第23話 悪魔の化石
ハーマンは物心がついてからずっと〈方舟〉の一拠点にいた。そこが天使の襲撃を受けて壊滅したのが一ヶ月ほど前のこと。一緒に逃げた数人の大人は怪我が腐って死に、その死体の傍らで眠っていたら夢でリヴァイアサンに会ったという。
彼はそこで初めて〈反抗者〉と悪魔の存在を知った。それから自らの境遇を見つめ、大切に握り締めていた信仰を捨てた。
祈りに意味はない。それを聞き届ける神は、この地上のどこにも存在しないのだから。
「それで、リヴァイアサンが『緑のところに行け』って教えてくれたんだ。だからぼくは歩いて、ここに来て、そしたらヤムがいた」
堰を切ったように話し出した少年はきっと、ずっと誰かと話したいと思いながらそれを叶えられずにいたのだろう。子供は元来お喋りなものだし、子供の話し相手がヤムに務まるとは思えない。
その心境に配慮してやりたいという思いはある。だが、そうも言っていられない状況なのは確か。
(いい加減、そろそろ移動しないと……)
ノロノロと動く太陽が、天球の頂点に向かっている。俺は周囲を警戒しながらハーマンの話に相槌を打ち、キリのいいポイントを探す。
ふと、こちらを見ていたヤムが口を開いた。
「〈罰の魚〉を警戒しているなら、心配は無用だよ」
呑気な声で言い、「でも、一応念を入れようか」と言って歩き出す。ハーマンと彼にくっついたリヴァイアサンがそれに続く。
「『念を入れる』って?」
俺は尋ねながら歩き出し、そこでようやく気づいた。我ながら遅過ぎると思う。彼らを見つけたことに無自覚ながら安堵して、気が緩んでいたのだろうか。
ヤムとハーマンは丸腰だ。今日まで〈罰の魚〉と戦い続けて武器が底をついたと考えるのも一つだが、二人とも、そこまで戦い続けられるほど戦闘に長けているようには思えない。
それと、ヤムと行動を共にしていた十人の発掘作業員の姿がないのは何故か。
「悪魔の化石がある場所には草木が生える」
ヤムの後ろ姿が話し出す。
「その緑の中に〈罰の魚〉が入って来ないというのは単なる僕の経験則でね。まあ、ある程度の論拠はあるけど……みんなはそれを信じなかった」
こちらを半分だけ振り返り、「『太陽の下の歩き方』とかってタイトルの本でも書いておけばよかったかな」と軽口を言い、再び前を向く。
「まあ、そんなものを書いたところで、それを正しい情報とする社会基盤がもう無いわけだから、無意味だけど」
探査部一行は東側からコランの森に入った。焼けた森をしばらく歩き、朝が近づいたところで、彼らは焼け落ちたかつての管理施設を見つけた。
発掘作業員たちはそこで休むことを主張し、ヤムは向こうに見えていた緑を指した。着く頃には夜明けを迎えているだろうが、あの場所の方が安全だから、と。
ヤムが本部にいた頃の仲間なら、彼の言葉を受け入れたかもしれない。しかし彼は第七支部に来てからまだ半年しか経っておらず、その間に行った探索の強行具合や彼の変人色から、信用を得るには程遠い状況だった。
故に発掘作業員たちは管理施設で休み、ヤムは早く化石を確認したいこともあって一人で緑の場所へ向かった。
結果は、彼が今ここに一人で(正確にはハーマンと二人で)いることが能弁に語っている。
「『論拠』ってのは?」
俺の問いに、ヤムは前を向いたまま「悪魔の化石の存在だよ」と答える。
「あれは数千年前の古代戦争で神に敗北した悪魔の亡骸。人類がそれを再発見したのは十九世紀のこと。現在〈反抗者〉が使用している悪魔蘇生技術の基礎理論は、二十世紀の終わりのヒトゲノム計画の副産物だ」
「……つまり?」
「神は僕ら『罪人』の掃討のために天使を送って来ている。悪魔の力を使ってそれに抗うことは神に仇なすことなわけで、彼らにとって悪魔の存在は邪魔でしかない」
「なるほど。神の側が悪魔の化石を破壊できるなら、一つ残らず焼き尽くして人間の抵抗手段を消してるって話か」
「そういうこと。それをせずにいるのは、破壊できない仕組みがあるか、破壊しない事情があるってところさ」
「だから悪魔の化石の近くは安全って?」
「その通り」ヤムは少し頭を上げ、「天使も〈罰の魚〉も悪魔の化石に近づかないってことは、本部にいた頃に何度か試した」何でも無いことのように言った。
彼が望む向こうの景色——所々に背の低い草木が生える土色の斜面に、見るからに自然のものとは思えない構造物が嵌っている。
二階建ての民家くらいの大きさはあるか。コンクリートに似た暗い灰色の、かろうじて人型に判別される造形。
仮面をつけたようなのっぺりとした顔と、幾重にも重なる装甲とも鱗ともつかない構造が覆う胴体、それと比較するとやけに細く短い四肢。その場に尻餅をついたような体勢。
「これが、悪魔の化石?」
独り言に近い俺の問いにヤムが頷く。切り離された一部——人間の頭ほどの大きさの眼球や重機のような腕なら俺も見たことがあるが、全体を見るのは初めてだ。
「せっかく見つけたんだけどね……」
ヤムが困り顔で見上げる悪魔の化石、その肩の部分にちょこんとリスが乗っていて、前足で顔を掻いてから駆け出して草の中に消えた。
発掘作業員が全滅してしまったから切り出せない、という話かと思いきや、
「無駄骨だったな」
隣に立つベルがため息混じりに言った。
「どういうことだ?」
「これは夢魔の化石だ。蘇生したところで大して役に立たない」
「弱いってことか?」
「ああ。その辺の雑魚魔術師の使い魔にされるほどの低級で、ありふれていたし、力が固定されている上に戦闘向きでは——」つらつらと話し出したベルがふと中途半端なところで言葉を切り、
「……おい、どこ見てんだ」
彼女と契約してから、この問いを発するのは何度目だろう。テラコッタの瞳が動いて、当たり前のように俺の下半身を映して止まった。正確に言うと、股のところ。
「馬鹿とハサミは使いようと言うからな」
「もういい。それ以上言うな」
「君を元気にするにはこれ以上の適任者はない。持ち帰って蘇生しよう」
「言うなって言ってんだろ」
「良かったな、ギデオン。夢魔の力を使えば、君は見た目通りの機能を取り戻す」
「見た目通りってなん……いや……そもそも俺は機能を失ってなんかない。言い掛かりはやめろ。何でお前はいつも話のオチを下ネタ——」何となく恥ずかしくて視線を斜め上に向けていたら、「——にっ!?」下腹部についっと何かが触れて変な声が出た。最悪だ。
見下ろすと、ニヤケ顔のベルが俺の下腹部を指先で撫でている。
「な、にすんだよ、やめろ」
「本当は嬉しいくせに」
「んなわけあるか!」俺はベルの手を掴んで止めようと試みるも、「くっそ……」細く白い手がひらひらとそれを躱す。
「お前、本当は夢魔なんじゃないのか?」
「なっ……!? 不敬なっ! 私をあのような低級と一緒にするな!」
「しょっちゅうこうやって下ネタかます辺り、違うとしても大体同じってとこだな」
「全く違う!」
「どうだか」
ベルが「違うと言っているだろう!」と声を上げ、俺はその隙をついて彼女の手を捕まえる。すかさず下腹部を狙ってきたもう片方も。流石に、いつもやられっぱなしでいるわけにはいかない。
両手首を掴んで持ち上げると、ベルが苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨め付け、腕を引く。しかし彼女の腕力は見た目相応だ。つまり俺の勝ち。
「ギデオン、離せ!」
「もうやらないって約束するなら離してやる」
「悪魔は易々と約束などしないものだ」
「じゃあ無理だな」
「くっ……」
ベルは悔しそうに顔を顰めたが、ふと何かに気づいた様子で動きを止め、
「なるほど、君はこういうのが好きだったのか」
ニヤリと笑ってこちらを見上げる。
「儚い美女を拘束して思い通りにしたいといったところか」
「……は?」
「君は小手先皆無のド直球な性癖をもっているような見た目をして、実際は一捻りあったということか。意外と複雑な男だな」
「おい、やめろ。変な納得するな」
「君の性癖に付き合ってやりたいのは山々だが、なかなかどうして、私にもプライドというものがある。だから手を離せ」
ベルが勝ち誇った顔で「ふんっ」と鼻を鳴らしたところで、「ねえ、ギデオン」とヤムの声。
「子供がいるからさ、イチャつくのは他でやってくれるかい?」
困り顔で言った彼は、両手でハーマンの目を覆っていた。




