第1話 偽英雄
一九四五年十月二十四日、午後三時四十七分、戦闘部第十三分隊より基地へ入電。
『天使と遭遇。一対翅、名無し、現在交戦に入った。至急増援を送られたし』
同・午後三時四十九分、〈反抗者〉第七支部より、任務中の第二、第六、第九分隊へ支援要請。
同・午後四時十二分、第十三分隊より再度入電。
『撤退中。十二分後に西ハッチへ到着予定。ハッチ解放求む』
作戦部はこれを拒絶。第十三分隊へ作戦地点に戻るよう指示。同時に第二、第六、第九分隊へ要請。
『第十三分隊を基地へ近づけるな。最悪の場合、射殺してよし』
この判断は真っ当なものだ。天使と遭遇した第十三分隊の帰還とは即ち、拠点の所在を天使に知らせるということだから。
現状、〈神の鉄槌〉を防ぐ手段を人類は持たない。見つかったら殺される。だから地下に身をひそめる他にない。
天使と遭遇した場合、その場で交戦して〈契約者〉の到着を待つこと。撤退は許されない。例え全滅することになろうとも戦い続け、少しでも多くの〈罰の魚〉を破壊するべし。
それが戦闘部一般戦闘員に求められる全て。
要するに、俺たちは捨て駒ということだ。
天使に傷をつける手段を持たないから仕方のないことだが、決して気分のいいものではない。
* * *
オンボロ戦闘車で廃墟を進む。『第十三分隊を近づけるな』というクソ命令以降、基地との通信が繋がらない。
「第十三分隊が無事に帰還を果たしちまったのかもな」
チャーリーが七・六二ミリ機関銃の照準を覗きながら言った。この戦闘車唯一の武装。彼が引き金を引くと銃口から黄緑色の光の粒が飛び出して、向こうに浮かぶ〈罰の魚〉が弾け飛んだ。
またチャーリーが撃って、倒壊したビルの間を泳いでいた〈罰の魚〉が弾け、歯車やネジなどの金属が散らばり、チャーリーが次の標的に照準を合わせる。
そこかしこを泳ぐ〈罰の魚〉の大きさは大小様々。共通しているのは鉛色の金属パーツを寄せ集めたような形をしていることで、実際、撃つと金属パーツに分かれる。
これは天使が吐き出す『罪人への罰』。地上に取り残された人間は等しく罪人で、故に等しく〈罰の魚〉と出会したら襲われるわけだが、俺たちは等しく自らの罪状を知らない。
「おい、チャーリー、ムダ撃ちすんな」
チャーリーの横、操縦席に座るブラヴォーが、うんざりした様子でチャーリーを一瞥して進行方向へ視線を戻した。
「いいだろ、別に。アイテール式銃器に弾切れはない」
「だが、それ自体の耐用限界はある。そいつが壊れたら、こいつは完全にただの車になるし、俺たちはライフルだけで戦わなきゃならなくなる」
「今とそんな変わんないだろ」
「ホエール級の〈罰の魚〉が来た時に必要だろ。あれの鱗はライフルなんかじゃ撃ち抜けない」
チャーリーが「へいへい」と応えて頭の後ろで手を組み、シートにもたれる。
「今頃、基地は〈神の鉄槌〉で吹き飛ばされてるかな」
その独り言に、俺の隣に座っていたエコーが「不吉なこと言わないでよ」と抗議の声を上げた。
「そんなことになったら、僕らはまた移動しなきゃならなくなる」
「だったら何だよ。仕方ねえ話だ」
「もう野宿の日々はごめんだよ」
「俺に言うな」
この三人は先々週天使の攻撃で壊滅した第十支部の生き残りだ。施設も装備も吹き飛ばされた焼け跡から出て、夜を延々と歩き続け、最寄りの第九支部に着いたのが一昨日のこと。
前にいた部隊でのあだ名で呼び合う仲良しこよし。彼らにとって今の状況は、新しい環境でやっと一息ついたところで嫌々つかされた作戦行動。
エコーの気持ちはわからないこともないが、それをチャーリーに言ったところで仕方がないし、天使相手の命乞いはもっと仕方がない。
「ねえ、ギデオンはどう思う?」
こうして俺に話を振るのも、もっと。
「……何が」
俺はライフルを抱えて腕組みをして、ボロボロのシートに深くもたれた。タイヤが瓦礫を踏む振動が尻に響いて座り心地は最悪。
「基地は無事だよね?」
「あと五分もあれば着く。自分の目で確かめるんだな」
「僕、地上で昼を過ごすなんてもう嫌だよ」
「何言ってんだ。戦闘員なんだからいつも過ごしてんだろ」
「それとこれとは話が別だよ」
向かいに座るサムが「ハッ」と鼻で笑った。エコーの子供のような駄々ではなく、俺に向けて。
「『天使も〈罪の魚〉も俺がまとめて倒すから安心しろ』とか言ったらどうだ?」
まるで俺が普段からそんな馬鹿みたいなことを言っているように言うが、俺は過去にそんなことを口走った記憶などない。
「ギデオンは強いの?」
案の定、エコーがその言葉に反応した。俺より少し年下——十代後半と思しき彼の顔立ちには僅かに幼さが残っていて、故にその期待に満ちた笑みは眩し過ぎて憐れだ。
俺が無視を決め込んでいると、サムが「すごく強いぞ」と当てつけのように明るい声で言い、
「何せこいつは〈偽英雄〉だからな」
続いた言葉にエコーの顔が曇り、チャーリーとデルタが「マジかよ」と顔を見合わせた。
「本物に会うのは初めてだ」
チャーリーの言葉は単語の並びとしては有名人と遭遇した時のそれだが、音には過分に蔑視を含む。
「そうか」サムがニヤリと笑い、「それはもう、面白いぞ」片手をヒラリと振る。
「走る速度は車並み、跳躍力はビルを越える。体は頑丈でちょっとやそっとじゃ怪我なんかしないし、大怪我しても次の日にはケロッとしてやがる」
つらつらと偽英雄の特徴を並べ立て、「だが、天使は殺せない」と続ける。
「ただ強いだけの人間だ。〈罪の魚〉相手にはそれなりに使えるし、天使と戦う時の盾としては優秀だが、それだけ。先祖と同じく、肝心な部分では役立たずだ」
彼、あるいは彼ら。地上人類が〈偽英雄〉に対して抱く侮蔑や憎悪の起源は、数千年前の古代戦争に遡る。
空より現れた神と天使、地上の悪魔と英雄。人間の存在をよそに天と地が争った戦いは、悪魔の破壊と英雄の敗走に終わった。
あの時、英雄がその名に恥じぬ戦いを繰り広げていたなら、天使を打ち破ることができただろう。そうしなかったから今も天使が存在していて、故に我々は怯える日々を送っている。
英雄とは即ち、腰抜けの名だ。
「余所者はクソ野郎と組めってか」
デルタが悪態をついてハンドルを握り締め、チャーリーが「先に言ってくれよなー」とぼやき、エコーが向こう側の壁へ身を引く。たった数センチでも多く俺と距離を取りたいといったところか。
俺はそれが見えないフリをして、レッグホルスターからナイフを抜いた。黒い刃に淡い黄緑色の層を纏う電磁多用途ナイフ。ライフルの先につけると銃剣として使用できる。
着剣装置をいじっていると、こちらを見たサムが「驚きだろ」と言いながらチャーリーの方を向いた。
「こいつは〈罰の魚〉や天使相手に近接戦を仕掛けるんだ」
俺は嘲笑をはらむ声を無視して到着後の動きを脳内でシミュレート。
とりあえず近くの〈罰の魚〉を破壊して回る。それからどうにか天使に飛び乗る。銃剣を突き立て、それから銃剣を突き立てて、さらに銃剣を突き立てて、次いで銃剣を突き立てる。
これをひたすら繰り返す、というのが、俺がずっと繰り返してきた戦い方。それ以外を思いつかないし、それ以外はできないし、それ以外の選択肢はない。
だから余計に笑われる。偽英雄は頑丈だから雑な戦い方ができていいな、とか。馬鹿な英雄の子孫は馬鹿なのか、とか。
笑われるのはどうでもいいが、『頑丈でいいな』と言われるたびに『じゃあ代わってくれ』と言いたくなる。英雄の血を持たない普通の人間になれば、悪魔と契約できるから。
(どいつもこいつも、ずっと昔のことをごちゃごちゃと……)
考えているうちに基地が見えてきた。ここを経由して東にある第十三分隊の作戦区域に向かうはずだったが——
「そんなぁ……」
エコーがぼやいた。
〈反抗者〉第七支部は地下にある。そこに大穴が開いていて、出てきた人間が戦闘員も非戦闘員も関係なくライフルを持って駆け回っていた。
蜂の巣をつついたよう、とは正にこのこと。そこかしこに〈罰の魚〉が泳いでいて、その上空の夕日の中に一対翅の天使が浮かんでいた。
一九四五年十月二十四日、午後四時四十一分現在、第七支部上空には火球の雨が降っている。
日没予定時刻まで、あと十六分。




