第19話 悪魔の論理
半壊した商業施設の片隅に、地下へ続く階段を見つけた。降りた先には長い地下道が続いていて、かつての店の四角く区切られた空間が左右に並んでいる。店の中には空っぽの戸棚や何かが捨て置かれたまま。
昼間の隠れ家をここに決め、俺は拾ってきた瓦礫で入り口を塞ぎにかかる。当然、悪魔二人が手伝う素振りを見せるはずなどなく、むしろ俺の作業を待ってやっていると言わんばかりの雰囲気で会話をしている。
「君の契約相手は何を望んでいるんだ?」
「הרמן היה הכפר שבו התגורר נשרף על ידי מלאך, והוא היה היחיד ששרד.」
「ふむ」
「אני מרגישה בודדה, מרגישה אשמה על כך ששרדתי, ורוצה להיעלם.」
「人間はわからんな。生きるために生まれたのだから、ただ生きていれば良かろうに」
「לכן, השימוש בכוחי הוא משאלתו.」
「変わった願いだな」
話の内容が気にならないと言えば嘘になるが、どうせベルに聞いたら『首を垂れて乞え』とか言われるのがオチだ。だから俺は黙って作業を進めた。
多少の隙間はありつつ、とりあえず大型の〈罰の魚〉の侵入は防げる程度のバリケードを築いて地下道を歩き出すと、ベルが「やっとか」と言って隣に並んだ。
真っ直ぐ続く空間を、淡い黄緑色の光が申し訳程度に照らしている。天井に等間隔に埋め込まれた、アイテール電磁鉱をそのまま使った安価な照明の光だ。ここを作った企業はギリギリの資金状況でやりくりしたのかもしれない。
薄明かりの中を歩くことしばらく。商品を置く棚がやけに入り組んだスペースを見つけて、その陰で休んで夜を待つことにした。割れたガラスが散らばる床に座り、バックパックから携行食の袋を一つ取り出す。
これは〈反抗者〉本部がどこかの施設で作って各支部へ配付しているものだ。大体の場合、他の生活資材や銃器と一緒に無人トラックに乗って運ばれてくる。
天使や〈罰の魚〉が人間の動きにしか反応しないことを考えると合理的な輸送方法だが、道中〈方舟〉や〈ただ生きる者〉に見つかった場合、略奪済みの空のトラックが届くことになる。
〈終末審判〉以前の技術を用いて作られているため栄養面は申し分ないが、味はお察しだ。
銀色の袋を開け、食べ物にしては不自然な角が尖った直方体のバーを齧る。砂のような食感の後、無機質でわざとらしくどぎつい甘味が口いっぱいに広がった。
半ば作業として咀嚼を続けていると、こちらを見ていたベルが「よくそんなものが食えるな」とため息をついた。彼女は契約翌日に興味本位からこれを食べて衝撃を受けたらしく、以来、俺が食事をするのを見るたびに顔を顰めるようになった。
(そもそも悪魔は食事など必要としないのに、余計なことをするからだ)
「君はその見た目通り、モノの良し悪しがわからないようだな」
「また見た目……お前だって、食い物のことなんかわかんないだろ? 美味いもん食ったことないんだから」
俺の反論に、彼女はこれ見よがしに胸を張って「あるぞ」と答えた。
「かつて人間は、私に上質な食料を山ほど献上したからな」
ベルの言う『かつて』とは、彼女が神だった頃のことだったりするのだろうか。歴史書の片隅にもその委細が残っていない、遠い昔の信仰。
「特に絞めたばかりの羊は格別だった。血がまろやかで甘く、筋繊維は柔らかくて筋はコリコリしていて」
「え……」
「水揚げしたばかりの魚の臓物も良かったな。なんと、寄生虫がまだ生きているんだ。あと、干していない麦もいい。死にゆく種子の叫びが聞こえる」
「…………」
「急に黙り込んでどうした、ギデオン。私のグルメっぷりに畏れを成したか?」
「いや……それ、『グルメ』って言うのか?」
俺は尋ねながら携行食の最後のひとかけを口に放り込む。疑問符を浮かべるベルは、本気で俺の問いを理解していないようだ。やはり人間と悪魔の思考回路には大きな隔たりがある。
ベルはしばらく何かを考えていたが、ふと気づいた様子でニタっと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「今の問いは負け惜しみか?」
揶揄うような口調。俺は会話が面倒になって彼女の問いに沈黙を返し、二つ目の袋を開けようとした。同時に、視界の端で何かが動く。
ピラニア級の〈罰の魚〉が一匹、目の前を通過するところだった。
「っ!」
咄嗟にライフルへ手を伸ばした、瞬間。向こうから膨れ上がるように飛び出した何かの獣の口が〈罰の魚〉を飲み込んだ。
「えっ!?」
俺が思わず声を上げた一瞬の後、獣の顔が霧散する。その先には、棚の横で膝を抱えて座るリヴァイアサンの姿。
「……お前が、やったのか?」
尋ねると、彼女はこくんと首を縦に振った。それから「בורות」と呟いて立ち上がり、
「אז ככה צריך לעשות.」
何かを独りごちると、トコトコと通路の方へ歩き出した。
「おい、リヴァイアサン、どこに行くんだ?」
俺の問いへの答えはなく、戸棚の向こうに響く足音が徐々に遠ざかる。俺が荷物を背負って立ち上がったところで、ベルが「ふむ」と顎をさすった。
「どうやら、リヴァイアサンは自ら〈罰の魚〉を倒して昼を進むことにしたらしい」
「はぁ!? おまっ、それ早く言えよ!」
俺は慌てて棚の隙間を駆け出す。隣から「何を急いでいる?」とベルの呑気な声。
「あの力、ハーマンって奴の魂を使ったものだろ?」
「ああ。彼女は私より低級だからな。単独での戦闘能力は有していない」
「あんなもんバカスカ使ったら、ハーマンの魂がいくつあっても足りない」
「道中リヴァイアサンが力を使うことに、ハーマンは同意しているそうだ」
「それ、リヴァイアサンが言ってたのか?」
「そうだ」
「お前なぁ……」
リヴァイアサンは小柄で、足音は緩慢なリズムを刻んでいるのに、なぜか向こうに見える背中に追いつけない。おかしい。彼女の力による現象だろうか。
「リヴァイアサンに契約相手がいることといい、どうしてそういう大切なこと黙ってるんだよ」
リヴァイアサンが出口に着いて、俺が積み上げた瓦礫へ向けて右手を伸ばす。巨大なタコの腕のようなものが現れて瓦礫を粉砕、彼女は差し込む昼の陽光の中へ。
「聞かれていないからだ」
ベルが意味ありげな声色で答える。
「加えて、聞かれたとしても、正直に答えてやる謂れはない」
その言葉に、表情に、俺は自分が犯していた間違いに気づいた。
彼女は悪魔。自らの消失に恐怖を抱かず、人間を唆し、誑かし、その踊り狂う様を笑いながら魂を喰らうような存在だ。
そのことを忘れかけていた。むしろ、彼女のことを戦友のように思いかけていた。他愛無い軽口を交わしながら同じ道を歩む者、と。
馬鹿らしい。
「リヴァイアサンは何で急ぎ始めたんだ?」
俺の問いに、ベルが「元から急いでいた」と答える。俺はそれを話半分で聞く。
「だが、あれは少し頭が悪い。特に自らの行動決定に対する思考において。故にこれまでも契約相手の元へ行こうと思っていたが、その方法を見つけられずにいた」
「さっき咄嗟に力を使って、それを使えば行けると気づいた?」
「そういうことだ」
「魂を喰いたいから急いでるのか?」
俺の問いに、ベルは何かを言い淀むように一瞬の間を置いて、
「あれは悪魔の中では慈悲深い部類だ」
向こうに見える陽光を見据える。
「天使に帰る場所を焼かれたハーマンは寂しがっていて、故に力を使って彼の寂しい日々を終わらせてやるそうだ」
それを『慈悲深い』と形容する辺り、やはり悪魔と人間は相容れない。
「……そうかよ」
俺たちは淡い黄緑色の暗がりを抜け、秋の晴天の下へ飛び出した。




