勿論、合鍵持参です
――いいお湯だったわ。
お風呂を使わせて貰い、私は自室へと戻ってきた。
ふんわりと体からほのかに香る匂いが、いつものと違う。
石鹸も乾燥対策に塗られたボディーオイルも違うから当然。
でも、それがちょっとだけ寂しい。
少しずつマイナスになっていく思考を断ち切るために、私はゆっくりと部屋の奥にある窓辺へと足を進めていく。
天井にかけられているシャンデリアの明かりに揺られている周りの景色は、今日の夕方から滞在してまだ間もないというのに、あちらこちらに旦那様の気配を感じるせいか心を落ち着かせてくれていた。
本棚に詰め込まれた難しい本、それから天体望遠鏡……それが、実に旦那様らしい。
私は辿り着いた奥にて、窓を開けバルコニーへと出た。
広がる闇夜には、綺麗なまん丸な月が輝いている。
その周りには、散りばめられたダイヤモンドのような星々が。
肌に纏わりつく風は、お風呂上りの温まった体温を一気に奪い去ってしまう威力を持っていた。
そのため私は一瞬だけ眉を顰めたけれども、部屋へ戻る事はしなかった。
その代わり夜着の上に羽織っているカーディガンのボタンを閉めるとすぐに、温まっている部屋の空気を逃がさないように窓を閉める。
別に天体観察なんて趣味はない。
でも私と違って旦那様は、好んでよく眺めている。
屋敷に居た頃、時々旦那様に付き合って星々を眺めていたっけ……
星座の見方なんかを解説してくれている旦那様は、とても輝いていた。
本当に好きなんだな~って、こっちまで嬉しくなるぐらいに。
もしかしたら、旦那様も見ているかなぁ。
「うちに帰りたい……」
城での生活は快適。
夕食も国王様も、王妃様達も歓迎してくれ良くしてくれている。
不自由なんてしてない。衣食住屋根付きの生活で有り難い。
でも、それでも心が望んでしまう。旦那様が傍に居てくれる事を――
兄さんは旦那様にちゃんと気持ちを伝えろって言ってくれたけれども、
『好き』って言ったらどんな反応するだろう?
きっと信じて貰えないかもしれない。
だって、最初が孤児院のお金のためってはっきり言っちゃったし。
それに旦那様も縁談避けで私と結婚したのだから。
「旦那様、いま何しているのかな?」
ふと呟いたその台詞と共に、頭に浮かんだのはメサイアさんと旦那様が二人で仲良くしているシーンだった。しかもあのワイングラスを使って楽しそうに、食事をしている場面。
よりによってそれって……
どうやら自分は思ったよりもあの二人の過去に囚われているらしい。
もしかしたら、あのワイングラスと今朝のパン屋騒動が尾を引いているのかも。
自分で生んだ思考なのに、気分が悪い。しぼんでいく心に肩を落とした時だった。
――トントントン
と、部屋の扉が叩かれる音がこちらに伝わってきたのは。
そして「姉上! 本を持ってきましたよー」という天使のような声が耳に届く。
どうやらニクスがやって来たようだ。
夜だというのにまるで太陽のような明るい声に、私は思わず口元が緩んでしまう。
「入っていいよ!」
私はそう声をかけると、振り返り窓を開け部屋へと戻っていく。
背後で見守る月に惹かれながら。
+
+
+
「――……こうして南海の王は、戦乱の世を治めるため…って、もしかして寝ちゃったかな?」
つい先ほどまで朗読していた本を畳み膝の上へと置くと、顔を左側へと向けた。
するとそこにはすやすやと寝息を立てているニクスの姿が。
枕と寝具に身を沈ませ、夢の世界の住人となっている。
「眠っている時は、まだまだ子供なんだけどなぁ……」
いつも大人びたニクスだけれども、眠っている姿は年相応で可愛い。
私は笑みをこぼしながらニクスの髪を梳くように撫でると、一度寝具から降りてベッドサイドにある明かりを消した。
早いけれども、私も寝る事にしよう。起こしてしまうのも悪いし。
「おやすみ、ニクス」私はそう小声で告げると、そのまま彼の隣へと潜りこんだ。
+
+
ん……――
なんだかくすぐったい。顔のあちらこちらを触られているようだ。
そのため私は折角夢の世界の住人となっていたのに、ゆっくりと意識が現実の世界へと戻されていく。
あれからどれぐらい経過したのだろうか?
ぼんやりとした寝起きの頭では、今は真夜中なのか、朝なのかわからない。
それを確認するためにゆっくりと瞼を開けると、暗闇の中にぼんやりと浮かぶ旦那様の姿が。
寝具に座りながら彼は腕をこちらに伸ばしているらしく、くすぐったい原因はこれだろう。
あぁ、これはきっと夢。
だって、旦那様がこんな時間にこの部屋にいるわけがない。
それにちゃんと戸締まりだってしている。扉だって施錠済みだ。
――……いい夢。初めて見る旦那様の夢だわ。もしかしたら、旦那様に会いたいと思っていたせいで夢に現れたのかも。
「ヒスイさん?」
「んー……」
あぁ、このまま覚めなければいいのに。
そうすれば、ずっと一緒に居られる――
自分が見せた幻でもいい。一秒でも多く目に焼き付けたい。
その思いから私は目をはっきりと開けたいのに、中途半端に覚醒したせいか、
襲ってくる眠気により格闘を強いられていた。
眠い……段々と下がってくる瞼にあらがえない。
でも、夢ならば思い切って言ってしまえばいい。自分の気持ちを。
「かえり…たい…で…す…」
「それは何処へですか?」
旦那様の居る屋敷。旦那様の隣に居たいんです。
そう告げたいのに、もう意識が限界。
ものすごい力で、夢の世界へと引きずり込まれていってしまっている。
「眠いですよね。すみません。起こしてしまって……おやすみなさい、ヒスイさん」
旦那様はそう告げると、覆い被さるように屈み込み、私の額に口づけを落とした。
それを合図のように私の瞼は完全に閉じ、旦那様とお別れをしてしまった。
+
+
+
(ライト視点)
「……眠ってしまわれましたね」
目がとろんとしていたヒスイさんだったけれども、とうとう我慢できなくなってしまったのか、瞼を閉じて寝息をたてはじめてしまった。
きっと彼女は今の出来事が夢だと思うだろう。
まさか僕が合い鍵を持っているなんて思ってもいないだろうから。
僕はニクスの寝相で少しずれた布団を直すと、もう一度ヒスイさんの髪を梳くように撫でていく。
ずっと触れていたい。この可愛い妻に。
でも、名残惜しいが屋敷へと帰宅するとしよう。
このまま室内へいては、僕がヒスイさんを連れ去り、逃避行してしまいそうになるから。
そんな無責任な事は出来ない。それは全てが解決してからだ――
忍び足で部屋を出ると、丁度イレイザ兄さんと廊下でかち合ってしまった。
彼の両手には数冊の書物が。そのため、大きなあくびを隠しきれていない。
こんな時間まで仕事とは、もしかしたら何か裏で動いている組織があるのだろうか。
「お、ライトじゃん」
「こんな時間までお仕事ですか? ご苦労様です」
「ほんと、お疲れなんだよ……なんか密売集団がこの国に来たらしくて、調査書作成して最近寝てないんだ。その上、昨夜はお前がアクセラに連行…――って、はぁ!? なんでお…ふがっ」
「大声出さないで下さい」
慌てて兄さんの口元を手で覆い、辺りを見回した。
幸いな事にすぐ傍の部屋では何も異常はない。他の部屋の扉は閉じられたままだ。
「ヒスイさんが起きたらどうするんですか! お仕事で朝が早いんですよ。睡眠時間は貴重なんですからね」
「お前、何してんだよ!?」
「ヒスイさんの寝顔を見に来ました」
僕はそう兄さんへ告げると、ポケットから鍵を取り出し施錠する。
兄さんの顔が引き攣っているがそんな事はどうでもいい。
可愛い妻の寝顔を見て、僕はものすごく機嫌がいいから。
「それでわざわざ侍女に自分の部屋を案内させたのか! 合鍵で忍び込むために。てっきり盗聴関係だと疑って、アクセラと一緒にわざわざ室内を隈なく検査したんだぞ!」
「何故、そんな不名誉な疑いを」
「悪かった。やりすぎだと思ったんだけどな。一応念のためにさ」
「本当に心外ですね。機械を通してではなく、直に聞きますよ。どうせなら、天井裏に忍び込みます」
「……結局覗くのは変わらないのか!?」
イレイザ兄さんは若干引き攣った顔をのまま、後ろに仰け反った。
「あのさ、お前も少し冷静になれって。ちょっと落ち着け」
「僕は落ち着いてます」
「いいか? 自分の部屋だとはいえ、勝手に淑女が寝ている寝室に入るなって。お前が寝ている間にヒスイが合鍵使って寝顔見ていたらどうする?」
「夜這いですか!? 大歓迎です」
いつでもどうぞの状況でお待ちしておりますよ。そんなの。
「違うっ! お前の頭には花が咲いているのか!? 兄弟姉妹で一番頭が良いはずだろうが! ヒスイ以外に置き換えてみろ」
「……即刻捕らえます」
他人が忍び込んで僕の寝顔を覗き込んでいるなんて、気持ちが悪い。
早急に警備を見直し強化する。
「だろ?」
「えぇ。ですが、僕とヒスイさんは夫婦です」
「あ、うん……けれどもな、ほら距離感って大事じゃないか。やっぱ、いっぺん牢に……いや、やっぱいい。牢を隅々まで観察して、参考に地下室作りました! なんて言われると、ヒスイに顔向け出来なくなる」
「わかっています。自分でも異常なぐらいにヒスイさんに固執しているのは」
「わかってんのか。なら辞めろよ」
「無理なんです。もうヒスイさんが居ない生活に戻るのが……屋敷が自分の家じゃないみたいなんですよ。彼女が居ないだけで……」
「ライト、お前……」
「愛しすぎているのかもしれません。これも全てはヒスイさんの可愛さが原因です。うちの妻は魔性ですからね。他の男まであの可愛さと強さに惹きつけられてしまう」
「まぁ、気持ちはわからないでもない……のか?」
「何故疑問系なのですか?」
「いや、俺はヒスイの事は魔性って思った事ないし」
あぁ、それはきっと兄さんが見る目がないんだろう。
でも、もし目覚めてしまったらきっと妻の事を好きになるはずだ。
「なぜ、そんな生暖かい視線を向ける!?」
「いえ、別に」
「まぁ、いい。それも大事だが、メサイアの件はどうなった? 調査しているんだろ」
その台詞にぐっと眉間に皺が寄るのを押さえられなかった。
たしかに調べさせている。けれども、あまりこれと言って収穫はない。
リヴァンの件も合わせて話し合うように、メサイアの夫・ジデン小国のイールド伯爵
へ手紙を出している最中だ。
僕はヒスイさんとお兄さんを見て、何より愛情が大事だと感じている。
二人は血の繋がりはなくても、お互い信頼しあった家族。
だから仮にリヴァンが僕の子であった場合、イールド伯爵はどうするのか? それを尋ねたかったのだ。
「えぇ。ですが進んでないんですよ。どうやら伯爵は王族に対する謀反の疑いがかけられているらしいです。そのため今軟禁状態で真正面から彼に逢う事は難しく。ですからジデン小国に顔が効く、友人のヴィー王子に手伝いのお願いを手紙で出しました」
「そうか、隣国の」
「えぇ」
しかし、どうもタイミングが良すぎる。
メサイアが急にリヴァンが僕の子供だと言い出した事。
そしてこの国へとやって来た事も。
もしかしたら何かもっと大きな騒動になるかもしれない――
「謀反か。なんか怪しいな」
「えぇ。メサイアはきっと何か企んでいるのかもしれません。彼女は頭がいいですから。そんな所も好きでした」
「おい」
「過去形ですよ。愛する妻は一人だけです。小さくて可愛いヒスイさんだけですよ。リヴァンが僕の子供であっても、ヒスイさんとは離縁なんてしません。もしヒスイさんに離縁を言い渡されたら、僕は……――」
どうなってしまうのだろう? 自分の事なのにわからない。




