第4話 英雄の実像
一説に、古代戦争を戦った英雄は、神と人間の間に成された半神半人だったという。
ここで言う『神』は今〈楽園の島〉にいる神ではなく、当時地上のそこかしこにいくつも存在した神のようなもの。人類を超越した不可思議な力を持っているが、死ぬことができる者たちだ。
古代戦争において、彼らは悪魔と共に天の存在と戦ったが、多くが死に、生き残った者は逃走したという。
その事情を含む委細は、記録にも記憶にも残っていない。
* * *
テラコッタの瞳の悪魔は、ヤムが〈反抗者〉本部から来た際に持参した悪魔の右目の化石から遺伝子様物質を抽出・培養して蘇生したものだ。
彼はその発掘に携わっておらず、本部に保管されていたものを持ってきただけ。加えて、元々ラベルが貼られていなかったとかで、何の悪魔の化石かわからないという。
『本部の重鎮が後生大事に保管していたものだからね、きっとすごい悪魔のものだよ』
そう言った彼がどうやってこれを持ち出したのか。誰も聞かなかったのでわからないが、碌でもない経緯があることは概ね予測できる。
さておき、支部長はこれの戦闘力に期待を寄せて蘇生を指示した。しかし蘇った悪魔は『面倒臭い』の一点張りで、誰の魂にも興味を示さなければ契約する素振りも見せず現在に至る。
「ここにいても気づいただろ? 基地があるのが天使にバレた。朝が来たらまた襲ってくる」
俺が言うと、悪魔はうんざりした様子でため息をついた。薄い唇の間から泡が湧く。
「だからどうした」
吐き捨てるような彼女の言葉は、培養液の中にありながらはっきりと聞こえる。リヴァイアサンと完全に逆の状態だ。
「俺と契約しろ」
俺が言いながら踏み出すと、テラコッタの瞳が嘲笑に細められる。
「しつこい人間だ」
悪魔は魂を見て契約相手を選ぶ。食べ物の好みのように、どんな人間の魂を好むかはその悪魔の性質による。
彼女の蘇生が完了した折、いつも通り戦闘能力の低い非戦闘員が培養槽の前に並べられたが、彼女は見向きもしなかった。
次に普通の奴が、その次に戦闘能力の高い奴が。しまいには作戦部の幹部まで(どうせ契約するつもりはなかっただろうが)彼女の培養槽を訪れたが、やはり反応はなし。
それに痺れを切らした支部長が理由を尋ね、問い正し、捲し立て、ようやく返ってきたのが『面倒臭い』の一言だった。
というわけで、彼女は蘇生以降ほとんど言葉を発さなかったわけだが、
「お前、状況わかってんのか? 下手したら天使にここを爆破されて、培養槽がひっくり返って割れて、培養液が漏れてお前は消えるかもしれないんだぞ」
「君はその見た目で悲観主義者なのか」
「見た目って何だよ」
「後先考えずにどこへでも無策で突っ込んでいく阿呆のような顔をしている」
何故か俺相手だと(ほとんどが嫌味節だが)会話をすると気づいたのは、俺を除く基地の全員が彼女に無視された後、そもそも〈偽英雄〉が契約などできるはずがないと呼ばれなかった俺がここに忍び込んだ時のこと。
「……支部長はお前の運用を諦めてる」
これは彼女にとって大体の人間が言葉を発するに値しないほど取るに足らないもので、敵から逃げた英雄の血を引く俺は黙っていられないほど忌々しいものだということ。
つまり、どうとも思われていない他の奴らを『ゼロ』とするなら、嫌われている俺は『マイナス』だが、
「このまま誰とも契約せずに朝を迎えたら、お前は消えることになる」
会話ができるということは意見をぶつけ合うことができるということで、すなわちそれは彼女の考えを変える余地があるということ——と、俺は解釈して足繁くここへ通っているというところだ。
「消えたくなかったら俺と契約しろ」
言うと、テラコッタの瞳の悪魔は顔を顰め、培養槽の中をクルッと泳いで向こうを向いた。アスモデウスがため息をつく。
「私単独では、あれを排することはできません」
培養槽に向かって困り顔で言うのは、悪魔が俺を排除したいと思っていると察して、それが不可能なことの言い訳か。
悪魔は契約相手の空想を具現化する。時折不思議な術を使う者もいるが、基本的に彼らは、単独では見た目相応の力しか持たない。
アスモデウスの言葉に、培養槽の中の悪魔は沈黙を返した。アスモデウスがため息をついて歩き出し、俺の背後の出口へ。
残されたリヴァイアサンは一度培養槽を見上げ、
「נכון, הם דומים」
何かを言うとパタパタと駆け出して部屋を出て行った。
少しの沈黙。
「おい、なんか言えよ」
俺が言いながら培養槽に近づくと、悪魔はムッとした顔で半分だけ振り返った。
「君は動じないな」
それから体ごとこちらを向き、抱えていた四肢を伸ばす。外見的には俺と同じか少し年上、二十代半ばの女の全裸。長い白緑の髪が胸の前でゆらゆらと動いている。
「何が」
「私と契約せんとここを訪れた人間の男は、大なり小なり私の麗しき造形に心を動かされているようだったが?」
「自分で『麗しき』とか言うなよ」
「君は女体に欲情しない質なのか?」
「いや、別にそういうわけじゃないが」
「では生殖機能がないのか?」
俺の顔を向いていたテラコッタの視線が下がり、
「おい、どこ見てんだ」
それから薄い唇の片側が吊り上がり、「ハッ」と嘲るような笑み。
「これは幸いだ。一人の敗走者の血が途絶える。臆病者の末裔と罵られる子孫を生み出さないという点で、君は彼らにとっての英雄だな」
悪魔が嫌味ったらしい声色でつらつらと言葉を並べ、さらに続けようと唇が動いたところで、館内放送の合図の音。
『夜明けまで残り十分。総員配置へ付け』
ざらざらした支部長の声。悪魔がふいっと視線を上へ向け、俺はため息をついて踵を返す。
「悪魔に『英雄』と評されるとは、何よりだ」
俺のできる最大の嫌味を込めて言ってドアへ。悪魔は何も答えなかった。
* * *
悪魔は英雄を嫌っている。古代戦争の敗因が、英雄の逃走にあるからだ。だから悪魔は〈偽英雄〉と契約しない。共闘相手として信用ならないから。
テラコッタの瞳の悪魔もまた、俺に俺の祖先を見ている。そのことは確かで、その言葉のほとんどは過去の因縁の言語化だが、時々、何かを試しているような気がする。
これを言ったらどんな反応をするだろう、と。それはまるで、親の愛を試す幼子のように。




