第6話 夜明けの約束 -1
吹き飛ばされた司令部が見えた。部屋の真ん中に置かれた円卓、そこにちょうど爆弾でもぶち当たったかのような。
実際は〈神の鉄槌〉の一つや二つが落ちてきたというところだろう。すり鉢状に抉れた空間の縁の方に、捻じ曲がった椅子やら誰かの腕や脚や肉片がへばりついている。
瓦礫の間から支部長の胸像が垂れ下がっている。光を失った双眸。頬を伝った鮮血が血溜まりに落ちる。ざまぁない。
俺はやけに重い体を起こした。何をどう損傷したのかわからないが、全身が痛くて熱い。
向こうに佇むミシュナー——の、体を得たマモンと目が合った。ウォルナットブラウンの目を細めて、笑みを湛えている。
ミシュナーの境遇はサラと大差なく、元は温和で引っ込み思案の青年だった。〈契約者〉になってからは支部長の命令に絶対服従で戦い続け、すぐに魂が底をついた。
彼がこの惨状を見たならば、ざそ悲しんだことだろう。魂をすり減らし、少しずつ自分を保てる時間が短くなっていって、それでも戦い、最後の最後まで皆の役に立とうとその身を悪魔に明け渡した男だ。
しかし、彼は今笑っている。正確には、その中にいる悪魔が笑っているだけだが。
「みんなを守るのが、ミシュナーの願いじゃなかったのか」
尋ねると、マモンは「『願い』じゃないよ」と言って空を仰いだ。夜が明けたばかりの、薄い青と紫が混ざり合った朝焼け。
「『空想』さ」
悪魔に人倫は通用しない。死に逝く者への憐憫とか、弱き者への情けとか、そういうものを悪魔は解さない。
ただ、約束は守る。言ったことは必ずやるし、やらないことは決して言わない。そして肉体の譲渡は、そこにある条件に両者が合意することで実現する。
マモンはミシュナーが思い描いた『皆を天使から守る自分』を実現することに合意したはず。
「『みんな』とは不思議な言葉だね」
ウォルナットブラウンの瞳にチラリと赤い光が反射した。無数の火球が降ってくる。
俺は立ち上がろうとして、右脚が変な方向に捩れていることに気がついた。
マモンが左手を上げる。ゆらりと、火球の方へ。
「人間の思考リソースは有限で、世界の全てはおろか、知っていることの全てを一手に思考することもできないのに、知っている全てを指す『みんな』を使う」
火球がフイッと進路を変えて、向こうに落ちた。地を打ち鳴らすような爆発音と、吹き飛んだ瓦礫が落ちるパラパラという音。
「ここに配置された人間に、彼が『みんな』という語に思い浮かべた者は一人もいなかった。お偉いさんは選択を間違えたね」
悪魔の力の行使で魂がすり減った人間は、徐々に眠っている時間が長くなり、意識が薄らぎ、思考が曖昧になる。
ミシュナーはほとんど、ただ呼吸をしているだけの状態だった。そのことを考えれば、『みんな』に支部長や戦闘部の人間が含まれなかったことは、単に思考能力が落ちていたからだと結論できる。
実際のところは不明だ。マモンに肉体を明け渡した彼は未来永劫失われた。
「じゃあ、今のは、なんだ」
俺は言いながら捻じ曲がった右脚を直そうとするも、無駄だと悟る。壁に背中を預けて立ち上がったところで、「君は『みんな』に含まれていた」とマモンが答えた。
「君の醜態は彼をよく慰めたよ」
「……は?」
「おとなしく戦闘部の一般人として粛々と魚狩りをしていればいいものを、いつも天使に突っ込んで行って無様に敗北する。しかも周囲の声も命令も全て無視して」
「…………」
「君が〈偽英雄〉であるからこその特徴は、ただの人間にとっては『超人』だよ。見た者は憧れを抱く。しかし君はいつも天使を倒せない。普通の戦闘員として過ごしていれば人より強い側で、風当たりも今ほど悪くならないだろうに」
「……ミシュナーがそう言ってたのか」
「いいや、今のはほとんど僕の解釈」
「…………」
マモンは顔を顰める俺を一瞥すると「懐かしいね」と独りごち、再び朝焼けの空を仰いだ。
「昔、君のような英雄がいたよ。僕らにとってのずっと昔。君たちにとっては永遠の彼方。罪も正義も、馬鹿みたいに一直線に進んだ馬鹿だった。馬鹿だけど、まあ、面白い男だったよ」
それは俺の祖先の話だろうか。
「そいつは最後、どうなったんだ?」
俺の問いに、マモンは「さあ、知らな——」と半端なところで言葉を切り、
「……王なら知っているかな」
「『王』?」
「ああ、いけないいけない。この呼び方は怒られるんだった」
「?」
「君はミシュナーの守りたい『みんな』に含まれているからね、一応忠告しよう。彼女を絶対に『王』と呼ばないこと」
イタズラっ子のような笑みを浮かべて口の前に人差し指を立て、
「彼女にとっては『王』も『蝿の王』も等しく侮蔑に当たる言葉だからね」
意味ありげな物言いは、俺がその意味を理解できずに困惑する姿を見たいからか、それとも事情通の自分を演出したいだけか。
悪魔の考えることはよくわからない。俺は役立たずの右脚を引きずって歩き出す。
「君は英雄になりたいのかい?」
背中に問いがかかった。俺は振り返らず、内心で答える。
英雄なんかになりたいわけではない。俺はただ、『英雄』になりたいだけだ。




