年間の育休を取っていた奥さんと比べると子供と過ごした時間に大きな差が出ている。
家族を養う為に日中は仕事をしないといけないので致し方ない部分ではあるが、母親の方が娘さんと長く接して世話をしてきた実績があった。
また、親権は「子がこれまで誰と過ごし、誰が世話をしてきたか」という現状維持が最優先されるため、経済力よりも養育の継続性が重視される。
経済力という点だけで言えばレオさんの方が奥さんと比較して二倍近いの差があると語っていた。
「レオさんは営業職ですよね? インセンティブ?とかも多いとかで同年代に比べたら給与はかなり多いみたいですけど」
『子供の育児にはお金がかかるから経済力があるに越した事はないけど、レオさんの場合は出張とかで家を空ける機会が多いみたいだからねー』
「そっか⋯⋯今までレオさんが出張中の間は奥さんが娘さんを見ていたから問題なかったけど、レオさんが引き取った場合は娘はお留守番か」
『レオさんはその場合は両親に頼るつもりとは言っていたけど、出張とか急な出勤のない奥さんに比べたら不利だよねー』
レオさんの奥さんは確か、保育士さんだったかな? 育休が終わったら職場復帰して、職場である保育園で娘の事も見ていたとか⋯⋯。うん、勝てる要素ないじゃんこれ。
父親が親権を勝ち取れる場合は母親の問題があるケースが多い。虐待、ネグレクト、育児放棄、病気などで精神的に不安定だったりするとに父親が取れたりするんだけど⋯⋯レオさんの話を聞いている限りでは奥さんは該当しない。
後は、離婚前から主に父親が育児をしており、子供との関係が深い場合⋯⋯これも主に育児していたのは奥さん。レオさんは仕事が終わって帰宅してからや、休日のみ。どうやっても奥さんに勝てない。
子供の意向も重要視はされるが7歳の場合はどうなんだろうな?軽く調べてみた感じだと10歳以上が目安のようだし。
加えて、娘さんが奥さんを嫌っている様子もないんだよな。それはレオさんも同じ。両親の事がどっちも大好き。
そう考えるとキツイのは子供だな、これは。娘さんからすれば大好きな二人とは別れたくないだろう。それでもどちらか片方にしかついていけない⋯⋯7歳にして苦渋の決断か。
「娘さんの事を最優先に考えるのであれば別れないのが、正解な気もするけど」
『離婚が確定しているくらいには夫婦仲、冷めちゃってるっぽいしねー』
レオさんと奥さんの今の関係性は夫婦というより同居人。お互いに子供の方を優先する為、夫婦での会話は少ないらしい。
普通なら子供を中心に夫婦で会話が盛り上がると思うのだけど、それがないって事は相当に冷えきっている。原因はおそらくコミュニケーション不足だと思うんだけど、どうなんだろうな。
「まーでも、奥さんが子供の事を思ってかなり譲歩してくれてますよね?」
『一週間に一度は会わせてくれるみたいだしねー。月に1回程度が標準らしいよレオさん』
猫大福さんが話しかけると『オレは毎日エミリーに会いたいんだー』って叫んでいるのが聞こえた。本当に娘さんを溺愛しているなー。
それにしても、娘さんの名前⋯⋯初めて聞いたな。なんだかんだネットリテラシーを意識しているのか名前で呼ばすオレの娘は、なんて自慢していたけど。
今は感情的になってるからそれところではないのか。
『エミリーちゃんって言うんだね。珍しいねー、どういう漢字を書くの?』
『エミリーの字はカタカタかロシア語だ』
───ロシア語?
「もしかして、娘さん⋯⋯というより奥さんが」
『ウイング君の想像通り⋯⋯ロシアの人だ』
なるほど⋯⋯価値観の相違ってお国柄的なものもありそうだな、うん。そうなると俺たちには何も言えない。
レオさんにとって幸運なのは、離婚後に国に帰らない事なんじゃないか実はいうと?
『ちょっとは落ち着いた、レオさん?』
『いや、まだ受け入れられない⋯⋯エミリーと一緒に暮らせないなんて⋯⋯生きる意味もないじゃないかぁ⋯⋯』
───めんどくさい。
言葉にはしなかったが、心中でつい毒づいてしまった。とはいえ、先程からこれの繰り返しだからな。めんどくさいと思ってしまうのも仕方ないだろう。
『でも、レオさんが生きて、しっかり働かないとエミリーちゃんが成長できないかもしれないよ?』
『エミリーが?』
『いくら日本とはいえ、育児しながら奥さん一人で子供を育てるのは大変だよ。子供を優先しながらになるとどうしても収入は落ちちゃうから』
子供が熱を出したとか、学校の行事とかで仕事を休む必要性は出てくる。離婚する直前まではなんだかんだ母さんが仕事を休んで対応をしていてな。
『レオさんが生きる意味がないって死んじゃったり仕事辞めたら、同じくらいエミリーちゃんも辛い人生送るかも⋯⋯』
『それはダメだ!!!』
『なら、頑張ろうよ。離婚が決まってエミリーちゃんとも別れることになって辛いのは分かるけど⋯⋯週に一回も!エミリーちゃんと会えるんだよ!1週間仕事をしたご褒美にエミリーちゃんに会えるって思って頑張ろうよ!パパなんでしょ!レオさん!』
『そうだな⋯⋯もう決まった事だから、どれだけ不満を言っても覆らない⋯⋯考え方を変えるのが一番か⋯⋯。格好悪いところ見せてすまんな、猫大福さんとウイング君!』
猫大福さんの励ましでレオさんが復活した。
とてもいい事なんだが⋯⋯猫大福さん、数時間前にストーカーだって自白してたんだよな。
それがなかったら、俺も感動していたんだけど⋯⋯。まぁ、レオさんが元気になったから良しとしよう。
『それで、ウイング君は最近なにかあった?』
この流れで聞くことか、それ。言い難くて仕方ない。
『メイドカフェでメイドさんとして働く事が決まったよ』
それで、なんで猫大福さんが俺の代わりに近況を話しているんだ!
『ウイング君がメイドさんとして!?その話詳しく!!』
そんでもって、なんでレオさんもその話題に食いつくんだ!数十秒前のやり取りからの切り替えが早すぎてついていけない⋯⋯。
「食いつきすぎじゃないですか?」
『いや、オレも高校生の時の出し物でメイド服着たからさー!懐かしくなって!』
『レオさんもメイド服着てたんだねー』
『まだ写真残ってたと思うから二人に見せるわ。ちょっと待っててくれよ』
男のメイド服など見たくないという思いと、自分もメイド服を着るのでどのような印象になるか知りたいという思いがちょうど半々くらいでぶつかり合っている。
『よし、送ったぞ』
早いな。なんというか手際がいい。メッセージを見ると写真が送付されている。メッセーネットリテラシーがしっかりしているレオさんは顔の部分を加工して分からないようにしていた。
『うわぁっ』
「うわぁ⋯⋯」
レオさんのメイド姿の写真を見た俺と猫大福さんの第一声がコレである。声だけで写真の印象が判断出来るだろう。
『二人してそんなドン引きするなよ!悲しくなるだろ!』
「いやだって、足の処理してないから⋯⋯」
『ボーボーだよ、レオさん。流石にキモイかな』
すね毛ボーボーでメイド服着てたら流石に引くって⋯⋯。猫大福さんも俺と同じ感性で良かった。
『おいおい、そんなに言わなくてもいいだろ。それにオレ、この格好で一番売り上げ良かったんだぜ⋯⋯メイドさん、萌えーなんて歓声をたくさん浴びて目覚めそうになったくらいだ』
『レオさんって男子校だっけ?』
『男子校だけど、それがどうかしたか?』
『いや、世の中は広いなーってボクも改めて思ったんだ⋯⋯』
世の中にはマニアックな人もいる。それでもメイド服着るのはやめておこうと、決意した今日この頃であった。




