第22話 コランの森
コランの森はかつての首都に隣接する自然保護区で、豊かな原生林に数多の動物が生息する、豊かな水資源に支えられる緑の土地だった。
今は〈終末審判〉の時に焼かれて炭になった木が立ち並ぶ、黒と灰色と地面の赤茶色ばかりの景色が続いている。神の鉄槌が焼いた土地には草木が生えないことは、あれから九年経っても理由のかけらさえ判明しない謎現象だ。
いや、悪魔学者のヤムは独自の見解を持っていたか。
彼は言った。
『生きていること自体が罪だからだよ』
故に神の炎が浄化した土地には草木が生えないし、動物は立ち入ることができないのだと。だったら俺たちが焼けた施設を再利用しているのはどう説明するのか。
(胡散臭い野郎だ)
俺はかつて木だった黒い棒の羅列を見渡し、〈罰の魚〉の影がないことを確認してからバックパックを下ろした。
現在時刻は午前六時三十二分。本当は夜の間に着いてヤムと合流するはずだったが、リヴァイアサンが何故か途中で何度も足を止めたせいでこの時間になってしまった。
仮にヤムが生きていたなら、彼がいるのは天使や〈罰の魚〉から身を隠せる場所ということになる。とりあえずそこに賭けてみよう。
俺は考えながらため息を一つ。端に詰めた小型通信機を引っ張り出す。
スイッチを入れると、すぐさま救難信号を受信した。俺はその波長に発信を試みる。しばらくして、
『もしかして誰か助けに来てくれた?』
軽薄な男の声が応答した。ヤムだ。
「元第七支部戦闘部第九分隊のギデオン・ロスだ」
『やあ、ギデオン。そんな他人行儀な名乗り方をしなくても、僕は君をよく知っているし、君も僕を知っているだろう?』
「…………」
『それはそうと、元って?』
「第七支部は壊滅した。生き残りは俺を含めて七人」
『それはまた……どうしてそんなことになっちゃったの』
「話せば長くなるが……結論としては、天使に襲われた」
俺の説明に、ヤムは『ありゃりゃ』と実に能天気な声を返す。
彼は本部から来た最初の日からずっとこの調子だ。頭のネジが外れているというか、狂っているというか——まあ、多少狂ってなければ、そこらを歩き回って悪魔の化石を探す『悪魔学者』などやらないだろう。
俺は再びため息をついて、
「救難信号を受けて来たのは俺とベルとリヴァイアサンだけだ」
『ベルって?』
「……お前が本部から持ってきた化石の、正体不明の悪魔だ」
『あの子か。もしかして君が契約したのかい?』
「ああ」
『へえ。まさか悪魔が〈偽英雄〉との契約に応じるとはね。それで、ベルって名前はどういう経緯で?』
俺は反射的に答えかけたが、息を吸ったところで視界の端にベルの白緑の髪が映ってやめた。
「……無駄話は後だ。今、お前はどこにいる?」
『ニアラーム川沿いの丘だよ。以前、動植物保護レンジャーの拠点があったところ』
「俺はここに来るのが初めてだ」
通信機の向こうから、ヤムの『あらま』というおどけた声。隣に立つベルが盛大なため息をついた。
「まどろっこしい会話だな」
その声を聞きつけたヤムが『君がベルかい?』と明るい声で言う。俺は通信機が拾わないよう声を顰め、
「ヤムは気が散りやすい性格なんだ。黙っててくれ」
「では、口を挟みたくなるような会話をするな。何故君はここに来たことがないのにヤムの現在地を聞いた?」
「それがわからないと動きようがないだろ」
「聞いたところで動けないだろう。地理がわからないんだから」
「…………」
俺がしばし黙っていると、ヤムが『ギデオン、君はどの辺りにいる?』と尋ねてきた。
「東側だ。十三区画から森に入ってしばらく歩いた」
『そうなると……南東方面に、草木の緑は望めるかい? 僕らはそこにいる』
俺はその問いを不思議に思いつつ、バックパックを肩にかけて歩き出した。南東に向かいつつ、見晴らしのいい場所を探す。
(全部焼かれたんだから、草木なんてどこにも——)あるはずない、と、思いかけた瞬間。
「……なるほどな」
黒と赤茶色のなだらかな傾斜が続く、ずっと向こう。丘の頂に若草の色彩。地面の中で灼熱の炎に耐えた種子が芽吹いたものだろう。
何の理由もなくここを歩いてあれを見つけたなら、俺はきっと驚き、緑の色彩に超常的な何かを感じたかもしれない。だが、悪魔学者がそこにいるとなれば話は別だ。
あの場所には悪魔の化石がある。だからあの場所には草木が生えている。
* * *
神の鉄槌に焼かれた土地には雑草の一本も生えない。しかし、悪魔の化石がある場合はその周りに草木が生え、どこかから野生動物がやってきて新たな生態系を形成する。
この事実は、〈反抗者〉の前身組織が悪魔の化石を探し集める中で導き出した法則だ。何がどうしてそうなるのかはわかっていない。
わからな過ぎるからか、『ただ生きる者』の間ではこれを理由に『悪魔は生命の守り神』などという噂話が流れていて、それをまともに信じる集落では悪魔が祀られているなどという話も聞く。
つまり訳のわからない現象ということだが、悪魔学者を探す目印に都合がいいのは確かだ。
丘を登ることしばらく。ただの『緑』に見えていたものの細かな造形が見えてきた。
なだらかな地面にびっしりと生える若草。ひょろっとした木々は伸び盛り。奥に焼けた大木の幹があり、乾いた黒の隙間から無数の芽が葉を広げている。
その陰からヤムがひょこっと顔を覗かせて、「早かったね」と言いながら手を振った。健康的な褐色の肌の、シルバーホワイトの髪を男にしては少し長く伸ばした五十代の男だ。
「君は戦闘部だし〈偽英雄〉だからわかるけど、悪魔の二人は——」
俺の隣を歩いていたリヴァイアサンが駆け出し、それを見たヤムが言葉を切った。幹の陰から出てきた彼の後ろに、小柄な人影。
「הרמן!」
リヴァイアサンが言いながら両腕を広げる。相変わらず水の中で話すようなモゴモゴとした声だが、これだけは、俺にも意味を理解できた。
道中、彼女の言葉の中に何度もこの音を聞いた。これは『ハーマン』という意味だろう。
ヤムの後ろから出て来た少年が、「リヴァイアサン!」と言って表情を明るくした。クリーム色の髪の、気弱そうな顔立ちをした十代前半と思しき少年。エメラルドグリーンの瞳が陽光を反射してキラキラと輝く。
二人は勢いよく抱き合い、互いの存在を確かめるように相手の背中に腕を回した。リヴァイアサンが「הרמן」と名前を繰り返し呼び、ハーマンが「本当に来てくれたんだね」と微笑む。
俺は彼らの姿に確信した。やはり、リヴァイアサンの戦闘を止めて正解だった、と。
「実に感動的な邂逅だ」
隣に立つベルが、どう考えてもそう思ってなさそうな声色で言った。俺は面倒ごとの気配を察しつつ、とりあえず横目にそっと彼女を確認してみる。
テラコッタの瞳が悪戯っ子のような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「君は何かないのか?」
「……『何か』って、何だよ」
「私もああいう青春をやってみたいな」
「一人でやってろ」
「君は退屈な男だ。口を開けば模範解答ばかりで、冒険をせず、手堅い選択ばかり。まあ、厨二病はやや面白かったが」
「うるせぇ、ほっとけ」
「せめてドラマを寄越せ」
俺が「ドラマって何だ……」とぼやくと、こちらを見ていたヤムが「君たち仲良しだね」と言って笑った。やはり悪魔学者というのは、少しおかしい人間がやる仕事らしい。




