不協和音
「おー、ヒスイ。元気か?」
アレンジブーケを作っていると、店先からその風のような声が室内へと入ってきた。
これまた珍しい。私はその人物が滅多に会う事のない相手だったので、
自然と顔を緩めながらテーブル上に組まれた花々からそちらへと顔を向ける。
するとそこにはやっぱり同じ施設出身で今は行商をしているアリくんの姿が。
吐く息が白く染まる季節のためか、皮の手袋を身につけ首元にはストール。
時が経つのは本当に早い。私は旦那様と結婚して初めての冬を迎えかけていた。
「アリくんっ!」
「ヒスイ、お前に頼まれていた物を配達しに来たぞ」
と言いながら彼は店内へ。
私は手にしていたハサミをテーブルへと置くと、すぐに部屋の奥にある事務室へと向かい、
扉を開きそこへ彼を招こうとした。
ここではゆっくりと座るスペースもないため、お茶を用意しても寛げないから。
だからいつもアリくんを通すのは事務室や、上の居住スペースへ。
そうすれば人目も気にせずおしゃべりも可能。
「お構いなく。今日はちょっと急ぎの用がこっちであって。ついでにヒスイの注文品を早めに渡そうと思って寄っただけなんだ。またすぐこっちに来る予定だから、今度ゆっくり茶でもごちそうになるよ」
「え? そうなの?」
「あぁ」
そう言ってアリくんは背負って居た荷物を下ろすとそれを解き、中から白い布に覆われた物を取り出す。
彼がそれを取っ払えば、中からスモーキークォーツ色の箱が出て来た。
サイズは顔よりも二回りぐらい大きいぐらいだろうか。
「手に入ったんだ!」
「あぁ。割れや傷がないか確認してくれ」
そう言ってアリくんはそれを私へ。
それを受け取ると、早速手に取り蓋を開いた。
中を窺えば、黄色い布に包まれている何かが二つ。
それの周りには柔らかい素材の小石のようなものが覆うように敷き詰められている。
手中にあるその布を広げれば、ワイングラスが光に反射して宝石のように輝いた。
これはゴアという熱帯地方で使われているやつで、正方形の青や黄色などの様々な色彩を持つガラスを繋げて作られている。もう一つの方も同じタイプ。つまりはペアのワイングラスだ。
「ありがとう。大丈夫」
「それ本当にラッピングしなくてもいいのか?」
「うん。自分でやるから平気。それにカードも入れたいし」
「そうか」
これは旦那様にワインを飲むときにでも使って貰おうと、数か月前に誕生日プレゼントとしてアリくんに注文しておいた商品。
いつも旦那様にはお世話になっているので、かなりお高め。
もうすぐ旦那様の誕生日なのでサプライズで御祝いしようと、アイリスさん達と考えている最中なんだ。
――楽しみだなぁ。渡すの。
なんて事を考えていると、「ヒスイちゃん!」という、焦りを含んだ声が店先から飛び込んで来た。
なんだろう? と小首を傾げながらつい数分前までアリ君が佇んでいた場所へと見遣れば、
そこには見知った顔の人が。
近所でお肉屋さんを営んでいる青年・ゴーンさんだ。
奥さんは度々店にやってきてお花を購入してくれている常連さんで、もうすぐ出産予定。
「こんにちは、ゴーンさん」
この季節だというのに彼は両腕をまくり上げられ、額には髪が数本汗で張り付いていた。
もしかして走ってきたのかなぁ?
「どうなさったのですか?」
私は手にしていたグラスと箱をテーブルへと置き、彼の元へと向かう。
「う、生まれたんだよ! 子供が!」
「あっ! おめでとうございます! 病院にはもう?」
ゴーンさんの奥さんは妊婦さんでそろそろ予定日だったのだが、どうやら今日生まれたらしい。
それはおめでたい!
「ありがとう。あぁ、もう行ってきた。今はその帰り。赤ん坊、すっげー可愛いし小さいんだ。もう、嫁には出さない」
顔がこれ以上ないってぐらいに、蕩けきっているゴーンさん。
もうこの世界が違う視点で視えそう。すごく幸せに満ちている。
それは溢れこちらにも広がっていく。
「溺愛ですね」
「あぁ! だってこの世で一番可愛いんだぜ。それで、祝いに花束を嫁にプレゼントしたいんだ。あいつ、ここのアレンジ好きだからさ」
「ありがとうございます」
「店にも顔を出して報告してからだから、一時間後ぐらいにもう一度寄るよ」
「畏まりました。では、お花は如何致しますか? ご予算や花の希望があれば伺います」
「嫁の好きな花でお願いするよ。俺、あいつの好みよくわからなくて……予算は目出度いから厭わない!」
「はい。では、リスト見て考えさせて頂きますね」
常連客の好みもちゃんと把握できるように、店では顧客リストを作成している。
お誕生日とかには、店からのプレゼントとしてちょっとしたミニブーケを贈る事が出来るように。
「じゃあ、ヒスイちゃん頼むね」
そう言うと、ゴーンさんはスキップしながら立ち去った。
余程嬉しいのだろう。風に乗り鼻歌も店内へと流れ込んでくる。
あれはきっとお肉も原価割れで販売するな。たぶん。
帰りに寄って、コロッケ買って帰ろうかなー。あそこの美味しいんだよね。
旦那様、食べるかな?
「目出度いな」
「うん」
私は再びテーブルへと置いたグラスへと手を伸ばす。
キラキラと日の光に輝くそれは、まるで宝石のよう。
「ヒスイの所は、子供まだか?」
「はぁ!?」
何の脈絡もないその台詞に、危うく手にしていたグラスを落としそうになってしまった。
なかなか手に入らない希少価値のあるものなのに。
何言っているの!? 私と旦那様は一切そういう事はしてないんだってばっ!
……とは、偽装結婚と知られていないから言えない。
「まぁ、まだ結婚して一年経ってないし。二人の時間が欲しいかぁ」
「あ、うん。まぁ、そうだね」
とまぁ、そんな感じで誤魔化す。
というか、旦那様はどう考えているのだろう?
以前お兄ちゃんの前で挙動不審になったから、もしかして免疫ついてないのかも。
あっ、でもメサイアさんと婚約して子供部屋まで作ったんだよね?
ということは……
そんな風に思ったら、なんだか胃がむかむかしてきた。
もしかしてお昼ご飯食べ過ぎたのかも。
ランチだけにしておけばよかったわ……
お隣のおばちゃんに貰った特製アップルパイ、一口だけ食べようと思ったら、全部食べちゃったんだよね。
美味しい誘惑に今度から負けないようにしないと!
「ヒスイの血が多い子供ならば、きっと小さくて可愛いだろうな」
「ちょっと待って! なんで小さい事が前提なの!? 旦那様の血が多いかもしれないじゃん。それならきっと身長が高い子だよ!」
「そうだなぁ。ライト様、高身長だしな。ならあっという間に抜かされるな、ヒスイ」
「やめてーっ! わからないじゃないの! 私もこれから伸びるかもしれないよ」
「さすがにそれは可能性低いだろ。でもまぁ、どちらにせよライト様は過保護になるだろうなぁ。ただでさえ、溺愛している妻との間に出来た子供だし。可愛がりすぎてなんか色々墓穴掘りそう」
「え?」
その言葉に私は耳を疑った。
「もしかして気づいてないのか?」
アリ君の呆れた声が降り注ぎ、私は首を縦に動かす。
「もしかして、ライト様自身も無自覚なのか? まさかな……」
リス扱いならば何度もされている。
だが、溺愛は自覚がない。
というか、そもそも旦那様は私の事をどんな風に想っているのだろう――?
+
+
+
溺愛されているのかな? やっぱりわかんない。それに旦那様が私の事をどう想って下さっているのかも……ちゃんと女性と思っているのだろうか? 人の事をリス扱いするぐらいだ。
ずっと頭の中で考えても、答えなんて出て来ない。
これは旦那様に尋ねなければならないだろう。だが、さすがに訊くに聞けない。
「ヒスイさん?」
「え?」
ふと名を呼ばれたので顔を上げると、少し離れた場所に旦那様が眉を下げてこちらを見ているのが目に入って来た。
彼が座っている椅子の前には、純白のクロスの敷かれた食卓テーブル。
その上には白身魚のムニエルや黄金色のスープ、それからワイン等の夕食が並んでいた。
どうやら食事中に私は思考の世界にトリップしていたらしい。
「すみません……考え事です……」
「何か悩みがあるのですか? 僕で役に立つのならば話して下さい」
「うっ」
それには言葉が詰まる。
だって流石にそんな勇気は皆無。ならば少し言葉を選んで探ってみよう! と、私は意を決して唇を開いた。
「あのですね、もしもですよ? もしも私と旦那様に子供が出来たとしたらどうしますか??」
顔を見るのが怖くてぎゅっと目を閉じ、私はそう尋ねたけれども旦那様からの返事がない。
もしかしたら呆れかえっているのかも。そんな突拍子もない事言ってしまったから。
そのため様子を窺うために瞼を開いた瞬間、ガシャンと金属が何かとぶつかり合うのが耳に届く。
そのため弾かれたように旦那様の方を見やれば、彼は「え、え、えっ!?」とわけのわからない言葉を発しながら立ち上がった所だった。
「どうなさりましたか……?」
「あの時の子供ですかっ!?」
「は?」
旦那様は何か勘違いをなさっているのだろうか。私と旦那様の間に子供が出来る可能性はゼロだ。
そもそもそういった行為をしていないのだから――
「あの時ですよ! 新婚旅行中に泥酔した時!」
「あれは何もなかったとお伝えしたはずですよ? 旦那様、私の事押し倒して眠っちゃったんですから。それより、少し落ち着いて下さい」
「これが落ち着けるわけありません。部屋……こっ、子供部屋どうしますか!? いえ、それより名前が先ですね。ヒスイさんは宝石の名前なので、合わせてそういった系統の名前にしますか!? あぁ、どうしましょう。やることがいっぱいありますね。玩具も服も用意しなければ!」
「あの……っ! 旦那様っ!」
「ああっ!」
止めようとしたんだけれども、旦那様が急に大声で何かを思いだしたかのような声音を発してしまい、
私の体が大きくびくつく。そのため思わず言葉を呑み込んでしまった。
「体調……ヒスイさん、体調は如何ですか!? ご気分など悪くありませんか!? 医者を呼びましょう!」
「いっ、医者っ!? って、落ち着いて下さい! もしもと言ったはずです。もしも!」
「え?」
旦那様はきょとんとした後、眉と肩を落としてそのまま椅子へとへたり込むように座った。
まるで腰が抜けたように。
「ごめんなさい。私が紛らわしい事を……」
「いえ! 僕もすみません。ついヒスイさんとの子供が出来たと伺って。そうですよね、よく考えてみれば何もしてないのに出来るはずないですよね」
「旦那様は私との子供が出来たら喜んでくれますか?」
その質問には「当然です」と、少し苛立ちを含んだ声が飛んできた。
「怒りますよ? そんなわかりきった事、聞くまでもないじゃないですか」
「あの……」
「ヒスイさん。青い薔薇の入荷を待ってからお伝えしようと思っておりましたが、僕は……――」
旦那様がそう口にしていると、途中でバタバタと廊下を駆けてくる音が響き渡る。
そのため、会話が必然的に止まってしまう。
なんだろう? 珍しい。
屋敷でこんなに騒がしいなんて、今まで無いのに。
それがふいに胸にくすぶり、私は何とも言えない気分になった。
「旦那様っ!」
それはアイリスさんによるものだったらしい。
彼は扉の取っ手を掴むのも惜しいぐらいに時間に追われていたのか、扉をケリ破って室内へと入室してきた。
「大変でございます! あの女が……っ! しかも!」
アイリスさんはじっと事の成り行きを見守っている私の視線に気づいたらしく、ばつが悪そうな顔をした後旦那様の元へ。そして屈みこみ旦那様の耳元に何かを囁く。
すると旦那様の顔色が急速に変化。険しくなり、心なしか纏っている空気も悪化。
この時の私は知らなかった。
これが私と旦那様の間に不協和音を奏でる始まりだという事に――




