間章 兄弟
「……それで、偵察途中の祭りはどうだった?」
リーベルデ国王であるギルディアは漆黒の前髪をかき上げると書類から目を離し、己が座っている執務机前にある応接ソファへと視線を投げる。そこに座っている白銀の騎士服の男に対して声をかけたのだ。
だが、王と目と鼻等のパーツのつくりが少し似ている彼は、テーブルの上に広げられている世界地図から目を離さず同じ体勢を取ったまま。まるで何事も耳に届かなかったかのように。
そんなただ静かな時だけが支配している空間の中に、窓の外から黒と白の竜が描かれた国旗がたなびく音が答えを急かすかのように大きく奏でた。
「……兄上はもう報告を受けているのだろ?」
やっと放った騎士のその問いかけに、ギルディア王は苦笑いを浮かべた。
「あぁ。ジルドと会ったそうだな。懐かしい。あいつは変わりなかったか?」
「訊きたいのはそっちじゃないはずだが」
「……まあな。単刀直入に問おう。それでどうするつもりなんだ? 俺としてはお前が嫁を貰うのには大賛成だ。だが、相手は契約結婚と言っても人妻。しかもあのヴァン王国だ。あそこは大国故に厄介だぞ。魔術師としての最高ランクを持つイレイザ王子がいるからな。彼だけではない。王もだが、あそこは王子達も優秀。そのため軍事国家として最強を誇る我が国でも戦なとしたくはない。俺としては、さっさと諦めて欲しい所なのだが」
ギルディアは同母を持つ弟である、アルフレッドに対してそう口にした。
だが、肝心の彼はただ口角を上げる仕草をするのみ。
それにはさすがのギルディアも嘆息を漏らす。
「おい、頼むぞ。無理矢理奪ってきたとか、そういう事だけは辞めてくれよ。本当に頼むから」
「問題ない。ヒスイはきっとライト王子との別れを考えるはずだ」
「何を自信満々に……」
「兄上はご存じないのか? あのライト王子の元婚約者・メサイアという女が嫁いだ先を」
「知らん」
「ジデン小国のイールド伯爵」
それには、ギルディアは目を大きく見開く。
そして何か思うところがあるのか、「あぁ」と呟いた。
「なら、可能性が無きにしもあらずか」
「きっとヒスイは身を引くはずだ。性格的にな。それにあの女は我が身可愛さに、遠慮無しにヒスイの弱点を突いてくる。だから兄上。俺としてはそこを狙い、ヒスイを妻としてこの国へ連れてきたいんだ。だから今度の――……」
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――……どうしましょう。幸せすぎます。
腕の中で眠っている可愛い妻を眺めながら、僕はこの幸福感を噛みしめていた。
新婚旅行から帰国して数日が経過。僕とヒスイさんの距離は少し変わりつつある。
まず一つめが、ベッドを共にしているという事。
ヒスイさんの夜這い騒動以降、結局ニイゲル国で僕たちはずっと寝室を同じにした。
恐らく寝具が高すぎて眠れなかったのだろう。ヒスイさんが次の日の夜も眠れずにやってきたせいだ。
そのため、「手間がかかるからので、最初から旦那様と一緒に寝ます」というヒスイさんの宣言により一緒のベッドに。
言わずもがな帰りの汽車は、あのイレイザ兄さんのせいで部屋を替えられたので結局行きと同じ。
そのため共に過ごす事に慣れ、こちらに戻って来てからもその流れで自然に。
そして二つめが、自分の気持ちに気づいたという事。
ヒスイさんの迷子騒動やアルさんという謎の騎士の存在に、自分がヒスイさんに惹かれていることを知った。
たしかに元々ふとした瞬間に頭を撫でたいとか、抱きしめたいとかは思っていた。
だが、それも彼女が醸し出しているリスのような愛らしさからくるかと……
どうやらそれが愛情だったらしい。そう気づいてから、その症状が悪化している。
いつも傍に置いておきたいし、誰の目にも触れさせたくはない。
もういっその事ヒスイさん用の檻をオーダーして閉じ込めたいという、若干危険な思考すら行動に移そうとしたレベル。
けれどもそんな事をしてしまえば、ヒスイさんが窮屈な生活を強いられてしまう。
かといって放っておくと、またアルさんのような厄介な相手の心を奪ってきそうだ。
「……本当にヒスイさんは罪作りですね。ご存じですか? そんな可愛い妻と一緒で幸せなのですが、僕も男なんですよ」
そう呟きながら、すやすやと寝息を立てているヒスイさんの金糸のような髪を撫でていく。
正直言えば、いろいろとヒスイさんにしたい。
結婚しているのだから問題はないが、僕達は契約結婚だ。
そのためきちんと思いが通じ合っている夫婦のように、自然にそのような関係にはなりにくい。
この思考がダダ漏れならば、きっとイレイザ兄さん辺りに「お前も狼なんだなぁ!」と、からかわれてしまうだろう。あの人はそういう人だ。
――……きちんとこの気持ちと向き合わなければなりませんね。
もし、僕が好きだと告げればどんな反応をするのだろうか?
案外、「そうですか」と淡泊に切り捨てられそうで怖い。
むしろ恋愛に興味があるのですかね……?
書庫に時々訪れるようだけれども、恋愛物語というよりは冒険物を借りてくる始末。
以前誰かと恋愛したとか、そのような恋の話も伺った事がない。
「あぁ、でも……」
ふと思い出したのは、ヒスイさんが以前言っていた内容――青い薔薇の話だ。
花屋の娘が騎士にプロポーズされるときに、抱えきれない青い薔薇を貰うという物語。
青い薔薇ですか。希少価値があってなかなか手に入らないとも言ってましたね。
これはヒスイさんのお兄さんに内密にご相談をしなければ。
それを渡していっそ玉砕覚悟でプロポーズしましょう。
そう覚悟を決めていると、何やら小さな呟きが耳に届く。
「ん……か……に」
「え?」
寝返りを打つ物音に混じり届いたそれに、僕は意識と視線をヒスイさんへと向ける。
するとこちらへと体を横向きにしていたのに、反対側の窓方向へ。
寝言だろうか。まだ何か言っているのが聞こえる。
体を起こし屈み込み、その可愛らしい口元へと耳を近づければ理解出来た。はっきりと。
「蟹、海老、帆立……」
その耳に触れた寝言に、つい吹き出してしまう。
どうやらあの旅行で、海鮮が気に入ったらしい。
――また一緒に旅行に行きたいですね。
きっとまた珍しい食べ物に目を輝かせる事でしょう。可愛い妻の事ですから。
さて、次はどの国に行こうかと思いを馳せていると、控えめなノックが部屋に響く。
サイドテーブルの時計へと視線を向ければ、朝食にはまだ早い時刻。
こんな時間に使用人がやってくるのは、あまり良い予感がしない。
「旦那様。イレイザ様とアクセラ様がいらっしゃっております」
兄さんならば、こんな早朝訪問にも納得はできる。だが、もう一人附属してきた名に僕は眉を顰める。
弟であるアクセラまで来るとなれば話は違ってくる。
もしかしたら、何かあったのかもしれない。
「すぐに着替えて参りますので、応接室へ通して下さい」
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「お待たせして申し訳ありません」
応接室の扉を開ければ、ソファにイレイザ兄さんとアクセラが座っていた。
彼らの険しい顔を窺い、やはり何か面倒な事になっているのを改めて察する。
そのため人知れず嘆息を漏らしそうになるが、それを飲み込み反対側の席へ。
「いえ。こちらも早朝から忙しなく訪問し申し訳ございません。姉上も本日はお休みと伺いました。
せっかくの二人でゆっくりとお休みしていたのに……」
騎士服に身を包んでいるアクセラは、そう口にしながらも眉を下げている。
アクセラは第二騎士部隊の隊長であり、僕の母違いの一つ下の弟だ。
しかも一緒にやってきたのは、イレイザ兄さん。
こう見えても兄上は良くできた人。時々余計な事をやるが、それはプライベート。
仕事となると、魔術師集団・影の豹という対犯罪者組織の纏めている。
はっきりと言えば、有能。そのため他国からも一目を置かれていた。
「何かあったのでしょうか?」
「……ライト。お前、ロッデの内戦が終結するかもしれないって言っていただろ?」
「えぇ」
それは新婚旅行の土産をイレイザ兄さんに渡すときに尋ねた。ヒスイさんがアルさんに訊いたという話を。
その兆しがあるのかどうか。その時に兄上は「無い」と口にしたはず。
「これを見ろ」
イレイザ兄さんは手にしていた書類を僕へと渡してくる。
それを受け取り文字を追っていけば、自然と顔が険しくなっていくのが自分でもわかった。
それはヒスイさんの祖国であるロッデの内戦データ。
諜報機関が手に入れたであろう、それが示す異変。
「反乱軍の武器が最新に切り替わっていますね。それに食料の備蓄量と兵の増員……」
「今朝、部下からその調査書が上がってきた。恐らく反乱軍が勝ち、遅くてもあと一月以内には終結を向かえるばずだ」
「資金源は裏で密かに介入している国でしょうか?」
「……だろうな。恐らく何か利用価値があるものがロッデにあったんだろう。そう考えると、ヒスイが出会った謎の騎士が他国に詳しいことも納得できる。恐らく内偵調査していたんだろうな」
やはりニイゲルで出会った騎士はただ者では無かった。
まだ正体は不明だが、ヒスイさんはとてつもなく大物を吊り上げてしまったのではないのだろうか。
「それで、その国は?」
「アクセラが白銀の騎士、双竜というヒントから、候補としてはリーベルデ国じゃないかって」
イレイザ兄さんは横に座るアクセラへと視線を向けた。
「えぇ。あそこなら軍事国家ゆえ、戦に関しても才があります。それに何度かこのように介入した事例がありますので」
「では、ヒスイさんを口説いたのはリーベルデの騎士と?」
「断定はできませんが恐らく……しかも機密事項を取り扱う、秘密機関のような組織に属している者。かつ、それを統治している方でしょう」
アクセラの揺るがない瞳がこちらに向けられている。
それはほとんど黒だということだろう。
「まぁ、あれだ。誰だかわからないが、相手もヒスイが人妻と分かったんだろ? だったら国際問題になるような事なんてして来ないはずだ」
「……母上が独身の頃、国同士の戦の火種になりかけました」
「たしかにリリアン様はあの美しさからだったけどな。だが、リリアン様とヒスイはジャンルが違うだろうが。ヒスイは小動物系だ」
「アルさんは、『また』と妻に告げたそうですよ……」
「なんだ、それ。諦めてないって事か」
「うちの妻は魔性なんです。あぁ、やっぱりニイゲルで檻を買っておけば良かった……」
「えっ!?」
「はぁ!?」
本当にうちの妻は魔性過ぎる。
やはり可愛すぎるのが原因でしょうね。あと、警戒心の無さ。
自然に嘆息が漏れるのは致し方がない。
「おい、ちょっと待て! 檻ってなんだ! 檻って」
「檻ですか? 動物を閉じ込め……――」
「違う! 俺だって檻がなんなのかわかるぞ。お前、ヒスイの事を監禁・軟禁しようとしているんじゃないのか?」
兄上は確認するように僕の目を見た。
「ヒスイさんに駄目と言われたからしませんよ」
「本当だな? いいか、辞めろよ。お前犯罪だぞ」
「えぇ」
「想いっきり目を反らすな!」
「アクセラ。この件を調べて貰ってもいいですか? ヒスイさんを口説いたのが誰か知りたいんです。
わかったら教えて下さい。屋敷の者に警戒するように伝えますので……」
「はい。姉上にこの件は?」
「伝えません」
咄嗟にそう告げた。
それは彼女が心配するからとかではない。
僕が嫌だったから。
アルさんの事を考えるヒスイさんを想像して胸が痛む。
僕以外の男は考えないで欲しいという、嫉妬心からだ。
どうか、平穏に過ごせますように――
僕はそう願いを込め、祈った。




