3-13(魔女たちの家2)
「シオンさんの目的は、本当に、サ・アクス・イ官をからかうことなんでしょうか」
「あなたなら命を狙うということ?」
リディスが頷く。
「もしくは、デイル官の命を。
狂泉様に誓って」
「シオンさんの屋敷のホールの床に、転移陣が隠してあったわ」
「逃げるためにですか?」
「シオンさんの技量では転移陣を構築するのは難しいみたいね。
研究はしていたみたいだけど。
自分には無理だと判断して、多分、別のことに使うことにしたみたいね。不完全なままにしてあったから」
「何に使うのでしょう?」
「おそらく、ひょうたん君か、自意識過剰くんを道づれにする為よ。
不完全なまま転移陣を起動すれば、時空の狭間に閉じ込められるか、身体が砕け散るか、どちらかだわ。
身体が砕け散るだけで終わるかも知れないけれど、不死の宦官を殺すための賭けとしては、悪くないわ」
「シオンさんは死ぬつもりだということですか?」
「だからこそ、ハーディにエレナさんのことをくれぐれもと頼んだんでしょうね。エレナさんさえ生きていれば……」
「しかし、サ・アクス・イ官にしてもデイル官にしても、うまく転移陣まで誘い込めるものでしょうか」
「ひょうたん君は魔術師だわ。
過剰な自己評価だとは思うけれど、ひょうたん君は、自分を世界で一番優秀な魔術師だと信じているわ。
でも、彼が魔術師なのは確かよ」本物の、非凡な、という意味だ。「魔術師は、未知の術について知りたいという欲望から逃れられない。
神さえも殺せる術となれば尚更よ。
アル・カロス官という子が、ルルイ=イロス式機械人形の導入で序列を上げたのもいい材料よ。
きっとひょうたん君は、軍事上の手柄を欲しがっているわ。
すごくね。
それが『完璧な世界』なら申し分ないわ。
しかもシオンさんの都合のいいことに、ひょうたん君を支える一族の当主は魔術のことをまったく知らない凡庸君よ。
『完璧な世界』をエサにすれば、ひょうたん君は、必ず来るわ」
「だから今しかない--」
「そういうことね」
執務室の扉がノックされる。扉を開けようと立ち上がったリディスより先に、外から扉が開かれた。
夕食の載ったトレイをリディスの前に置いたのは、ハルナではなかった。フランに向かって、「お飲み物です……、フラン姉さま」と、囁くように言ったのもハルナではない。
「ありがとう。アヌ」
フランが礼を言い、アヌと呼ばれた女がはにかんだ笑みを浮かべる。
「みんな揃って何事?」
自分の前にトレイを置いた女にリディスが訊く。
フランの隣に座ったハルナとは別に、6人の女が--妹たちが執務室にいる。10代後半から20代前半の同じ年頃の娘たちだ。
「ダメですよ、リディス姉さま」
トレイを置いて後ろに下がった妹、トーラが応える。
「何が?」
「フラン姉さまとこっそり何か楽しそうなことをしようとしても、です」
「楽しい話じゃないわよ?」
何事にも物怖じしないトーラがふふふんと妖しく笑う。
「リディス姉さま」
「何」
「心がダダ漏れですよ」
「え」
「ね、ハルナ姉さま」
「そうね」
笑いを抑えてハルナが頷く。
「昼前にうちに帰って来た時とは別人よ、リディス」
「え、いえ、そんなことは--」
リディスが視線を斜めへと向け、諦めたようにため息を落とす。
魔術師協会でナターシャとリタにも言われた。
『何だか楽しそうですね、リディス姉さま』
と。
不謹慎なのは判っている。
しかし、死んだ恋人の仇を討つために娘とふたりでラカン帝国帝都に乗り込んで、しかも仇を殺すのではなく、からかおうだなんて。
緊張から解き放たれた心を弾ませるなと言う方がムリだった。
「わたしたちもお手伝い、させて頂けますか?」
訊いたトーラを含めて、リリ、メイ、カティ、アヌ、ジーニィ、妹たちの瞳が期待に輝いている。
『何でもします』
『何でもします』
『何でもします』
無口なアヌは、無口な分、思いがカタチとなって執務室を飛び交っている。
「如何でしょう、フラン姉さま」
苦笑を浮かべてリディスはフランに訊いた。
「いいわよ」
あっさりとフランは答えた。
「人手が要ると思っていたしね。みんなにお願いすることもきっとあるわ」
きゃーと妹たちが歓声を上げる。
「約束しましたよ、フラン姉さま」
ジーニィが甘い声を弾ませ、「ええ」と笑顔でフランが応じる。
「でも、もう少し、あたしたちだけで相談させて貰える?」
「はいっ!」
妹たちが勢いよく頷く。
昼間の子供たちと同じように、不思議なほど声が揃っている。
トーラが軽く咳払いし、「では、失礼しました。フラン姉さま、ハルナ姉さま、リディス姉さま」と頭を下げる。「失礼します」と他の妹たちも続く。気取った足取りで順に部屋を出て、閉じた扉の向こうできゃあとはしゃいだ声が弾けた。
遠ざかっていく声を聞きながら「それじゃあ、食事を終わらせて、話の続きに戻りましょ」と仕方なさそうにフランは笑った。
「エレノアさんはショナの弁護士資格を持っているってハーディは言っていたわ。もしそれが本当なら、若年寄くん、エレノアさんと面識ないかしら」
リディスの夫はショナの弁護士だ。
エレノアはかなり目立つ。
夫が知っていたとしても不思議ではない。
エレノアに似ているというエレナの姿は、リディスもフランの記憶を読むことで伝えられている。実際に会ったことがあるかのように知っている。その姿を、力を使ってそのまま夫に伝えることができる。
「訊いてみます」
「ラカン帝国も調べたいけれど、下手なことをしてシオンさんの邪魔はしたくないわ。改めて調べる必要はないから、ここ一年ほどのラカン帝国に関する定期報告を読ませてもらえる?」
リディスが頷く。
「すぐに手配します」
「どうしてラカン帝国を調べるのですか、フラン姉さま?」
「ラカン帝国の後宮は常に陰謀が渦巻いている、ということよ、ハルナ。
弱った者がいれば叩く、まるで打ち合わせでもしているかのようにみんなでね。それがラカン帝国の後宮で、いま、ひょうたん君は弱っているわ。彼自身のしくじりもそうだし、宮廷で順位を落とした元の第8席の子はひょうたん君を支える一派だったわ。ひょうたん君を追い落とすなら、今よ。
シオンさんの悪だくみは、他の宦官にしてみれば、ひょうたん君を追い落とす絶好の機会になる可能性があるわ。
彼らはこうしたことに敏感よ。
きっと後宮の誰かは、シオンさんの存在に気づいているわ。
そういった子に邪魔をされたくないのよ。
それと、東ナリス皇国も調べたいけれど、誰に行ってもらうのがいいかしら」
「東ナリス皇国ですか?どうしてです?」
「シオンさんが、ユーフス魔術師から魔術を習っているからよ」
「東ナリス皇国の”数の賢者”の、ですか?」
驚いてリディスが訊く。
「シオンさんの組んだ術式に彼のクセがあったわ。それも孫弟子とかじゃなくて、彼の直伝よ」
「フラン姉さまの見立てなら間違いありませんわね」
と頷いてから、
「だとしたら、マグナ姉さまに調べに行って頂くのが一番いいのですけど、いまは北の領地にいらっしゃいますし、お歳を考えると難しいでしょうか」
とハルナは言葉を続けた。
「マグナ姉さまに?どうしてですか?」
フランが首をかしげる。
「あら。リディスは知らなかったかしら」
「わたしもまだ子供でしたから、リディスは当然知らない筈ですよ。フラン姉さま」
「そうね。もう、50年も前のことだものね」
「何がですか?」
「ユーフス魔術師とマグナ姉さま、おつき合いしていたのよ、リディス」
少し間があった。
「え」
「マグナとふわふわ君--ユーフス魔術師のことよ--が出会ったのは東ナリス皇国の帝都リラでね、東ナリス皇国の後継者争いに巻き込まれて、本当に、生きるか死ぬかっていう大冒険の末に結ばれて、みんなの反対を押し切って二人でリラで暮らし始めたのはいいけど、二人とも優秀な魔術師で小さなことに拘る性格だった上に、ふわふわ君、魔術師らしからぬイケメンで女の子にモテたから、一緒に暮らし始めたらたちまちケンカばかりでね、耐え切れなくなったマグナがデアに逃げ戻って来て、ふわふわ君も追いかけて来ちゃって、ホント、タイヘンだったのよ。
マグナもふわふわ君もまだ10代だったわ。
二人とも若かったって言えばそれまでのことだけど、幾らあたしが説得しても脅しても、ふわふわ君、東ナリス皇国に帰ろうとしないし、埒が明かないから最後には、マグナとつき合った記憶を西の公女様に消して頂いて、東ナリス皇国に叩き返そうかとも思ったわ。
でも、そうする前にマグナが、『あなたとは一緒には暮らせません』ってはっきり宣告して、それでふわふわ君、諦めて東ナリス皇国に帰って行ったのよ」
「--マグナ姉さまらしい」
「それがそうでもないのよ、リディス。ユーフス魔術師が東ナリス皇国に帰られた後、マグナ姉さま、よく一人で泣かれていたわ。
見ているこちらの胸が痛むぐらいね」
「どこか腰の定まらない子だったけれど、マグナと別れたのが効いたのか、ふわふわ君、それから魔術研究に励んで、いつの間にか東ナリス皇国の”数の賢者”と呼ばれるまでになっていたわ。
デアに残ったマグナも同じよ」
「子供の頃は、どうしてお二人が一緒に暮らせないのか不思議だったけれど、マグナ姉さまに訊いても仕方がないのよって笑われるばかりだったけれど、マグナ姉さまのおっしゃる通り、仕方がないことだったのでしょうね」
リディスが頷く。
「それで、お二人は今も連絡を取られているのでしょうか?」
「実際に顔を合わされたことは数えるほどしかない筈よ。でも、ずっと手紙のやり取りはされていると思うわ」
「だとしたら、やっぱりマグナに行ってもらうのがいいわねぇ」
フランが短く考える。
欠伸が漏れる。
「フラン姉さま、今日はこれぐらいにしませんか?」
ハルナがフランの瞳の奥を覗き込む。
「子供たちと北の領地に行かれただけでなく、ニムシェまで行かれたのですから、お疲れでしょう?」
「--そうね、悪いけれど、そうさせて貰った方がいいみたいだわ」
「リディス、あなたも泊まっていったら?」
「はい--」
リディスの瞳の奥で赤い光が瞬く。自宅にいる夫に問いかける。リディスが微笑み、顔を上げる。
「そうさせて頂きます、ハルナ姉さま」
リディスがフランに向き直る。
「--フラン姉さま。お休みになる前に、ひとつ、お願いがあるんですけど、いいでしょうか」
「何、改まって」
「わたしも、どこかの調査に行かせて頂けませんか?」
フランが笑う。
「気晴らしにってこと?」
「事務仕事はもう飽き飽きです」
「いいわよ」
「本当ですか?!」
リディスの声が跳ね上がる。
「今回は難しいとは思うけれど、近いうちにどこかに行きましょう。あたしも、久しぶりにリディスと旅に行きたいわ」
「約束しましたよ、フラン姉さま」
意識した訳ではないだろう。しかし、リディスの声にはフランへの甘えが混じっていた。
「それじゃあ、また明日ね」
おやすみなさい、と応えるハルナとリディスの声を背に自分の部屋に戻り、ベッドに横になって、
『リディスもまだ子供ね。ジーニィやアヌと変わらないわ』
とフランは笑った。
フランの心が温かい想いに包まれている。心地よい疲れに任せて眠りに沈むフランのまぶたの裏にハーディの書斎で見た一文が浮かんだ。
いま幸せだ。だから、いま死にたい。
フランは何も忘れない。
しかし、夢は忘れてしまう。忘れることが出来る。
見たことすら意識する前にその一文は現実と夢の狭間に消えて、穏やかに眠るフランの記憶には残らなかった。
***
「フラン姉さま、フラン姉さま」
優しく揺り起こされ、フランは重いまぶたを上げた。
妹がいる。
ジーニィだ。
大きな栗色の瞳が落ち着きなく泳いでいる。のんびり屋の彼女がいつになく焦っている。
「どうしたの。何かあった?」
意志の力で眠りを遠ざけ、フランは訊いた。
窓の外はすでに明るい。
「マグナ姉さまがいらっしゃっています」
「マグナが?」
「はい。ジュリを連れて。ふたりで」
意識がはっきり覚醒する。短く考え、「どこにいるの?」とフランは訊いた。
「ハルナ姉さまの執務室にいらっしゃいます」
「10分待ってって伝えて」
「はい」
ハルナの執務室に、フランは扉を開けることなく、空間が歪んで人の姿を刻むように足を踏み出した。
ハルナよりも年上と思われる老女とひとりの少女が、ハルナと向かい合ってソファーに座っている。
「何かあったの、マグナ」
フランに声をかけられ、ソファーに座った老女、マグナが紅茶の入ったカップを下ろし、笑みを浮かべる。
「さすがフラン姉さまですわね。10分前に起きたばかりとはとても思えませんわ」
フランはきちんと髪を整え、唇に薄く紅さえ塗っている。着ている服には皺ひとつない。
「おはようございます。フラン姉さま」
マグナの隣に座った少女があたふたと立ち上がり、緊張した声で、頭を下げる。
「あら。フランと呼んで貰って構いませんわよ。ジュリ姉さま」
「からかわないでください」
少女が、ジュリがフランを軽く睨む。
ふふふと笑って、フランはジュリの前に座った。
「それで、どうしたの」
「ジュリの力がとても強いことは、フラン姉さまもご存知ですわね」
「ええ」
「昨夜、ジュリが、『姉さまたちが何かはしゃいでいる気がします。デアで』と言い出しましてね。そこで、わたしとジュリとアイラの三人で力を合わせて耳を澄ますと、確かに皆が随分と浮かれている様子。
アヌには、自分が人より力が強いことをもっと自覚させるべきですわね。
あの子が飛び跳ねている姿が見えるかのようでしたから。
ああ、リディスもです。
何に動揺したのか判りませんけど、素っ頓狂な”声”で、わたしの名前を叫んでいましたから」
「少し昔話をしたのよ。マグナ」
マグナが笑う。
「ハルナから話は聞きました。喜んで東ナリス皇国に行かせて--」
ばたばたと足音が聞こえて執務室の扉が勢いよく開く。髪もぼさぼさにしたまま、皺だらけの服を着てリディスが飛び込んで来る。
「おはようございます!マグナ姉さま!」
マグナが口を押えて笑う。
嫌な笑いではない。
温かな笑いだ。
「おはよう、リディス」
立ち上がり、リディスに歩み寄る。
「いつまで経ってもあなたはあわて者ね。フラン姉さまを見習いなさい--とは、言わないけれど、あなたは魔術師協会のトップなのだから、常にトップらしく振る舞うことを覚えた方がいいわね」
リディスの髪を直し、服の皺を伸ばす。リディスの腕に手を添える。
「ハルナに聞いたわ。フラン姉さまにも。
あなたは良くやっているわ。魔術師協会のトップがどれほど大変な仕事か、誰よりわたしがよく知っているわ。
でもね、無理をしてはダメよ。あなたはあなたのやり方でやればいいの。もしあんまりムカつくようなら、例え相手が、元老院の議員だったとしても、ぶん殴っちゃえばいいのよ。
あなたがひとりふたりぶん殴ったところで、フラン姉さまが創られた魔術師協会はビクともしないわ。
何よりね、どんな組織でもトップというのは孤独なものだけれど、あなたは違う。
あなたの隣りにはわたしたちがいるわ。
そのことを忘れないで。
あなたは独りじゃないってことをね」
「--はい」
「いまのは、フラン姉さまからの受け売りだけどね」
悪戯っぽくマグナが笑う。
「えっ?」
「わたしがトップになった時に、フラン姉さまに言われたのよ。わたしも。
あなたは独りじゃないって。
あたしたちがいつでも側にいるわ、って。
そうでしたわよね、フラン姉さま」
「昔のマグナのことをまた話してあげるわ。リディス」
「お手柔らかにお願いしますね、フラン姉さま」
明るく笑ってマグナが座る。
「さて、フラン姉さま。わたしがここに戻って来た一番の理由は、フラン姉さまにお伝えしておいた方がいいことがあるからです」
「何?」
「わたしは、フラン姉さまほど記憶力は良くありません。ですが、以前、お母さまから聞いたことは憶えています」
「何かしら」
マグナが椅子に座り直す。フランを正面から見つめる。
「フラン姉さまは、年齢に情緒が影響されるから、気をつけるように、と。
わたしもフラン姉さまが、万にも及ぶ魔術をご存知で、千を超える妖魔を従え、わたしには想像すらできない経験と知識を積み重ねてこられたことは知っています。
ですが、フラン姉さまは今はまだ子供です。
そのことを決して忘れないで下さい」
「そうね」
フランが頷く。
彼女自身の瞳に似たマグナの赤味を帯びた栗色の瞳を見つめ返し、微笑む。
「あなたの言う通りね。憶えておくわ。ありがとう、マグナ」




