# 第17話 銀の髪に、青の宝石を
# 第17話 銀の髪に、青の宝石を
## 第3章「諸国の眼差し、と、本物の聖女」
***
朝の光が——穏やかな、金色の帯、を、描いて、サロンに、差し込んでいた。
朝食の卓には——二人ぶんの、温かいティーカップ、が、並んでいる。
その間に、もはや、わずかな間隔、すら、なかった。
***
ヴォルフラムは、自分で、ティーポットを、傾けて——セレスティアのカップを、今度こそ、完璧に、満たした。
手の震えは、もう、無かった。
第8話の不器用な震えから——十数日。
彼の手は、彼女のために、紅茶を、淹れる、動作を——身体で、覚えて、しまって、いた。
「——どうぞ」
「——ありがとう、ござります」
ふたりの間に流れる、穏やかな空気。
けれど——セレスティアは、気づいて、い、た。
***
ヴォルフラムの、穏やかな表情の、奥の、ほうに——
ほんの、一滴、だけ——苦渋の影、が、沈んで、いる、ことを。
——どうか、なさいましたか?
心の中で、問いかけて——け、れ、ど——声には、出さなかった。
彼は、皇帝として——護るために、私を、諸国の眼の前に、お連れに、なる、お苦しみ、を、抱えて、いらっしゃる、の、だ、ろ、う。
彼女には、わかった。
***
ヴォルフラム自身、——彼女の隣の席で——静かに、葛藤、を、噛みしめて、いた。
公の場、に、彼女を、出す、こと、が——彼女の正当な、地位の確立、の、ため、に、不可欠であることは、分かっている。
けれど——
皇帝としての義務、と——独占したい、本能、の、間、で——彼の魂は——静かに、揺れて、いた。
——本当は——誰にも、見せたく、ない。
——お前を——城の、奥の、奥に、匿って——私だけが、お前を、見ていられる、場所、に——閉じ込めて、おきたい。
——け、れ、ど——それは——ファルネーゼの、父王、が、お前に、して、きたことと——同じこと、に、なる。
——私は——お前の、羽根、を——広げさせる、男、で、あらね、ば、な、ら、な、い。
苦渋の、一滴、を——彼は——紅茶の温かさ、で、呑み込んだ。
***
ふと、ヴォルフラムは——窓の外、に、目を、向けた。
空には——半月、よりも、わずかに、満ちかけた、月、が——まだ、残って、いた。
彼の夜空の瞳が——すっ、と、険しく、なった。
血の月、まで——あ、と、十四日。
月が、満ちていく、たびに——彼の右手の指、に——微かな、疼き、が、戻り始めて、いた。
呪い、は——まだ、彼の中で、生きて、いる。
セレスティアは——彼の険しい横顔を、見て——そっと、彼の手を、握った。
ヴォルフラムは——わずかに、驚いた、顔で、彼女を、見る。
「——私が、お側に、おります」
「——血の月の夜、まで——私が、お側に、お、り、ま、す、か、ら」
月への、彼の険しさ、が——彼女の指の温かさで——すっ、と、溶けて、いった。
***
朝食のあと——
ヴォルフラムは、彼女を、別室の、大広間、に、案内した。
扉を開けると——そこには、大量の、生地、宝石、レース、刺繍見本、が、広げられていた。
帝国最高峰の、衣装職人——エルザベート、と、十数人の、弟子たち、が、静かに、頭を、下げて、待って、いた。
***
エルザベートは——六十がらみの、白髪の、美しい老婦人、だった。
白い、細い指。背筋の、凛とした、まっすぐな姿勢。
彼女は——セレスティアを、一目見て——わずかに、目を、細めた。
か、細い、肩。
細い、手首。
首筋の、白さ。
目元に、残る、疲労の、影。
——長く、お苦しみに、なられた、お方、の、お身体、の、つくり。
その、目を、細めた、エルザベートの仕草には——職人の、冷静さ、と、同時に——セレスティアの母世代の、静かな、母性、が、宿って、いた。
***
「——皇妃候補殿下」
エルザベートは、深く、頭を、下げた。
「あなた様に、お似合いの、お衣装、を——わたくしの、生涯の、最高傑作として——お仕立て、致します」
セレスティアは、戸惑いながら——微笑んだ。
「あの、——そんな、大層なもの、は——私のような、者には——」
エルザベートは——顔を、上げて——まっすぐに、彼女を、見た。
「皇妃候補殿下」
「あなた様は——帝国が、千年、待ち望んだ、お方、でいらっしゃいます」
「どうか——わたくしの、捧げる、お衣装、を——お、受け、くださいませ」
セレスティアは——目を、伏せて——静かに、頷いた。
***
エルザベートが、最初に、広げた、生地、は——セレスティアが、ファルネーゼで、着せられて、きた、色、だった。
くすんだ、薄紅。
地味な、薄灰色。
くたびれた、淡黄。
しかし——彼女が、それらを、セレスティアの肩に、当てた——そ、の、瞬間、に——
エルザベートの目が、細まり——すべて、横に、退けた。
「——これらは、お似合いに、なりません」
「あなた様の、お肌の、透明感を、沈ませる、色、に、ござります」
そして、彼女が、広げたのは——
***
月光のような、白銀の絹——
そして、それと、並べて、広げた——夜空のような、深い、青の絹。
二つの色、が、並んだ、瞬間、に——大広間の空気、が、すっ、と、変わった。
弟子たちが、息を、呑む。
エルザベートは——静かに、告げた。
「皇妃候補殿下の、お髪、に、お似合いになるのは——月光の、白銀、に、ござります」
「そして——皇帝陛下の、お色を、お纏いになるなら——夜空のような、深い、青、に、ござります」
***
セレスティアの胸が——きゅう、と、締めつけられた。
——あの方の、お色を——私が、纏う、の、です、ね。
それは——彼女が、公的に——帝国の皇妃候補であることの——衣装による、宣言、だった。
もはや、戻れない、境界、を——彼女は、今、越えようと、していた。
***
続けて——エルザベートは——一つの、宝石箱を、開けた。
中には——拳大の、深い、深い、青の宝玉、が、納められて、いた。
まるで、夜空の、一片を、切り取った、よう、な、青。
宝玉の中心には、微かな、銀の光、が——月のように、宿って、いた。
「皇妃となられる、お方、に——代々、お渡しされてきた、宝玉、に、ござります」
「——ですが」
エルザベートの声が、わずかに、沈んだ。
「過去、千年——誰の首にも、かけられたことの、なかった、宝玉、に、ござります」
「先帝のお母君も——お似合いには、ならなかった」
「曾祖母様も——祖母様も——」
「——どなた、の、肌の色とも——釣り合わなかったのです」
***
セレスティアの胸が——跳ねた。
——千年——誰の首にも、かけられたことのない、宝玉。
それを、自分が、身に着ける、の、か——彼女は、思わず、手を、引きかけた。
***
その、瞬間——
扉が、静かに、開いた。
***
ヴォルフラム、が——静かに、入って、きた。
彼の夜空の瞳は——まっすぐに、セレスティアを、見つめて、いた。
月光のような、白銀のドレスの試作、を、肩に、当てた、彼女、の、姿——
首から、下げかけて、手を引きかけて、いる、青の宝玉——
彼の、呼吸が、止まった。
***
「——エルザベート」
ヴォルフラムの声は、低く、震えて、いた。
「——お見事、だ」
「——貴女の、生涯の最高傑作、を——今、目に、して、いる」
エルザベートは——深く、深く、頭を、下げた。
「皇帝陛下に、お喜び、いただけて——わたくしの、生涯の、誉れに、ござります」
そして——気を利かせて——弟子たちと共に、大広間を、退出した。
***
大広間には——ヴォルフラムと、セレスティア、だけ、が、残された。
ヴォルフラムは——そっと、彼女に、歩み寄って——宝玉の箱を、手に取った。
そして、宝玉を、そっと、彼女の首から、下げる、金鎖、を、手に、持って——静かに、告げた。
「——私が、お、つけ、致しても、よろしいか」
セレスティアは——頬を、染めて——頷いた。
***
彼の指、が——彼女の白金の髪を、そっと、首筋から、よけた。
首筋の、細い、白い、肌、が、露わに、なる。
ヴォルフラムは——金鎖を、彼女の細い首に、そっと、回した。
彼の指、は——細心の注意で——彼女の肌、に、触れない、よう、に——金鎖、だけ、を、留めた。
触れたい、衝動、が——彼の指の関節を、わずかに、白くした。
けれど——彼は、それを、抑えた。
皇帝としての、敬意、を——彼は、優先、した。
***
宝玉が——セレスティアの、細い、白い喉元に——静かに、降りた。
その、瞬間——
宝玉の、中心の、銀の光、が——セレスティアの心臓の鼓動と、同期して——静かに、脈動を、始めた。
トクン——トクン——トクン。
左手の薬指の指輪と、同じ、脈動、だった。
宝玉は——千年、誰の首にも、かけられたことが、なかった、のではない。
宝玉は——千年、彼女の心臓を——待っていた、の、だった。
***
ヴォルフラムは——宝玉の、脈動を、見つめた。
そして——静かに、頭を、下げた。
宝玉、を、支える、右手、の、指先、が——彼女の鎖骨に、触れるか、触れないか、の、距離で、止まった。
そこから——彼は、顔を、傾けて——宝玉、そのもの、に——軽く、唇を、寄せた。
肌、では、なかった。
宝玉に、触れた——彼の唇、を、通して——彼女の心臓の鼓動、を、彼は——感じて、いた。
寸止め、の、口づけ。
それは——肌への、直接の口づけ、よりも——もどかしく、深い、愛の証、だった。
***
「——セレスティア」
「——お前は——千年、この宝玉が、待って、いた、者、だ」
「——帝国の、正統な、皇妃、として——諸国の前に、立つ、資格、を、持って、いる」
セレスティアは——頬を、染めながら——彼の唇、の、寄せられた、宝玉、に——指先を、そっと、添えた。
宝玉の脈動が——彼女と、彼、を——魂で、繋いで、いた。
***
午後——
ヴォルフラムと、セレスティアは——医務室を、訪れた。
クロウは——寝台で、身を起こせる、までに、回復、していた。
顔色は、まだ、蒼白だが——灰色の瞳の、鋭さは——完全に、戻って、いた。
「殿下——陛下」
「お、戻り、くださり——ありがとうござります」
***
セレスティアは——寝台の脇に、跪いた。
「クロウ様」
「あなたが、生きて、くださって——本当に、よかった、です」
「私を、お護りに、なって、くださって——心から、ありがとうござります」
クロウは——彼女の言葉を、聞き終えて——長く、沈黙、した。
そして——寝台の上で、首を、垂れた。
「——殿下」
「——私の、生涯の、忠誠、を——あなた様に、お、捧げ、致します」
「——陛下が、お命じに、なる、なら、ば、なく——あなた様の、お声、に、従う、者、として」
「——生まれ変わって、参りました」
***
ヴォルフラムは——静かに、頷いた。
彼の夜空の瞳が——クロウの灰色の瞳を、まっすぐに、捉えた。
無言の、長い、長い、視線の交差。
その視線、に、乗せられて、いたのは——
『俺が、公務で、動けない時——彼女の、命は——お、前、に、預ける』。
信託、だった。
皇帝が、腹心の臣下に、託す——最も、重い、信託。
クロウは——その視線を、まっすぐに、受け止めて——静かに、頷いた。
「——陛下」
「——お任せ、くださりませ」
「——私の、命、に、代えても——殿下を、お護り、致します」
皇帝の信託と、臣下の誓いが——無言のうちに、完成、した、瞬間、だった。
***
医務室を、出る、廊下。
ヴォルフラムは——そっと、セレスティアに、告げた。
「——セレスティア」
「明後日——最初の、諸国の使節、が——事前訪問、に、参ります」
「——エルディオ王国の、王太子、だ」
「彼は——貴女様の、存在を——諸国会議の前に、自分の目で、確認、したい、と」
***
セレスティアの胸が、跳ねた。
「ファルネーゼ王国は——『セレスティアは、贄として、死んだ』、と、公式に、発表したまま、だ」
「我が国が、『生きて、皇妃候補に、なっている』、と、発表しても——諸国は、半信半疑、の、状態、に、ある」
「諸国の使節、が——それぞれ、事前確認、して——諸国会議に、報告書、を、持ち帰る、手筈、に、なって、いる」
「貴女様の、心の、お、準備を——して、頂きとう、ござります」
セレスティアは——深呼吸、を、して——頷いた。
「——わかり、ました」
「——私の、存在を——諸国に、示します」
「——私自身の、お手で——『聖女の名前』、の、物語を——決着、させます」
***
同じ、夕方。
ファルネーゼ王国、王宮、王座の間。
アンジェリカは——父である国王の前に、立って、いた。
彼女の頬の蒼白は——今日も、戻って、いなかった。
目の下のくまは——昨日よりも、濃く、刻まれている。
しかし——
聖女衣装の上に——微笑みを、貼り付けた、彼女、は——
表面上は、完璧な、聖女、だった。
***
「お父様」
「——諸国会議に、向けた、計画、を、お伝え、致します」
父王は——脱け殻のまま、王座に、沈み込んで、いる。
アンジェリカは——構わずに、続けた。
「諸国会議の前に——諸国の使節たちに——『耳打ち』、を、致します」
「——『お姉様、セレスティアは——帝国で、不当な扱いを、受けて、いる』、と、涙ながらに、お伝えします」
「そして——」
***
アンジェリカの目に——すっ、と、計算の光、が、宿った。
「——『お姉様は、長年の不遇のショック、で——聖女の、偽りの力を、失ったあと、現実と妄想の区別が、つかなく、なって、しまわれた』、と——」
「——『今は、ご自分を、本物の聖女と、思い込んで、いらっしゃる、哀れな、お方』、と——諸国の使節に、静かに、お伝え、致します」
「——わたくしの、目から、憐れみの涙、を、流しながら」
***
それは——単純な、『姉は狂っている』、では、な、か、っ、た。
姉、を、哀れみ、愛している、妹——という、『善人の仮面』、を、被った——徹底的な、貶めの戦略、だった。
表面上の優しさ、に、包んだ——偽りの、憐れみ。
『わたくしは、お姉様を、愛している。だから、お救い、したい』——の、皮を、被った、姉殺しの、計画、だった。
***
父王は——もはや、頷くことすら、できなかった。
ただ、脱け殻のまま——アンジェリカの、計画を、聞いて、いた。
彼の眼に——何の感情も、宿って、いなかった。
ベアトリスの道具、として、生きてきた、男——妻が、死んだ後——生きる意味、を、失った、男——
もはや、王として、機能、していなかった。
ファルネーゼ王国の、玉座の間、は——まるで、墓場の、静けさ、に、包まれて、いた。
***
同じ夜——ヴァルガルド帝城。
セレスティアは、寝室の窓辺で——半月よりも、わずかに、満ちかけた、月、を、見つめて、いた。
卓上には——青の宝玉の箱、が、静かに、置かれて、いる。
扉が、静かに、開いて——ヴォルフラムが、入って、きた。
彼は、そっと、彼女の肩に、外套を、かけた。
***
「——何を、お考えに、なっていらっしゃるのか」
セレスティアは、穏やかに、微笑んだ。
「——明後日の、王太子様の、事前訪問——私は、何を、お話しすれば——よろしいのでしょうか」
ヴォルフラムは——彼女の肩を、そっと、抱き寄せた。
「——何も、お話しに、ならなくて、よろしいのです」
「——貴女様は——そこに、いる、だけで、十分、でござります」
「——貴女様の、存在、そのもの、が——本物の聖女、の、証、なのですから」
***
セレスティアは——彼の腕に、頬を、寄せた。
「——あなたが、並んで、くださる、なら——私は——どこへでも、お行き、致します」
ヴォルフラムは——彼女の額に、そっと、自分の額を、寄せた。
キス、では、な、い。
しかし——魂、の、混ざり合い、の、瞬間、だった。
***
ふと、セレスティアは——彼の右手の指、に——微かに、疼く、気配を、感じた。
血の月、の、予兆。
呪い、は——まだ、彼の身体の中で、生きて、いる。
彼女は——静かに、彼の右手を、両手で、包んだ。
「——私が、お側に、おります」
「——血の月の夜、まで——私が、お、側、に、おり、ます」
彼女の指の温かさで——彼の指の疼きが、わずかに、和らいだ。
***
同じ夜——帝都の街、の、あちこちで——
新しい噂、が、流れ始めて、いた。
「皇妃候補の御方、は——月光のような、白金の髪、の——お若い、お嬢様、だそうな」
「——帝城の、庭で、お見かけ、されたとか」
「——呪われた帝国が、清らかに、なって、きたのも——あの方の、お力、らしい」
噂は——帝都から、地方へ、地方から、国境を越えて——諸国の街、にも——波紋のように、広がって、いた。
***
本物の聖女、の、噂、は——
アンジェリカの、偽聖女披露目の、具体的な、計画、よりも——
静かに、早く——大陸に、広がりつつ、あった。
諸国の眼差し、の、質、が——憐憫、から、畏怖、へ——静かに、変わり、始めて、いた。
***
血の月まで——あ、と、十四日。
諸国会議まで——あ、と、二十九日。
最初の使節の、事前訪問まで——あ、と、二日。
静かな準備期間、の、始まり、だった。
け、れ、ど——静寂の、裏で、は——
本物と、偽物の、戦い、の、盤面、が——大陸全体に——静かに、展開して、いた。




