3-10(中央ナリス王国の事件1)
見送りに出たシオンに背中を向け、玄関の扉が閉じる音を聞いたところで、ハーディの身体は彼自身の影の中にすとんと落ちた。
「それじゃあ、エレノアさんのこと、教えてもらえるかしら?」
闇の中でフランの声が響く。
「ちょっとせっかち過ぎるんじゃないか?フラン」
「ごめんなさい。夕方までには帰るってハルナと約束したから時間がないの」
「ああ、それは仕方ないな」
ハーディが笑う。
「ボクがエレノアと会ったのは、12、3年前のことでね、
イストの街--」フランの自宅のひとつもあるラカン帝国南方の港町だ。「で、人妻に手を出したという、まったくの濡れ衣で決闘をするハメになってね。最後には誤解は解けたけれどボクも無傷では済まなくて、決闘の後にボクの手当てをしてくれた医師がエレノアだったんだよ。
もっとも、その時、彼女が名乗った名前は『エレノア』ではなかったけどね」
「どういう意味かしら」
「詐欺師だったんだよ、彼女は」
「あら」
「もちろんその時にはエレノアが詐欺師だとはまったく思わなかった。
手際も良かったし診立ても正確で、彼女が医師じゃないと疑う理由はまったくなかったからね。でも、それからしばらくして、イルの街で--」こちらはニムシェの北方にある街だ。「再会したんだよ。その時には、エレノアは占い師になっていたよ。『お久しぶりね、ハーディ』って少しも悪びれることなく笑って、それで彼女と友人になったんだ」
ハーディの身体が浮き上がる。
周囲が明るくなり、ハーディは、自分が自宅の玄関前にいることに気づいた。
「本当に便利でいいね。ボクも魔術を覚えるんだったな」
ハーディが玄関を開ける。
「ただいま、ロラン」
突然の帰宅にも慌てることなく、ロランが落ち着いた様子で姿を現す。
「お帰りなさいませ。ハーディ様。フラン様」
「フランに温かいお茶を頼めるかな。少し冷たいものを飲み過ぎだからね。それと、イルシャリ・ア酒はまだ、ボクの部屋にあるかい?」
「すぐに新しいグラスと氷をお持ちしますわ」
「頼むよ」
ハーディの書斎に腰を落ち着けて、「再会したときにエレノアさんが占い師だったということは、もしかしてあれは、その時に手に入れたものかしら」と、フランが示したのはハーディの机に置かれた小ぶりな水晶玉だ。
「うん。彼女のシゴトを手伝った謝礼として貰ったものだよ」
「楽しい人ね」
悪事の謝礼にしてはズイブン安ぽっい品物だ。しかし、友情の証としては悪くない。
「きっと君も気に入った筈だよ。多分、エレノアの方もね。
シオンが言った通りだ。
エレノアは、まるで風のようだった。自由で、掴みどころがなくて、自分勝手で、派手好きで、自己顕示欲が強くて、どうしようもなく魅力的だった。
彼女はとにかく人生を楽しんでいたよ。
自分の命を軽々と賭けてね」
「シオンさんはどこでエレノアさんと知り合ったのかしら」
「それは知らないな。聞いていない。
改めて考えれば、知らないことばかりだな。シオンがどこの出身なのかも知らない。歳も。エレノアの本当の名前も。
ボクがエレノアのことを、こうしてエレノアと呼んでいるのも、シオンがそう呼んでいるからなんだよ。
シオンと出会ったのは、3ヶ月ほど前だ」
「最近ね」
「帝都維持保全法にも関わらず、パーティを開いている人がいるって友人に教えてもらってね、彼に連れられてシオンの屋敷に行ったんだ。シオンがボクに会いたがっているということでね。
神剣を手に入れたいきさつを話しただろう?
もちろん神剣のことは誰にも話しはしなかったけれど、宦官を殺した犯人が息を引き取った後、ボクが犯人を見つけたことは当局に報告したからね。
その時の話を聞きたいということだった。
そして、エレナに会った。
驚いたよ。
エレノアじゃないかって。
ところが彼女の方はまるでボクのことを知らないような態度だ。仕事の方はどうだい、とこっそり訊いても、何のこと?って逆に訊き返してくる。詐欺の最中でボクのことを知らないフリをしているのかと思ったが、それにしては話が噛み合わない。
途中でシオンが気がついた。
エレノアのことを知っているのですか?って」
「もしかして、エレナさんって」
「うん。シオンの妻じゃない。シオンとエレノアの子供だよ。エレナは」
「シオンは君に、エレノアは自分の友人だと言っていたよね。あれはシオンの本当の気持ちだと思う。
シオンがエレノアと恋人関係にあったことがあるのは確かだろう。
だけど、誰も捕まえておくことはできない、そんな人だったからね、エレノアは。
それがいつのことで、どこでのことかは知らないけれど、ある時、エレノアが訪ねて来て、シオンに、まだ乳飲み子だったエレナを託したそうだよ。『あなたの子よ』ってね。エレノアはその時、『わたしには子供は育てられないから、あなたが育てて頂戴』と笑ったそうだよ。シオンはシオンで、確かにエレノアには無理だと思って、『判った』って、迷うことなくエレナを引き取ったそうだよ」
フランが笑う。
「お互いのことをよく判っていたということね」
「もし、ボクがシオンと同じ立場になっても、判ったって頷くと思うよ。エレノアなら仕方がないってね」
「エレナさんっていくつなのかしら」
「15歳だそうだよ」
「もっと歳上に見えるわね」
「ボクがエレノアと見間違えたぐらいだからね」
「ひょうたん君がエレノアさんの仇だってことだけれど、その理由は訊いたの?」
「エレノアが、大三位殿--」サ・アクス・イ官のことだ。「を騙して、詐欺そのものは成功したものの逃げ切れずに橋から飛んで死んだそうだよ」
フランは何も忘れない。
すぐに、デアに戻ってから聞いたひとつの事件を思い出した。
「多分それ、中央ナリス王国での事件ね」
「中央ナリス王国--?」
「知らなかったの?」
「詳しいことは聞いていないんだ。シオンが知らない方がいいって言ってね」
「知りたい?」
「もし良ければ」
「事件そのものは10年前のことで、あたしもまだ3歳だったから、知ったのはデアに戻ってからよ。
ひょうたん君が宮廷で立場を失くしかけているって聞いたの。ひょうたん君が、中央ナリス王国にあるラカン帝国の領事館に査察官として派遣されてしくじったって。ひょうたん君はラカン帝国の第3席だわ。そのひょうたん君が査察官として派遣されること自体が異常だわ。大ぼら吹きのボクちゃんの意図は判らないけれど、ひょうたん君に、自分が大ぼら吹きのボクちゃんに疎まれかけているって自覚があったんでしょうね、焦ったひょうたん君がそこで大失態をしたのよ。
ラカン帝国は隠そうとしているけれど、詐欺師に25億の大金を騙し取られて、そのうえ、領事館の土地も差し押さえられて、危うく領事館を閉鎖するところだったと聞いているわ。
何とかひょうたん君が25億を用立てて、領事館の閉鎖という事態は避けられたそうだけどね」
「ああ、それでか」
「何が?」
「サ・アクス・イ官を支える当主一族が変わった理由だよ」
「あら。ひょうたん君の当主一族って変わったの?」
「10年前にね」
「どこに変わったのかしら」
「タス一族だよ」
「ひょうたん君が宦官になった時の、兄の血筋ね」
「うん。
君も知っての通り、元々の当主一族はイ一族で、サ・アクス・イ官の妹の血筋だ。
タス一族はずっと片隅に追いやられていた。
これはボクの推測だけど、イ一族は、エレノアに騙し取られた25億の穴埋めをサ・アクス・イ官に求められた時に、すぐには応じなかったんじゃないかな。
サ・アクス・イ官が宦官になったのは150年ほども前だから、もう血の繋がりは無いに等しい。しかも宮廷でのサ・アクス・イ官の立場も不安定になってきている。だからイ一族内でサ・アクス・イ官の求めに応じるかどうか、異論が出た。
その隙をついて、タス一族が資金を提供するよう申し出た。そうしてイ一族から大三位殿の一族の当主の座を奪い取って、イ一族が持っていた様々な権益を自分たちの物にしたんだ。
10年前にタス一族の当主を務めていた人物はなかなかの傑物でね。
ボクも何度かお会いしたけれど、おっとりしてて人当たりが良くて、細かなところまで気が回って、それでいてとても怖い人だったよ。
食べるのも呑むのも大好きで、いろいろな意味で山のような人だったな、彼女は。
でも、それが良くなかったかな」
「亡くなられたの?」
ハーディが頷く。
「二年前にね。
彼女はあまり表に出たがる人ではなくてね、むしろ裏方に回る方を好む人だったんだ。そのため、タス一族の表向きの当主として彼女は従弟殿を立てた。
もちろん全ての実権は彼女が握ったままね。
それで上手くいっていたが、彼女が若くして死んでしまって、表向きの当主だった従弟殿--フェ・タス氏が、本当の当主になってしまったんだ。
フェ・タス氏は外見は当主らしく鷹揚に見えるし、頭も悪くない。しかし、悪人ではない。善人でもない。良くも悪くも、確固たる信念もない。
ひと言でいえば凡庸な人物だね」
「その凡庸な人物が、ひょうたん君の窓口なのね」
「シオンにとっては幸いなことにね」
「ハーディ、あなたの役割は何?」
「ボクは逃走経路のひとつだよ。
シオンが他にどんな逃げ道を用意しているかは知らないけど、シオンが言ったように、今回の悪だくみの目的は大三位殿をからかうことだ。
しかし、殺されてしまったのでは意味がない。
エレナには絶対に話さないように口止めされているんだけどね、エレナだけは絶対に助けて欲しいと頼まれたよ。
シオン自身に何があったとしても、ね」
「そう」
フランが湯呑を置く。
「良く判ったわ。ありがとう、ハーディ。
そろそろ帰るわ。
デアに帰って、シオンさんやエレノアさんのことを調べたいから」
「ラカン帝国の宦官相手のシゴトだ。知り合いに塁が及ぶのを恐れて、シオンは極力、過去との繋がりを断とうとしている。
シオンの気持ちを考えれば君を止めるべきなんだが、--無理かな」
「言ったでしょう?シオンさんが気に入ったって。それに、魔術師ではないシオンさんがどこで魔術を覚えたのか興味があるわ。
そうね。
エレノアさんのことで何か調べる手掛かりはあるかしら」
「エレノアが言っていたことだけれど、『人は自分の見たいものだけを見る。だから、見たいものを見せてあげれば騙すのは簡単』だそうだよ。それと、『人は肩書に弱い』『だから本物の弁護士資格も取ったのよ』とも言っていたよ」
「どこの国の資格かしら」
「ショナだよ」




