第3話 生贄
基地の損壊率:概ね六十%。一般人員の居住空間はほぼ全壊。悪魔蘇生室が無傷だったのは幸いか。司令室と幹部居住区画も無傷なのは何となく胸糞悪い。
人的被害は深刻だ。約八割が、天使が降らせる火球と〈罰の魚〉の攻撃によって死亡した。
残ったのは五十人程度。それと、支部長と幹部を含む管理部の人間が十二人。こちらもまた無傷というのが胸糞悪い。
あとは悪魔の化石探索に出ている探査部の連中——悪魔学者のヤム・メルヴィレイと発掘作業員十人がいるが、通信設備が壊れてしまって連絡が取れない。
俺たちは岐路に立たされている。
すなわち、この夜の間に基地を放棄して他所へ行くか、ここに留まって朝になったら襲ってくる天使たちを迎え撃つか。それを決めるのが支部長というのがまた胸糞悪い。
数多の胸糞状況を抱えた現在、午前五時十六分。夜明けまで残り四十分を切った。
* * *
悪魔は契約相手の空想を具現化する。例外なく、上限なく。勿論、人倫の外の捻くれ者である彼らが契約相手の意思に応じた場合に限られるが。
それを以て生み出される『天使を殺す武器、あるいは攻撃』が、現状、天使との交戦手段として人類が有する唯一の武器だ。
人類史上最強と謳われたアイテール式核兵器を始めとする諸々の兵器は、六年前の〈終末審判〉で消失した。以降天使相手に消耗戦を続けてきた人類に残された武装はライフルや手榴弾などのショボいものばかりで、天使相手ではちょっとした擦り傷をつけるのが精一杯。
その上で、〈反抗者〉第七支部——ここの状況は——
「ミシュナー!?」
半壊した大広間。支部長からのありがたいお言葉があるとかで基地の全員が集まったところに、痩せた病衣姿の男が現れた。ひっくり返った声で彼の名前を口にしたのは支部長だ。
「なぜ、お前……魂が戻ったのか!?」
馬鹿みたいな口髭オヤジの馬鹿みたいな問いに俺は口の中で「馬鹿か」と独りごちたが、周りを見渡すと、割と皆が支部長と同じ希望を予感していることに気がついた。
馬鹿か。悪魔が食った魂が元に戻ることはない。肉体と違って魂に自己再生能力などないし、あらゆる魂は二十一グラムと決まっている。
ミシュナー(の体)が口を開いた。
「彼は僕に、その肉体を譲渡した」
その口から語られた『彼』はミシュナーのこと、『僕』は彼が契約していた悪魔、マモンのこと。
「彼はやはり利口な男だね。『もったいない精神』を徹底していて、自分を余すことなく最後まで使う方法を理解していた。その精神に敬意を表して、僕は彼の最後の『空想』を叶えよう」
譲渡とは、〈契約者〉がその肉体を契約相手の悪魔に明け渡すことを指す。当人は肉体以外の全てを消失し、悪魔は契約なしに存在を続ける術を得る。
ミシュナーは力を使いすぎて、ほとんど魂が残っていなかった。何の刺激にも反応を示さず寝たきりだったが、『譲渡』を選択するだけの意識はまだ残っていたということか。
支部長が「おおっ!」と目を見張る。その様子から何を考えているかは明らかで、それには賛否両論あるだろうが、俺にとっては思考の余地なく『否』だ。
「ミシュナーは最後に何を空想した?」
支部長が期待の眼差しで尋ね、
「みんなを天使から守る自分」
マモンが仄暗い笑みを湛えて答える。支部長が「よし」と独りごちて皆を見渡した。
「設備の損壊状況から、ここを放棄して最寄りの第五支部へ行くことは決定だ。しかし、丸腰で廃墟を渡るのは無謀が過ぎる」
言いながら壁際に立つ茶髪の若い女を見やる。
彼女はサラ・エヴァンズ。ヤムが「この悪魔はきっと強いよ」と言って持ち帰った化石から蘇生したアスモデウスと契約したものの、アスモデウスに拒否されて未だ力を使ったことがない〈契約者〉。
支部長がサラを睨みつけるのは、彼女が自らの意思で戦闘を拒んでいると思ってのことだろう。彼女はいつもビクビクしていて、戦いから逃げるような人間に見えるから。
「加えて、この人数をマモン一人で守るのもかなりのリスクを伴う。よって、第二のアザゼルの蘇生を完了してからここを発つこととする」
そんな支部長の側も大概だ。仰々しい物言いをしているが、実際は自分を護衛する人員を増やして余計なものを減らしたいといったところだろう。
夜を歩いて昼に身を隠せば、天使に見つかることはまずない。不規則に泳ぐ〈罰の魚〉に見つかることはあるが、さっさと倒して移動すれば天使との交戦は避けられる。
そこにある可能性を恐れて万全過ぎる備えを目指す支部長は、腰抜けの臆病者以外の何者でもない。
「配置は追って通達する。以上。解散」
俺は支部長が言い終わるより先に広間を出た。
* * *
天使に爆破されて随分短くなった廊下の先、第六蘇生室。
ドアを開けると薄暗い室内のど真ん中に柱のような培養槽があり、その前に立っていた二つの人影がこちらを向いた。
「また来ましたよ」
ルビーレッドの髪を長く伸ばした女が、培養槽の中に向けてため息混じりに言う。あれを『女』と形容するのは少し語弊があり、『悪魔』の方が正確で、名はアスモデウス。
「אז עדיין לא ויתרת על בלזבוב」
その言葉に答えるように何かを言ったミモザ色の癖毛の少女はリヴァイアサン。彼女の声は水の中で喋るようにモゴモゴと輪郭が曖昧で、いつも何を言っているのかわからない。
地上の環境に適応できない蘇生された悪魔は、人間との契約なしに培養槽を出ると消えてしまう。
この基地の誰もリヴァイアサンと契約を交わしていないが、何故か彼女は自ら培養槽の蓋を開けて外に出た。それで消えずにいる理由の解明は、ヤムの帰還を待つところ。
「追い返しましょうか?」
アスモデウスが培養槽を振り返る。悪魔学者であるヤムが『この悪魔は強い』と評した彼女が下手に出る培養槽の中身はとんでもなく強い悪魔であると俺は踏んでいる。
培養槽の中。青みがかった透明な培養液の中に、全裸の女が膝を抱えて浮かんでいる。
「忌々しい」
白緑の長い髪が揺れ、テラコッタの瞳がこちらを睨め付ける。
「敗走者の末裔が」
見目麗しい女の姿をした悪魔が、これでもかというほど顔を歪めて舌打ちをした。




