3-12(中央ナリス王国での事件2)
デアのマスタイニスカの屋敷にフランは夕食前に戻った。戻るとすぐに、フランはハルナの執務室の扉を叩いた。
何かを片付けるかのようなちょっとした間があった。
「どうぞ」
フランが執務室に入ると、「お帰りなさいませ。フラン姉さま」とハルナは、いつもと変わらない笑顔と声で言った。
「ふむ」
フランが室内を見回す。
ハルナの執務机の上が妙に片付いている。
「またあなたのお尻を打たないといけないのかしら?」
「何のことでしょう」
ハルナがとぼけ、ふふふとフランが笑う。
フランの影が伸び上がって数冊の薄い本をフランに渡す。
「ハーディの新作よ」
「まあ。ありがとうございます」
執務机に置かれた薄い本から視線を上げて改めてフランを見て、
「ご機嫌が良さそうですね、フラン姉さま」
とハルナは言った。
「ええ」
笑顔でフランが頷く。
「リディスに伝えて貰えるかしら。悪いけれど今晩、こっちに戻って欲しいって。難しければ、あたしがそっちに行くからって」
「何事ですか?」
悪戯っぽくフランが笑う。
「悪だくみの相談よ」
魔術師協会の執務室で、リディスはハルナの”声”を聞いた。
「偽物……」
椅子に座ったまま、安堵の余り腰が砕けそうになる。
『ウラを取らないといけないって、フラン姉さまがおっしゃっているわ。だから、10年前の中央ナリス王国の事件を調べて欲しいって』
ハルナが続ける。
リディスが気合を入れ直す。
「承知しました」
遅くなりそうだと思い、夫に思念を飛ばす。『無理をしちゃ駄目だよ、リディス』リディスの”声”に驚くことなく、夫が返事を心に浮かべる。『ありがとう』とそっと抱擁を返し、「さて」とリディスが言ったところで、ノックもなしに執務室の扉が開いた。
「わたしたちを呼びました?リディス姉さま」
顔を覗かせたのは魔術師協会に勤める妹、ナターシャとリタのふたりだ。
まだ呼んでいない。
しかし、こういうことは多い。言葉にする前に妹たちが察するということは。
「ええ」
リディスが微笑む。
「フラン姉さまの依頼で調べ物をするわ。手伝って貰えるかしら」
ナターシャとリタの瞳が明るく輝く。
「もちろんです!」
と、ふたりは声を揃えた。
リディスがマスタイニスカの屋敷に戻って来たのは、フランが子供たちと風呂を済ませ、夕食も終わらせた後だった。
ハルナの執務室でフランと向かい合って座り、リディスは「これが、サ・アクス・イ官が関わった中央ナリス王国での事件の報告書です」と数冊の冊子を置いた。装填は簡素で厚さもバラバラだ。
「リディス、夕ごはんは食べた?」
フランが口を開くよりも先にハルナが訊いた。
「いえ、まだ。でも、大丈夫です。そんなにお腹は空いていませんから」
「だめよ、きちんと食べないと。何か簡単なものを作ってきてあげるわ。フラン姉さま、よろしいですね?」
有無を言わせない口調でハルナが訊く。
「もちろんよ」
「リディス、心を繋いでもらえるかしら。ちゃんと聞いていますから、先に二人で話していて下さい。
すぐに戻ります」
「……ルナ母さまに叱られたみたいですね」
扉が閉じてすぐ、リディスが囁く。
「ほんとね」
フランが笑う。
「報告書は後でゆっくり読ませてもらうわ。
中央ナリス王国でエレノアさんたちはひょうたん君を騙すことに成功したのよね。どうして橋から飛ぶことになったのか、教えて貰える?」
「サ・アクス・イ官の随員に、護衛役として”八葉の宦官”がいたようです」
『八葉?』
ハルナの”声”がフランとリディスの脳裏で響く。思わず疑問が”声”になった、そんな感じだった。
「ラカン帝国の宦官たちは、宦官になった時点で肉体的には固定されるわ。
記憶は引き継がれるから技量を上げることはできるけれど、筋力は増えないし、減ることもないわ。だから、予め兵士として鍛えて、場合によっては呪を施して筋力を底上げしてから、施術を受けて宦官になった者たちよ。
公にはされていない、ラカン帝国でも秘中の秘と言っていい、戦うことに特化した専門の部隊よ。ハルナ」
『割り込んで申し訳ありません。ありがとうございます、フラン姉さま』
「どういたしまして。
その護衛役の子が、”八葉”の誰か、判っているの?」
「デイルという名の宦官です。ご存知ですか、フラン姉さま?」
「名前は知っているわ。
真面目で、面白みに欠けてて、ちょっと危険な子よ」
「どういうことでしょう?」
「彼は、宦官になる時にすべてを失ったわ。
彼は望んで宦官になった訳ではないの。一族の繁栄のために宦官になることを彼の一族に望まれたのよ。子供の頃は一族が彼の世界の全てで、一族の望みがそのまま彼自身の望みだったのかも知れない。
でも、宦官がどういうモノか知った時、迷いが生じたわ。このまま一族に望まれるまま宦官になってもいいのか。
彼の迷いを振り払ったのは、彼の従妹よ。
彼女と結ばれ、子を成し、彼女のために宦官になろうと決心したわ。
ハルナは知っているかしら。
宦官になるとね、宦官になった祝いに、ラカン帝国では何かひとつ、新しく宦官になった子の願いを聞く習慣があるの。
もちろん何でもというのはムリだけどね。
それで、無事宦官になった彼が宦官になった祝いとして望んだのは、わたしの一族をひとり残らず殺して下さい、ということだったわ」
『そんな、どうして……』
「宦官の不死は、得られる筈だった子孫の命の代わりに得られるとラカン帝国の民が信じているからよ。
彼の一族の大人たちは、ためらうことなく彼の子を殺したわ。わたしが命に代えてもこの子を守ります、と誓った従妹は、進んで我が子を差し出したそうよ。最初からそのつもりだったんでしょうね。
でもね、彼だけじゃない。ラカン帝国ではよくあることよ。
ハルナ。
それで自棄になって自滅する子も多いけれど、彼はそうはならなかったみたいね。宦官になってからひたすら上を目指したみたいだから。
もしかすると、一族を失った彼にとっては、それしか精神のバランスを取る方法はなかったのかも知れないわね。
ラカン帝国に限らず、絶対的なトップがいる組織で上にいくには、上にいる者に気に入られる必要があるわ。ラカン帝国の後宮のトップを務める大ぼら吹きのボクちゃんは魔術師よ。ひょうたん君を含めて彼の周囲にいる子たちもね。そうしたこともあって、魔術を覚えた方が上にいくのに有利と判断したのでしょうね、どちらかと言えば肉体派で、魔術は得意じゃなかったのに、頑張って魔術も覚えたみたいだから、彼。残念ながら、魔術師というには遠いけど。
”八葉の宦官”候補として宦官になっても、必ずしも全員が”八葉”になれる訳じゃないわ。むしろ脱落する子の方が多いわ。”八葉の宦官”に選ばれている時点で彼が優秀なのは間違いないわ。
しかも上の者には絶対服従で、善悪の判断をすることもない。
宦官になった時に良心を捨てたと言っていいかしら。
危険というのはそういう意味よ。
その彼が、エレノアさんを橋の上に追い詰めたのね?」
「はい」
リディスが頷く。
「詐欺そのものは、中央ナリス王国王都の郊外にある土地を何の権利もない者が勝手に売ったという、よくある手口です。
犯人は複数人。
詐欺師グループと言うべきでしょう。
特筆すべき点としては、犯人たちが詐欺を仕掛ける相手として、最初から、サ・アクス・イ官に狙いを定めていたということです」
「どういうことかしら」
「事の始まりは、事件の5ヶ月前です。
エレノアさんの仲間のひとりが領事館の職員と接触しました。
ただし、意図した接触ではなく、おそらくは偶然、たまたま酒場で隣に座ったとか、そういったことだったのだろうとラカン帝国でも中央ナリス王国でも見ています。
何度か会っているうちに親しくなり、職員が愚痴った。今度、領事館に査察官が来る、それが宦官だとか何とか、その程度の会話だったのでしょう。しかし、エレノアさんたちが調べると、査察に訪れるサ・アクス・イ官は、自信家で、人を人とも思わない人物だと判った。
つまり、詐欺を仕掛けるには絶好のカモです」
フランが笑う。
「その通りね」
「エレノアさんたちが土地売買の話をラカン帝国の領事館に持ち込んだのは、サ・アクス・イ官が中央ナリス王国の査察に訪れる3ヶ月前のことです。
政府に差し押さえられる予定の50億相当の土地を所有している、しかし政府に差し押さえられるぐらいならあなたたちに30億で売りたい。あなたたちに購入して貰えれば中央ナリス王国政府も文句は言えないだろうから、と。
確かに良い土地で、所有者が資金繰りに困っているのも本当だと領事館でも調べたのでしょう、まんまと乗ってきた。
しかし、話が煮詰まってきた頃に、領事館とつき合いのある商人が、いや、この話はおかしい、話がうますぎると領事館に忠告しました。
ここまで、詐欺師たち、--エレノアさんたちの予定通りだったと思われます。忠告した商人に売買のことを知らせたのも、エレノアさんの仲間だったようですから」
「そうして、ひょうたん君が来るのを待ったということね」
「はい。
宦官に恨みでもあったのか、サ・アクス・イ官が査察に訪れることをエレノアさんたちに教えた領事館の職員も仲間になりました。
サ・アクス・イ官が領事館を訪れた時には、商人の忠告に従って、売買話は打ち切ることで領事館内でほとんど決まっていました。
そのタイミングを見計らって、仲間に引き込んだ職員が、サ・アクス・イ官に同行していた随員に吹き込んだんです。
こういう話があるが、潰れそうだと」
「組織で生き残るには、手に入れた情報はとにかく上にあげることだわ。自分の判断は別にして、ね。
ラカン帝国、ましてや、上司がひょうたん君なら特にそうでしょうね」
「それがエレノアさんたちの狙いだったのでしょう、話を聞いた随員は、こういう話があるそうですとサ・アクス・イ官に報告しました。
すると、サ・アクス・イ官は激怒した。
何故わたしに報告しない、隠そうとしたのか、と怒鳴り、私腹を肥やそうとしたのではないかと--ラカン帝国ではよくあることだからでしょう--疑い、良い話ではないかと言い出し、少し頭が冷えてからは自分自身の言葉に縛られて後に引けなくなったのか、減額交渉ぐらいしろと命じ、それを受けてエレノアさんたちも25億でならなんとかと応じて、まんまと売買交渉を成立させてしまいました。
交渉が成立したと聞いたサ・アクス・イ官は、わたしが乗り出せばこんなものよとかなり上機嫌だったとか」
「150年前、大ぼら吹きのボクちゃんの紹介で初めてあの子に会った時には、生意気な口を利いてはいても謙虚なところもある子だったのに、たった150年で変わっちゃったものね。
でも、領事館で25億もどうやって準備したの?」
「サ・アクス・イ官の指示で、この話はおかしいと忠告してくれた商人と交渉して、調達したそうです」
「よく受けたわねぇ」
「もちろん無条件で引き受けた訳ではありません。
よほど腹に据えかねたのでしょう、商人も、領事館の土地を担保にしてもらえるならお貸ししましょうと応じて、これに、売買交渉を成立させていい気になっていたサ・アクス・イ官が独断で許可を出しました。
『ワタシが保証人では不足か!』と領事館の職員を怒鳴りつけて」
「困った子ねぇ」
「エレノアさんたちの狙いが正しかった、ということでしょう」
「取引はどういう方法で行ったの?25億となると、どんなかたちにしろとんでもない量よね。
詐欺のあと回収できなかったようだし、手形でもないのでしょう?」
「それですが--」
リディスが口ごもる。
「なに?」
「エレノアさんたちは商人と直接取引するのではなく、間に別の組織を挟んでいました。
25億の現金取引ができて、ラカン帝国を相手にしても顧客情報を決して外に漏らさない組織を」
「あぁ、そういうこと」
魔術師協会の業務の柱のひとつは金融業だ。
そして、中央ナリス王国には魔術師協会の支部がある。
つまりエレノアたちは、魔術師協会の中央ナリス王国支部を取引の窓口にしたということだ。
「取り急ぎ口座を特定し、残高だけ確認してきました。25億あった筈ですが、本日時点の記録ではもう、4億を切っています」
「それが、今回の悪だくみの資金かしら」
「いつ、どこで、いくら引き出しが行われているかは、ナターシャとリタが調べてくれています」
「あたしが礼を言ってたって、二人に伝えて貰える?」
「はい」
「魔術師協会に予め口座を開いていたというのは、エレノアさんたちが注意深く、用意周到にシゴトを進めていたことが判る話ね。
でも、だとしたら少し不思議ね」
「何がでしょう」
「自意識過剰君はどうやってエレノアさんに辿り着いたのかしら。エレノアさんたちが逃げる算段をしていなかったとは思えないのだけど」
「自意識過剰君……デイル官のことですか?」
「ええ」
なるほど。
納得してリディスが話を続ける。
「エレノアさんを追い詰めたのは確かにデイル官ですが、サ・アクス・イ官も流石にラカン帝国の第3席です。領事館内に裏切者がいることに気づいて、エレノアさんたちの仲間になった職員を捕えました。
職員が白状したことはひとつだけ。
エレノアさんたちが標的としたのがサ・アクス・イ官だということです。
ラカン帝国の資料に詳細は記されていませんが、中央ナリス王国、それにショナの調査によれば、彼は、サ・アクス・イ官を面罵したそうです。取り調べの場で。
『あんたが狙いだったんだよ!バーカ!』
と」
「激怒したでしょうねぇ」
「それが狙いだったのかもしれません。サ・アクス・イ官は必要な情報を聞き出す前に、彼を殺してしまったようですから。
しかし、サ・アクス・イ官が領事館の職員を殺してしまう前に、デイル官は中央ナリス王国の主権を無視した無茶な捜査をして、職員の線からエレノアさんの仲間の一人に辿り着いていました。
エレノアさんたちも自分たちに危険が迫っていることに気づいて逃げ出しましたが少し遅かった。
フラン姉さまは、中央ナリス王国を流れるガロナ河をご存知ですか?」
「中央ナリス王国の王都近くを流れる大河ね」
「はい。
ラカン帝国の調査報告によれば、エレノアさんはガロナ河の上流に架かるギルツェン大橋に追いつめられ、そこから転落したとなっています。
中央ナリス王国の調査報告はもう少し詳しく、ギルツェン大橋の上でデイル官と二言か三言、言葉を交わした後、エレノアさんはガロナ河に飛んだとなっています。
笑って。
デイル官に向かって手を振りながら」
「そう」
ギルツェン大橋から飛んだエレノアの--エレナの姿がフランの脳裡に浮かぶ。
「もうひとつ教えて貰っていいかしら。
エレノアさんがシオンさんにエレナさんを預けた状況からすると、ふたりは一緒に暮らしてはいなかった筈。でも、エレノアさんが死んだことを確信しているから、シオンさんはエレナさんと二人でニムシェまで乗り込んでいるのよね。
シオンさんはどうして、エレノアさんが橋から飛んだことを知っているのかしら」
「エレノアさんの生き残った仲間が報せたのでしょう」
「逃げ切った人がいるのね」
「おそらくですが、エレノアさんが亡くなったことをシオンさんが知っていることが、生き残った仲間がいる証拠でしょう。
そもそも、エレノアさんの生死について、ラカン帝国と中央ナリス王国の調査で結論が異なっています」
「どう違うの?」
「ラカン帝国では、詐欺師の一味の人数は7人としています。捕らえようとしたものの、抵抗されたので不幸にも全員、殺すより他なかったと。一方、中央ナリス王国では、詐欺師の一味は8人以上、何人かは逃れたと見ています。
ラカン帝国側の調査では、エレノアさんも死亡したとされています。しかし、中央ナリス王国の調査では、生死不明です。
ラカン帝国と中央ナリス王国のどちらにも、死体が見つかったという記録はありませんでした」
フランが短く考える。
「判ったわ、ありがとう。これからどうするかも相談したいところだけれど、そろそろハルナが戻ってくる頃かしら」
『はい、もう戻ります』
フランが笑う。
「それじゃあ、ちょっと休憩にしましょうか、リディス」




