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第38話 仲間

〈偽英雄〉は人間扱いされない。そもそも、その体に流れる血の何割かは人間のものではなく、身体能力は人間が同類と認識できる範囲から大きく逸脱しているから。古より、人類は自らと似た姿の異物を『怪物』と揶揄してきた。


〈偽英雄〉は英雄ではない。何せ、『偽』だから。人間の『普通』を大きく逸脱しておきながら、その能力は理想に遠く及ばない。


 英雄になりたいのなら、力を得たいのなら鍛錬をすればいいと言われればそこまで。しかし、俺が欲したものは、当たり前だが筋トレ云々でどうにかできるものではない。


 悪魔の力以外にも、この地上に『力』は数多存在する。それはその通り。兵器とか——兵器とか。ライフル一丁片手に地べたを走り回る以上の選択肢は存在するが、それが天使の外殻を貫くに至らないことは、〈終末審判〉以降の浅い歴史が証明している。


 故に俺は悪魔の力を求めた。それが、取り得る選択肢の中で、最も理想に近づくものだったから。ただ、それだけ。


 ——それだけだと、思っていた。


 * * *


 現在と過去。幻と現実。存在し得る可能性と、遠い作り物の景色。そういうものが綯い交ぜになった濁流が、頭の中に無理やりぶち込まれる感覚。


 どこまでが自分の五感が知覚していることで、どこからが全くのデタラメなのか。そんなことさえよくわからない。ただ、あらゆる方向に引っ張られた『俺』が散り散りになって、自らのコントロールを失っているのは確か。


 俺は何をしていたのだったか。昼寝を——いや、違う。さっき死んだところで——いや、生きているような気がする。俺は誰だ。下半身を失った死体を知っている。あれが俺か。いや、内臓を食い荒らされた死体も知っている。


 俺は死体?


「ギデオン! 起きろ!」


 誰かの声。いや、これは俺の声か。ギデオン——は、俺だ。俺が俺を呼んでいる。いや、違う。それだと()()()はどの俺かという問題が。


「このっ……寝ている場合か!」


 何か、衝撃。同時にパチッと何かがぶつかる音。ハハッ、弱いな。お前は力が弱いんだから——


 ——『お前』って、誰だ。


 そうだ。俺は一人ではない。俺の周りには世界が存在する。誰かがいる。この声は——ああ。ベル(美しい人)


「あっ……」


 俺は俺の声を聞き、同時に自分が体を持っていることを思い出した。それから、過去と現在と未来が綯い交ぜになった視界の、何かがあるのに何も見えない視覚を認識して、


「ギデオン!」


 彼女の声。視界が晴れて、最初に見えたのは真っ青な空。それから、傍らに膝をつくベルの姿。何故膝をついているかと言えば、右足を失って立てないから。


 つまり彼女は地面にいる。何故いるのか。背中の翼は健在。では、俺がいるからか。背中に硬い地面の感触。


 ベルが白銀の槍を振り回している。切羽詰まった表情で、柄を両手で握り締めて。まるで必死なように。らしくない。一体、何に——


 バラバラと、金属片をぶちまけるような音が続いている。


(ああ、そうだ。俺は天使と戦ってて……)


 それで、どうしたのだったか。死んだのか。——ああ、違う。ベルがいるということは生きていて、俺はまた、死に損なって——いや、それではまるで、俺は死にたがっているよう。


 まあ、実際、死にたがりか。


 誰も彼もが死んでいく。死なない誰かが欲しかった。しかし世界は、弱いものから死んでいくようにできている。


 悪魔は、契約相手が死なない限り、死なない。そもそも、化石から蘇生されたその体は、科学の理解の外側にある。どれだけ損傷しようと元に戻る。死ぬのは、消えるのは、契約者の魂が消えた後。


 すっかり忘れていた。だから彼女の右足を心配する必要などなかった。俺が死なない限り、放っておけばそのうち生えてくるのだから。——俺は、心配していたのか?


「ギデオン、目が覚めたのならさっさと起き上がれ!」


 そこかしこから〈罰の魚〉が近づいてくる。ベルが振り回す槍の刃先が当たると同時に、崩壊した魚がバラバラと音を立てて落ちる。さすが、悪魔の力で作られた槍だ。どうしてそうなるのかさっぱりわからない。


 彼女は、どうして〈罰の魚〉を狩っているのか。——ああ、俺がいるからか。ここで、俺が、寝ているから——


 ——彼女の背後に、シャーク級。


「ギデオン! いい加減に——」


 気づくと、牙が並んだ口を男の手が掴んでいた。視界の画角が変わっている。いや、『画角』と言うのは変か。俺の視界だ。


 メキメキと音を立てて、男の手が〈罰の魚〉の顎を握り潰す。『男の手』と言うのも変か。俺の手だ。


 俺はベルを抱えて走り出す。


「うぇっ!?」


 耳元に彼女の驚く声を聞きながら状況確認。視界良好。戦況は最悪。そこらじゅうを〈罰の魚〉が泳いでいて、レミエルは宙を飛んでいる。虹色の翅が鳴らす羽虫のような音が耳障りだ。


 俺はベルを片手に抱え直し、空いた右手を伸ばした。開いた手のひらに武器をイメージ。以前、〈罰の魚〉の群れを薙ぎ払った黒い剣。


「……ハハッ!」


 しかし現れたのは、剣身がシルバーグレイの両刃の剣。


『私が知っているジュワユーズの刃はシルバーグレイで、こことここは金でここは白銀だ!』


 幼女姿のベルの言葉に引っ張られたか。なかなかどうして、俺は流されやすいらしい。


 剣を横に一振り。行く手の〈罰の魚〉がガラクタに返ったが、すぐに他から泳いできた個体に道を塞がれる。


「君が呑気に寝ているからこのザマだ」


 ベルが呆れたように言って、俺の肩に掴まり直す。


「なんだったんだ、あれ」

「さあな。君の寝言を聞いていた限り、トラウマを再生するタイプの精神攻撃のようだったが」

「俺、何言ってた?」


 尋ねると、ベルは視線をスッと横に逸らして「秘密だ」と言う。


「……それより、君が寝ている間の私の働きを労って欲しいものだな。大変だったぞ。君は無駄に体が大きいから防御範囲が広いし、担いで移動することもできない」

「守ってくれてたのか?」

「君はダイエットをするべきだという話だ」

「それは、次は俺を担いで逃げられるように?」


 ベルがムッとした顔をして、それから「まあ、そうだな」と行く手を向く。


「君が死んだら、私も消えることになる」

「その辺のことは、お前にとってどうでもいいんじゃなかったのか?」

「……気が変わった」少し言い淀み、「だからもう少し考えて行動しろ。臣下は主人の願いを汲むものだ」


 誰も彼もが死んでいく。俺だけが今も生きている。新しい夜を迎えるたび、「何故お前だけ」と死者に後ろ指を指されているような気がしていた。


 俺だって、こんな無謀なゲーム、さっさと降りたい。しかし、躊躇ううちに死体が積み重なり、気づけば手札を放り投げることができないところまで来ていた。


 英雄になどなれない。半端者に生まれた俺は、生きている限り半端なまま。それは変え難い事実で、このゲームにうんざりしているのも変わらないけれど——


「お前は、俺に生きてて欲しいのか?」


 尋ねると、ベルは盛大なため息をついてから、「君は割と有用だ」とボソボソした声で答えた。


 悪魔の囁きだ。悪くない。


「じゃあ、とにかくあいつをどうにかしないとな」


 俺は走りながら、〈罰の魚〉を倒しながら、レミエルを見上げる。虹色の翅が細かい羽ばたきを繰り返していて、六本の腕が丸い胴体を抱えるようにクロスされていて、顎が外れたように開かれた大口から〈罰の魚〉が流れ出している。


「……あの飲み会帰りの酔っ払いみたいな感じ、どうにかなんないのか」


 俺が思わず呟くと、ベルが「君、飲み会なんか行ったことがあるのか?」と言ってニヤリと笑った。


「ボッチのコミュ障のくせに」

「……昔、親父が酔っ払って帰って来た時にあんな感じだった」

「ほう。つまり君自身は飲み会に行ったことがないと」

「そりゃそうだろ。飲み会なんかやるような世界じゃない」

「第九支部では時々催されていたようだが?」

「…………」


 どうにも、ベルとの会話は話題が脱線しやすい。俺は周囲を見回し、ひとまず彼女を降ろせる場所を探す。


 ——瞬間、向こうの廃墟が轟音を立てて粉砕し、炎の濁流が流れて来た。


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