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第2話 機械仕掛けの天使

 かつて地上には数多の国々があり、この辺りは無数の高いビルが聳え立つ首都だった。


 今はもう、その頃の繁栄は見る影もない。あるのは倒壊したビルの骸と焼け爛れた大地だけだ。


 瓦礫の下に天使の目を盗んで掘った〈反抗者(リベリオン)〉第七支部は火球に穿たれ、施設の半分ほどが潰れて地上に露出している。生き残った奴らが武器を手に相対しているのは、宙を泳ぐ魚たち。


 ホエール級の〈罰の魚〉はかつてこの辺りを走っていた二階建てのバスより大きい。

 鉛色の大口を開き、その表面を夕日の赤がぬらりと反射し、逃げ惑う女を一人飲み込んだ。


 シャーク級は人間の大人くらいの大きさで、数十の群れで行動する。

 ライフルを構える戦闘員の男に群がり、噛みつき、脚だけがその場に残った。



 日没十五分前(マジックアワー)、ここには地上の地獄がある。



 俺たちは基地から少し離れたところに戦闘車を停め、各々降りると空を仰いだ。


 基地上空に機械仕掛けの巨大な塊が浮かんでいる。


 人型が膝を抱えてうずくまる様は胎児のよう。のっぺりとした白の表面が赤い夕日を反射している。頭の上には歯車の光輪(アウレオラ)、背中には虹色の一対の翅。


 あれが天使。


「第十三分隊は基地に戻っちゃったってこと!?」


 エコーが半狂乱で叫んだ。状況を見ればわかることを、わざわざご丁寧に。


 天使に人間を感知する能力はない。あれは動くものを認識して、その形から人間と判断した場合に攻撃してくる類のものだ。


 つまり、息を殺して隠れていれば見つからない。あれが基地を攻撃しているということは、そこに入る人間を認識したということ。


「マズいよ!」


 エコーが天使を指した。


 膝を抱えていた長い腕がだらりと垂れ、頭を擡げる。閉じた瞼が薄く開き、隙間から虹色の瞳が覗く。


 ずっと黙っていた分隊長が腕時計を見て、「日没まで残り十三分」と呟いた。


「〈罰の魚〉の相手はいい。とにかく日没まで、どうにか天使の攻撃を凌いで——」


 珍しく分隊長らしいことを言い始めた彼には悪いが、俺は駆け出した。


「ギデオン!? おい、戻れ! ギデオン・ロス!」


 分隊長のやろうとしていることはわかる。『天使の攻撃から基地を守る』という名目を掲げて仲間の救出を断念し、俺の援護を装って安全圏から天使を攻撃し、日没を待つ。


 いつもそうだ。うんざりする。あいつは一体何のために〈反抗者〉に属しているというのか。


(そういう俺も、理想には遠い)


 ライフルの着剣状態を手探りで確認しながら倒壊したビルを飛び越える。高い跳躍の最中、下方から「ギデオン!?」と誰かの驚く声を聞いた。


 構わず進む。天使の方へ。目の前に現れた〈罰の魚〉を切り伏せ、垂直に跳躍。天使の直上。


「オラァ!」


 掛け声と共に銃剣を振り下ろす。淡い黄緑色の光を放つ刃が虹色の翅の付け根にぶつかり、歯車が二つばかり落ちた。


「咎為ェ녪ケᔟ埜ᆀ……!」


 天使が声にならない何かを発し、首をグリッと仰け反らせた。俺は再び銃剣を振り上げて下す。虹色の翅が少し欠ける。


「罪淢Ʉ䬁! 罪軱≥!」


 また天使が何かを発した。見開かれた瞳がギョロギョロ動き、こちらを捉える。


「䝪≆ᶈ㬵!」


 衝撃。視界が真っ白になり、全身に圧力を感じて、また衝撃。


 耳鳴り。両目が認識するのは濁流のような白い光だけ。体が動かない。


(クソがっ!)


 内心で叫んで無理やり頭を擡げて、自分がどこかに横たわっていることに気がついた。


 それで理解する。これは()()()()()()だ。


 目を開けているが、目を開ける。耳鳴りが遠ざかり、ガラッと何かが崩れる音がすぐ近くで。


 光が弱まり視覚が戻る。


 瓦礫。


 こちらを見るライフルを持った男たちの驚く顔。


〈罰の魚〉の群れが一人に群がり、悲鳴。血濡れのライフルが放り出されて俺の足先に落ちる。


 天使の不可視の攻撃で吹き飛ばされた俺は、瓦礫の中で体を擡げた。倒壊したビルの壁を突き破る衝撃だ。普通の人間だったら全身の骨が粉砕するかミンチになっている。


 俺は〈偽英雄〉だから死ななかった。そのことが気に食わない。


「おい、ギデオン……」


 誰かのドン引きしたような声。俺は血濡れのライフルを拾って立ち上がる。


 気に食わない。何もかもが、ずっと前から。


「〈契約者〉が来た!」


 誰かが言った。


「はあ!? 誰が来たってんだよ」


 また誰かが。


「ミシュナーはもう動けないし、アスモデウスは——」


 俺は天使を見上げた。そこへ、基地がある方向から無数の火球が飛んでいく。天使が繰り出す〈神の鉄槌〉よりずっと小さい、飛び立つ小鳥の群れのような攻撃。


 爆発音。天使の姿が灰色の煙に包まれる。


 見ると、向こうに気の弱そうな風貌の金髪の少年が立っていた。


(エノク……)


 その背後に女が浮かんでいる。長いヴァイオレットの髪の、赤い目をした女。底の見えない笑みを湛えて少年——エノクの肩にそっと抱きついた。


 あれが悪魔。古代戦争で破壊された機械仕掛けの悪魔の断片から再生した、人の魂を食ってその想像を具現化する存在。


 エノクが恐怖にワナワナと唇を震わせながら尋ねる。


「ア、アザゼル……僕は、次、どうしたら……」


 彼の視線の先には、風が煙を吹き去って露わとなった無傷の天使の姿。模倣は本物を超えない。彼の想像力は天使に傷ひとつ与えられない。


「想像せよ」悪魔——アザゼルが彼の顔をついっと撫で、「魂を寄越せ」耳元で囁く。


 俺たち第九分隊が基地を出て〈罰の魚〉狩りに向かった時点で、ここにいる〈契約者〉は二人だった。


 契約したものの悪魔に能力の使用を拒まれているサラ・エヴァンスと、力を使い過ぎて廃人と化したミシュナー・レイド。アザゼルは化石を見つけたばかりで、再生中だった。


(付け焼き刃で契約させたのか)


 エノク・アンダーソンは管理部に属する非戦闘員。臆病で、ひょろっとしていて、ライフルを持つだけで精一杯の非力な少年だ。


 だから選ばれたのだろう。誰だって悪魔に魂を食われるのは嫌だから。


 戦える人間が魂を食われて廃人になるのは勿体無い。だから戦えない人間が〈契約者〉になるのはいつものこと。


 そして彼は、はなから天使の撃滅など期待されていない。日没まで保てばいい、と、その程度の存在。


(気に食わねぇ)


 可哀想とか、正義に悖るとか、そういうことではない。ただイライラする。俺が本当の英雄ならこんなものを見ずに済むのに、と。


 俺はライフルを握り締めて天使を振り返った。瞬間、気づく。


「エノク! 逃げ——」


 顎が外れたかのように大口を開けた天使がエノクの方を向いた。「マズいぞ!」と向こうで叫んだのはチャーリーか。


 瞬間、キーンと耳鳴りのような音、あるいは衝撃。


「えっ……」


 エノクが呆けた顔で声を漏らすと同時に、その体が弾けた。細かな肉片が散らばり、アザゼルがそれを見下ろす。


「残念じゃな」


 ボソッと呟く彼女の頬が、翳りゆく夕陽を透かす。


「まだろくに食えていなかったというのに」


 真っ赤な夕陽が急激に色褪せ、それに連動するかのようにアザゼルの体が透けていく。


 実際は連動も何もない個別の現象だ。再生された悪魔の体は地上の環境に適応していないため、契約相手を失うと霧の如く消え去る。


「まあ、よいか」


 だからと言って契約相手を大切にするかと言えばそうではなく、積極的に守ろうという素振りも見せず、自らが消えることにも対して頓着しない。


 それが悪魔。俺たちとは異なる倫理で物事を思考する。


 アザゼルが消え、夕日も落ちた。辺りを夜闇が満たすと同時に、天使と〈罰の魚〉がスイッチを切ったように姿を消した。


 いや、正確には、あれらは夜になると影になる。地面や瓦礫の上、倒壊したビルの壁に黒い影として張り付く様は、壁画や化石のよう。


「よ、よかった。終わった……」


 誰かが言って、安堵の声が広がっていく。それとは別に聞こえるのは、どこかにいる怪我人の呻き声。


 夜が来た。戦いは終わった。


(何がよかったってんだ)


 俺は内心で独りごちて足元を見た。瓦礫がそこかしこに落ちる凸凹の地面に、〈罰の魚〉の影が張り付いている。


 それから視線を上げる。傾いた廃ビルの表面には、胎児のように丸まった天使の影。


(エノクは無駄死にだ)


 彼の死などなかったかのように向こうで安堵の言葉を掛け合う奴らは、別段薄情というわけでも、思いやりに欠けるというわけでもない。


 普通だ。今の時代、大体の人間は捨て駒だから。


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