4-4(アースデイア大陸から来た娘4)
院長室に続く私室のベッドに男の子を横たえ、巫女は、彼女の主である雷神と、死を司る神、西の公女に子供の魂の安寧を願い、「守ってあげれなくてごめんなさい」と冷たい頬を撫でた。
「夜が明けたら、公爵様に連絡しましょう」
「ストー様もあの人たちの仲間です」
感情を抑えた声で応じたユンに、巫女が驚いて手を止める。
「まさか」
「明日、王がここに来られる、そうですね、院長先生」
巫女がユンの栗色の瞳をまじまじと見返す。
「何故、知っているの?」
「さっきの背の高い人、あの人が知っていました」
「あのニヤケ野郎が?」
「はい」
「彼が公爵様に教えたの?」
ユンが首を振る。
「ストー様の方があの人に教えたんです」
「公爵様はご存知ないはずよ」
疑念を声に混じらせて巫女が言う。
「王の側近の方が--それが誰かは、さっきの背の高い人も知りませんでしたが--、その方がストー様に報せたようです」
「--まさか。公爵様が」
「ストー様もご存知ないことがあります。さっきの背の高い人、あの人は、神聖ザラ王国の人です」
驚きとともに理解が巫女の顔に訪れる。
嘆息する。
「そういうことだったのね」
「ストー様は王を捕らえるように指示されていました。王を捕らえて、王位をアルスタス家に返すよう要求するお考えだったようです」
「公爵様らしいお考えね」
『ホントね』
苦労して手に入れた王位を、マーカスが手放す筈がない。例え殺されたとしても彼は決して応じることはない。仮に応じたとしても、自由にさえなれば、脅迫され強要された約束など守る必要はない無効だと臆面もなく主張するだろう。
ストーの考えは、
甘い。
としか言いようがない。
巫女がそう言わなかったのはストーを敬愛するユンを思ってのことだ。
「そういうことであれば、明日、王に連絡しましょう。ウチが神聖ザラ王国の兵に襲われたと」
「でも」
「この子の死をなかったことにはできない。そうでしょう?」
ユンが顔を伏せ、膝の上で手を握る。
もし、このことを王が知れば、ストーも彼の妻子もただでは済まないだろう。
だったら王よりも先にストーに報せるか。何があったか。
駄目だ。
そんなことをしても何も変わらない。
ストー様は逃げない。自分の決断の結果を知れば。ストー様だけではなく、おそらく奥様も。お嬢様も。
だとすれば王の慈悲に縋るしかない。
可能性は低くとも。
すべてを正直に話すしかない。
院長先生の言われる通り、ここが神聖ザラ王国の兵に襲われたと。
ユンが顔を上げる。
「判りました、院長先生。
でも、夜明けまで待たなくても、伝えられるかも知れません。王と王妃様のお顔は知っていますから」
王はリウムの街から遠くない街にいる。王だけではない。宮廷がそのまま移動して来たかのような大人数を引き連れて、いま王は国を巡行している。ストー家の家宰見習を務めている。だから、ユンも知っている。今夜、王は、近くの街にある、弟に公爵位を奪われたと恨んでいるストーの兄の屋敷に逗留している。
ストーの兄の屋敷には行ったことがある。
王と王妃の肖像画は、リウムの街でも飾っているところもあるにはあって、ユンも見たことがある。
王の姿は見えなかった。
だが、ベッドで眠っていた王妃が、ユンの”声”に反応して目を覚ました。身体を起こし、訝し気に室内を見回す。
ダメかと思った。
上手く伝えられなかったかと。
王妃の唇が動く。
リディス?
と訊かれた気がした。
王妃がベッドを降り、張りのある声で人を呼ぶ。
ホッとユンは胸を撫で下ろした。
「伝わった--と思います」
「王に?」
「いえ、王妃様に」
「そう」
巫女が男の子の髪を撫でる。
「だったら後は待つだけね。
王がこちらに来られるとしても、あちらを出発するのは夜が明けてからになるでしょうから、それまで休んでいればいいわ。ユン」
ユンも男の子を見ている。
「ここに居させて下さい。院長先生」
巫女が微笑む。
「そうね。その方がこの子も寂しくないわね」
巫女が立ち上がる。
「何か飲み物を持ってくるわ」
「わたしは--」
断ろうとしたユンに巫女が笑いかける。
「何かおなかに入れた方が良いの。こういう時にこそね」
巫女が持ってきてくれた温かいスープが、ユンの身体を内側から暖める。ユンの頬を涙が伝う。
なぜ自分が泣いているのか、ユン自身にも判らない。
フランがユンに歩み寄る。
いま見ているのはフランがハルナから受け取った記憶に過ぎない。もう2ヶ月も前に終わったことだ。
しかしフランは、記憶を止め、ユンの内側から、自分自身を包み込むかのようにそっと声もなく泣く妹を抱き締めた。
疲れから眠っていた。
何者かが孤児院に近づいて来るのを感じてユンが目を覚ますと、巫女はまだ起きていて、死んだ子を見守っていた。
窓の外は薄暗い。
「院長先生」
巫女が顔を上げる。
20人ほどの兵士と、兵士たちに守られて一台の馬車が近づいて来ている。
感覚を--知覚力を研ぎ澄ませる。
敵意は感じない。
馬車に乗っているのは--。
「王妃様……」
驚きに声が漏れた。
「どうかしたの、ユン」
「王妃様がいらっしゃっています。もうすぐここに着きます。護衛の兵が--20人はいます。
でも……」
王妃の護衛としては、決して多いとは言えない人数だ。むしろ少なすぎる。
巫女が立ち上がる。
「わたしがお出迎えしましょう。あなたはここにいて頂戴、ユン」
「院長先生、わたしも行きます」
「ユン」
「はい」
「執務室のミンチやニヤケ野郎に何があったか、わたしには判らない。わたしには雷神様のご加護としか思えないわ」
「院長先生、それは--」
「もし王妃様に問われたら、わたしはそう答えるわ。判らないというのは本当のことだしね」
悪戯っぽい笑いを残して巫女が出て行く。
ユンは自分の両手を見た。軽く握る。この力。もし、この力をもっと素直に受け入れていれば--。両手を硬く握り締める。顔を上げる。
孤児院の前で馬車が止まる。
王妃が降りてくる。
『歳は取ったけど、相変わらず可愛らしいわね』
馬車を降りる、ただそれだけのことで、育ちの良さが判る。ひとつひとつの仕草に洗練された余白がある。
菫色の瞳は昔のままだ。金色だった髪は白いものが混じってプラチナ色に近くなっている。かつては髪を腰まで長く伸ばしていた。今は肩の後ろまでしか伸ばしていないが、よく似合っている。顔に皺は増えているが、白い肌にシミはひとつもない。
『旅をしている間も肌の手入れは欠かさない子だったけど、その成果かしら。それともお化粧で誤魔化しているのかしら。
ちょっと気になるわね』
王妃が顔を上げる。
まだ太陽は東の地平の下にある。明るくなり始めた空には多くの星が残っている。何かを探すかのように、聞こえない風音を追うかのように、王妃が視線を回す。
扉が開く音に気づいて視線を戻す。
玄関に巫女の姿を認める。
「わたし一人で行きます」
いつものことなのだろう、本来であれば、王妃一人で行かせることなどあり得ない。が、兵士は誰も王妃の言葉に逆らわなかった。
孤児院の庭に続く低い両開きの鉄扉を兵士が開く。
「ようこそお出で下さいました。王妃様」
「お立ち下さい、巫女様」
膝をついた巫女に王妃が手を差し出す。
「何があったかは、おおよそのところは理解しています。神聖ザラ王国の手の者に襲われた、間違いないですね?」
「はい」
「子がひとり、死んだとか。本当ですか?」
「--はい」
王妃が首を振る。
「わたしたちの下らない政争にかけがえのない尊い命を巻き込んでしまいました。心より謝罪いたします、巫女様」
「これはわたしの罪です。王妃様」
「いいえ」
王妃が否定する。
「全ての罪は神聖ザラ王国にある、それは間違いありません。しかし、すべての責任はわたしたちに、王と、王妃であるわたしにあります。
亡くなられた子のところにご案内して頂けますか?
それと、神聖ザラ王国の襲撃があったことをわたしに報せてくれた方に会わせて頂けますか?」
「王妃様に報せた者?何のことでしょう?」
王妃が微笑む。
「心配されることはありません。同じ力を持っている友人を、わたしはよく知っていますから」
「え」
驚いて声を上げたのは巫女だけではない。
ユンもだ。
わたしと同じ力を持っている人?
「そう。知らなかったのね」
思わず漏れたユンの”声”を聞いて王妃が微笑む。
「そういうことですから、彼女のところにご案内頂けますか?彼女の力になりたい、その為にここまで急いで来たのですから」
ユンは戸惑い、混乱している。
同じ力を持っている人--。
思いもしなかった。自分と同じ力を持った人が他にいるとは。胸の奥がざわつき、期待と不安が交錯して何も考えられず、それでもユンは、近づいてくる巫女と王妃の足音を耳にして、巫女が扉を開ける前に膝を折り頭を下げた。
「謹んでご挨拶申し上げます。王妃様」
自分の心臓の存在を強く意識する。そうして力を抑える。いつものように。そうしないと、意識することなく王妃の心に踏み入ってしまいそうだった。
「そんなにかしこまらないで頂戴」
王妃がユンの前に膝をつく。
「顔を上げて、瞳を見せて貰えるかしら」
ためらいながら顔を上げたユンを見て、王妃は楽しそうに微笑んだ。
「ああ、本当にリディスによく似た瞳ね」
自分の胸に手を当てる。
「わたしはクトゥス。クトゥス・アルスタス=マーカス。リディスも名前で呼んでくれたから、あなたにもそうして貰えたら嬉しいわ。
あなたの名前を教えて貰えるかしら」
「ユンと申します。--王妃様」
「よろしくね、ユン」
王妃が--クトゥスが笑って立ち上がり、男の子が横たえられたベッドに歩み寄る。
ベッドの脇に据えたテーブルの上に、手の平に乗る程度の小さな皿が置いてある。
皿には水が張られている。
「この子は雷神様の信徒ですか?」
「はい」
クトゥスが頷き、皿の水に右手の中指を浸す。
雷神の信徒を悼む作法は心得ている。
濡れた指で死んだ子の額に右から左へ一本の線を引き、さらに額から鼻の頭まで中指で辿る。
頭を落とし、祈りの言葉を呟く。
男の子の髪を優しく撫でる。
「こんなことはもう起きないようにすると、あなたに誓うわ」
立ち上がり、ユンと巫女を振り返る。
「まずは事実確認をさせて頂けますか?10分程度で構いません。一人ずつ話を聞かせて下さい」
柔らかで、しかし、断られるとは少しも思っていない口調でクトゥスが言う。
「では、応接室にご案内します。こちらにどうぞ」
巫女が先に立つ。ユンに向かって頷く。
扉が閉じられ、ひとり残されたユンは呆然と立ち尽くし、クトゥスが残した香水の香りに気づいて我に返った。
小皿の水を取り替えるべく、いちど部屋を後にし、椅子に座って待った。しばらく待っていると扉続きの院長室が騒がしくなった。「運び出して頂戴」「この壁は作り直した方が良さそうね」とクトゥスの声がして、院長室が静かになったかと思うと、院長室に続く扉が開いて巫女が姿を現した。
「ユン、応接室で王妃様がお待ちよ」
応接室でクトゥスと向かい合って座り、問われるまま正直に答えた。
「職員の女がどこに行ったか知ってる?」という問いには、答えるのに勇気が要った。それでも「孤児院の北東の林に神聖ザラ王国の兵士、11人の死体があります。ここから林までの途中に彼女の死体もあります。ただし、身体の一部分だけですが」と、クトゥスから視線を逸らすことなく答えた。
「そう」軽く頷き、「ちょっと席を外すわね」と、クトゥスが外の兵士に伝え、すぐに兵士から「見つかりました」と報告があった。
兵士の声には抑えた恐れがあったが、クトゥスの態度は変わらなかった。
「巫女様とあなたの話は一致しているし、状況にも矛盾はないわ」
ユンの話を聞き終えたクトゥスがそう言ったところで、「ストー様はどうなるのでしょうか」と--王妃に対して失礼だとは判っていたが--ユンは訊いた。
「何の咎めも受けないということは難しいでしょう」
気の毒そうにクトゥスが答える。
「ストー公爵が神聖ザラ王国に利用された、それは理解したわ。
でも、王がここを訪ねることを神聖ザラ王国の密偵に--知らなかったとはいえ--伝えたのは動かし難い事実よ。
罪は罪として償わなければならない。
そうでしょう?」
「罪に問うとしてもストー様は王の死を望まれてはいません。
そうであれば、反逆罪には問えない筈です。
ここが、イーセスト州が、騒乱もなく治まっているのは、領主さまがストー様だからこそです。
ストー様は必要な方です。
神聖ザラ王国に備える為の剣として。盾として」
「確かに、ストー公爵に王を害する気はなかった。だから、反逆罪には問えないかも知れない。
でもね、敵国に通じるのも反逆罪に当たるのよ」
「それは--!」
「知らなかったで済ませていいことかしら。何より、ストー公爵ご自身が納得されるかしら。子供がひとり死んでいるのに。あの方の性格からすれば、自ら罪を償おうとされるのではないかしら」
ユンの視線が泳ぐ。口を開こうとして、言葉が出ない。
クトゥスが口元を緩める。微笑む。何故クトゥスが微笑んだのか判らず、ユンが戸惑う。
フランには判る。
深夜、正体の判らない”声”に眠りを破られ、内容を吟味し、あとさきを熟考した上ですべてをうっちゃって、僅かな兵士だけを連れてクトゥスはやってきた。
王妃という彼女の立場からすれば無謀と言うしかない。
しかし、思慮深く、かつ向こう見ずで無謀なのがクトゥスだ。彼女は知りたかった。”声”の主がどんな人物なのか。実際に会って顔を見たかった。話をしたかった。
だから来た。
好奇心を満たす為に。
そして、
『あなたを気に入ったのよ』
と、記憶の中の妹にフランは笑って教えた。
「少しいじわるだったわね」
微笑んだままクトゥスが言う。声に親しみがある。
「え?」
「リディスとは違うわね、あなたは。
あの子は気が短かったから、こんな正論ばかり言っていたら、今頃は胸ぐらを掴まれて締め上げられているかも知れないわね。
あなたの言う通りよ。
わたしもストー公爵は必要な方だと思うわ。
マーカス王国にとっても。神聖ザラ王国に備えるために。
もし、血統しか誇るものがないにも関わらず、自負心だけは売るほどお持ちのあの方の兄上がイーセスト州を相続されていたらと思うと、ぞっとするわ。もしそうなっていたら、とっくの昔にイーセスト州は神聖ザラ王国の手に落ちていたんじゃないかって。
安心して頂戴、ユン。
この後、ストー公爵のお屋敷にお伺いして、わたしがストー公爵を説得するわ。
むしろ問題は王かしら。
このことを王が知ったら、処刑とまでは言わなくても、ストー公爵を追放しようとするでしょうね」
「……」
「ストー公爵にお会いする前に確認したいことがあるわ。大事なことよ。あなたは、ストー公爵のお命を救いたい?」
「はい」
質問の意図は判らない。しかし、ユンは躊躇わなかった。
クトゥスが頷く。
「リディスはわたしの友人よ。
30年ぐらい前に、マルクとわたしとカイの三人で旅をしていた時に知り合ったの。リディスはまだ14だったわ。
今はもう、40代の筈だから、あなたの姉ということになるかしら」
「姉--」
「血は繋がっていなくても、あなたと同じ力を持っている子を、あなたたちは姉妹と認識しているとリディスは言っていたわ。
確かリディスは、30人ぐらい姉妹がいるって言っていたかしら」
ユンはクトゥスの話についていけない。
わたしに姉妹がいる?
しかも30人も?
「リディスは、あの子の長姉と一緒に旅をしていたわ。だから、リディスだけじゃなく、あなたの長姉ともわたしたち友だちなの。
その友だちが問題でね、彼女の妹であるあなたがストー公爵の助命を願うのなら、マルクも聞かざるを得ないでしょうね」
「どういうことでしょう?」
「あなたの長姉の機嫌を損ねるのは、ちょっとマズイの」
ユンにはよく判らない。
「もう少し話してあげたいところだけれど、これ以上は話せないわ。
あまりわたしが話し過ぎると、あなたに会った時に自分が話すことが残ってないじゃないかってマルクが拗ねちゃうし、ストー公爵にわたしが会いに行くって報せてあるから、もう行かないといけないしね。
ごめんなさいね」
クトゥスが立ち上がる。扉に手をかけたところでユンを振り返る。
「そうそう。あなたの長姉の名前、言ってなかったわね。あなたの長姉はデアの4大魔導士の一人、シャッカタカー。
千の妖魔の女王と呼ばれている人よ」




