第39話 怪物はかっこいい
炎はまるで重量のある実体をもつかのように瓦礫を押し流しながら進み、レミエルの直下に到達すると竜巻の如く上昇した。〈罰の魚〉の列を飲み込み、鉛色の魚の群れが溶けて、個々の境界を曖昧にていく。
炎の渦の先端がレミエルに到達。赤とオレンジのまだらの色彩が、白くのっぺりした機械仕掛けの巨体を覆う。
「漛ᘤᄁ!!」
レミエルが頭を擡げて何かを叫ぶ。相変わらずの聞こえているのに聞こえない声だが、なんとなく、『熱い』と言っている気がする。
炎がレミエルの体表を流動する。昼の青空に浮かぶ、絶叫を放つ巨大な炎の塊。一体何が起こったのかと俺が炎の源流を向くのと、廃墟を吹き飛ばしてそれが姿を現すのはほとんど同時だった。
瓦礫の陰から最初に顔を覗かせたのは、馬や牛に似た、口のところが突出した獣の横顔。次に、その隣の、虚ろな目をした人間の顔。さらに続いて、隣に鋭い牙の肉食獣の顔。
三つの頭を持つ四足獣。前足は豹のような毛むくじゃら。胴体はトカゲのような鱗。後ろ足は猛禽類のような鋭い爪がついていて、尻尾の先には爬虫類の顔。
火球に地上が焼き尽くされる前はそこかしこに存在し、今もどこかで細々と命を紡いでいる多様な動物をデタラメに繋ぎ合わせたような、怪物。
怪物の背中で、コウモリの羽のような飛膜でできた翼がバサリと羽ばたいた。その陰からひょっこり顔を覗かせたのは、
「ギデオン! ああ、よかった、生きてた……怪我はない? 大丈夫?」
まさかの、サラ。
「……????」
俺は状況がわからず、ひとまず近づいてきた〈罰の魚〉をウォーハンマーで粉砕する。それから自分が彼女の問いに返事をしていないことに気づき、何を言うか決めないまま口を開きかけたところで、
「無視とは何事ですか! ギデオン・ロス!」
アスモデウスの声がした。怪物の三つある頭のうち、口を半端に開いた虚ろな目の人間の頭から。
「お前、アスモデウスなのか?」
「そんなことはどうでもいいのですよそれより心配してわざわざここまで来たサラの問いに返事の一つもないのですかどういうことですか馬鹿なのですか女性の心遣いを無碍にするなどだからあなたはモテないのですよ」
「……サラ、無視して悪かった。俺は、まあ、無事だ」
「謝罪が雑すぎますあなたの誠意はその程度ですか!」
「無視して申し訳ありませんでした!」
俺は反射的に謝罪を叫び、そして、ふと思う。
何故悪魔はこうも状況に対する危機感がないのか。今は謝罪云々言っている場合ではないだろう。死の恐怖がないからか。だとして、冷静に考えれば今はふざけている場合では——
ベルが俺の肩に腕を回し、抱きつき、顔に胸を押し当ててくる。
「よかったな、ギデオン。この見た目の君が、まさか女に心配される日が来るとは夢にも思っていなかっただろう」
——今はこういうことをしている場合じゃない!
「なんなんだお前らはっ、離せ!」
俺は顔を背けてベルのおふざけから抜け出そうとするも、何せ左手には彼女を抱えていて、右手では近づいてくる〈罰の魚〉を打ち払っている状態。
ベルが「ふふっ」と笑ってより一層身を寄せてくる。——なんだか、俺だけが苦労している気がする。
「いい加減にっ——」
ついっと、ベルがアスモデウスを見た。それから「ハッ」と鼻で笑う。
「随分と意固地になっていた割に、結果はこれか」
アスモデウスが前足で地面を強く叩き、肉食獣の顔が口を開ける。そこから炎が流れ出し、レミエルの方へ。
人間の頭の虚ろな目が、もったりとした動きでベルを捉えた。
「何か問題でも?」
「いや、何。結局君はその醜い姿を晒すことにしたのかと、感慨深く思っただけだ」
「……醜い?」
アスモデウスの右の眉がぴくりと痙攣する。
「蝿の王の名よりは随分とマシかと」
嘲るような声に、ベルの「なんだと?」と地を這うような声が続く。今度はアスモデウスが鼻で笑った。
「ウブな男を誑かしてベルなどと呼ばせて悦に浸っているお前に、私の姿を嘲笑う道理は存在しないかと」
「このっ……言わせておけば!」
「お前がどう嘲ったところで、私に傷をつけることは叶いませんよ、ベルゼブブ。この姿は、サラが考えた最高にかっこいい怪物の造形ですから」
「はあ!?」
「色仕掛けに誑かされた男の妄想であるお前とは、美しさの点で次元を画しています」
アスモデウスが獣の前足を器用に曲げ、胸に肉球を当てて尊大な笑みを浮かべる。俺の肩に回されたベルの腕がプルプルと震え出し、
「ギデオン! もっと美しくエレガントで崇高な私の姿を想像しろ!」
「なんでだよ……」
「私の力でそれを実現し、私は最高の私を手にいれる!」
「いや、流石にそんなことに魂使うのは勘弁して欲しいんだが」
「そんなことだと!? 臣下の分際で、主人の意向に異を唱えるか!」
「俺、お前の臣下になった覚えないぞ」
向こうで得意げに笑うアスモデウスに、サラが困り顔で話しかける。
「アスモデウス、こんな状況で喧嘩しないで」
「ベルと仲良くしろとでも言うのです?」
「そう。協力して戦わなきゃ」
アスモデウスが「無理ですよ」とため息をついた。
「悪魔同士が互いの手を取って共闘できるなら、そもそも、古代戦争で神側に敗北などしていませんから」
「……どういうこと?」
「元々の仕様として、私たちは他者を従えることはあっても、隣に並ぶようにはできていないのです。それは天使も同じこと。ですので、個々の力で劣っていても、数を合わせれば勝てるわけですが、古代戦争の最中であっても私たちはそれを成し得なかった」
サラが困ったような顔で首を傾げる。俺はベルの横顔を見て、
「悪魔は性格が悪いって話か?」
尋ねると、ベルは心底呆れた様子でため息をついた。
「違う。古代戦争の敗因の話だ」
「?」
「終わりこそ完膚なきまでの敗北だったが、あの戦い、初期は我々が優勢だった」
「初めて聞くな」
「人間は忘れてしまったからな」
テラコッタの瞳が、炎に巻かれたレミエルを仰ぐ。僅かに溶けた外殻を認め、目を細めた。
「神の直接の被創造物のうち、他者と手を繋ぐ機能を有しているのは人間だけだ。その特性を持つ半神半人である英雄たちを介して私たちは『共闘』を成していたが……半分が人間の英雄たちは、『絶望』の機能も有していた」
それから俺を見て、肩に抱きついていた腕の力を緩める。
「『英雄』とは、その行動を讃える後の時代の者どもがつける形容だ。彼らは他者と手を取り合って戦い、しかし未来に絶望し、繋いでいた手を離し、一人で戦って一人で死んだ。……そして今に生まれた君たちは、戦争の結末だけを知っている」
語る声はどこか寂しげで、しかし、彼女は言い終わると片方の口角を持ち上げてニヤリと笑った。
「君は長い歴史の先頭に立っているわけだが……さて、これからどうする?」
示唆を軽薄で包んで隠すような物言い。俺はそれに、回りくどい導きを与える古い神の造形を見た。




