3-9(標的は宦官2)
「エレノアさんの仇というのは、だれ?」
「ラカン帝国の宦官、サ・アクス・イ官です」
「あら」
驚いてフランが声を上げる。
ラカン帝国の帝都ニムシェで亡命貴族のフリをしている。だから、シオンの狙う仇が宦官というのは意外ではなかった。
意外だったのは、シオンが告げたのがフランが思っていた以上の大物だったことだ。
「ひょうたん君だとは思わなかったわ」
フランも知っている。ラカン帝国を裏から支配する宦官たちの第3席、つまり、ラカン帝国で3番手に位置する実力者だ。
フランも認める優秀な魔術師で、面識もある。
フランは姿が変わっている。サ・アクス・イ官の方はフランを見分けられないだろうが、フランがひょうたん君と言った通り、ひょうたんそっくりの顔をしている。
「だから、今で、『完璧な世界』なのね」
「はい」
「ひょうたん君を殺したいの?」
「いいえ」
シオンが首を振る。
「サ・アクス・イ官を、からかうのが目的です」
「いいわね」
フランが笑う。
「この偽物は、装填が立派すぎるわ。
本物の『完璧な世界』の写本はもっと作りが雑だったわ。
何に使うかにも依るから、このままでもいいのかも知れないけれど、もし、本物に近づけたいのなら、お手伝いできますわよ。
それと、さっきも言いましたけど、魔術は得意ですから。他にもいろいろお役に立てますわよ。
どうかしら。
あたしも悪だくみの一味に加えて頂けるかしら。シオンさん」
「シオン。フランがここに来たのは、偶然でもあり、必然でもあるんだ」
「どういう意味だろう」
「たまたまボクが君を知っていた。だから、ボクがフランをここに連れてきた。友人として。
しかし、ボクが連れて来なくても、フランはここに来た筈なんだよ。
フランは、『完璧な世界』の写本を見たことがある。
それどころか、2冊あった『完璧な世界』の写本のうちの一冊を燃やしたのは、他でもないフランだそうだ」
「そうか」
シオンが呟く。
「君が、友人としてフランさんを連れて来てくれたのは、むしろ、幸運だったということか」
シオンが黙考する。ホールの賑わいが小部屋を満たす。エレナの明るい笑い声も聞こえた。
「ひとつ教えて頂いても宜しいでしょうか」
「何かしら」
「フランさんがわたしたちの悪だくみに加わりたい理由は何でしょう」
「面白そうだからよ。それではダメかしら」
「--いや」
迷いがシオンの顔に浮かぶ。フランの告げた理由には納得した。納得したが故に、迷った。
そこへ、
「敵というのは困るでしょう?」
とフランが言葉を重ねた。
シオンが苦笑する。
「そうですね」
フランが微笑む。
「良かった。あたし、シオンさんが気に入っちゃったから、シオンさんの敵にはならずに済んで安心したわ」
「気の毒に。シオン、君、フランに気に入られたそうだよ」
ハーディが笑い、
「失礼ね」
気分を害した様子もなくフランが薄く笑う。
「では、あたしも悪だくみの一味に加えて頂いたところで、悪だくみの詳細を教えて頂けるかしら?」
「そのことですが」
「何?」
「フランさんに手を貸して頂けるのなら、計画を見直したい。改めて打ち合わせをするということでも宜しいですか?」
「そうね。シオンさんとハーディがここにずっと籠っているというのも、状況としてはあまり良くないわね。
ハーディ、エレノアさんのこと、後で詳しく教えて貰える?」
「喜んで」
「そうそう。デール聖王国で『完璧な世界』の噂を広めているのも、シオンさんなのかしら?」
「--はい」
「承知しました。これで妹の心配事をひとつ減らせられますわ」
フランが微笑み、椅子の上で風が小さな渦が巻いて、姿が消える。『完璧な世界』の偽物もない。
「悪い話にならずに済んだかな」
ハーデイが問う。
シオンが頷く。
「--何だか不思議な気がするよ」
「何がだい?」
「いろいろな人の力を借りて、エレノアの仇を討つには今しかないと思い定めてニムシェには来たけれど、正直なところ、成算はほとんどなかった。
しかし、ここで君に会い、君を通じてフランさんとも出会えた。
まるで--」
シオンが何を言おうとしているか察して、ハーディは、「それは無いな」と笑った。
シオンも笑う。
「ああ、エレノアはそんな人じゃない」
玄関までハーディを見送り、シオンは書斎へと戻った。
鍵をかけ、五感を研ぎ澄まして人の気配がないことを確認してから呪を呟く。壁に扉が現れる。扉を開き、隠されていた小部屋に入る。
床の上に積み重ねられた書物の前に膝をつく。
彼が書物の間に隠していたそのままに『完璧な世界』の写本の偽物がそこにある。
何も変わっているように見えない。
書物の間から抜き取り、確認する。彼以外の誰かがページを開けば燃えて灰になる術も元のままだ。
『もしかすると、彼女が現れるかも知れない』
独り言のように宙に彷徨わせた彼の甲高い声を思い出す。
『彼女とは、誰のことでしょう』
シオンの問いに、彼は薄い唇に笑みを浮かべた。
『知らなければ、知らない方がいいことですよ。うかつにその名を口にしては私の命も危うくなるだろうから』
『まさか。あなたたちは--』
彼が首を振る。
『不死ではありませんよ。私たちは』
『……』
『彼女に会ってみたいという気もしますが。例え、この命を失くすことになったとしてもね』
そう言って彼は--エレノアの友人であり、ラカン帝国の宦官でもある彼は--、楽しそうに笑った。
彼が誰のことを言っていたのか、当時のシオンには判らなかった。
しかし、今なら判る。
「フランさんのことだったのですね--」
記憶の中の彼に話しかけるように、シオンは呟いた。




