3-7(『完璧な世界』の写本)
屋敷に入るとフランは20体以上の妖魔を屋敷の四方へと走らせた。そうして屋敷の間取りを把握し、屋敷の主の書斎と思われる部屋で影から出た。
周囲を注意深く見回す。
物は多くない。
亡命貴族だ。取るものも取らず身ひとつで逃げたのだとしたら不思議ではない。部屋の隅には釣り竿が立てかけてある。世間知らずの貴族が趣味の道具だけ持って逃げて来た--と思える。
妖魔が壁を示す。
フランは壁に近づき、手を添えた。
上手くカモフラージュしているが扉がある。
フランが影に沈む。
カモフラージュはそのままに、僅かな扉の隙間から、隠されていた小部屋に忍び込む。
影から出て、フランが呪を口にし、室内が光に満たされる。小部屋に施されていた結界も警報も、影から出る前に無効化している。
小さな机が置かれただけの狭い部屋だ。
机の上には十数枚の紙が乱雑に散らばっている。
紙を一枚取り上げ、フランが目で追う。呪が書かれている。完成した呪ではなく、編んでいる途中の呪だ。
手にした紙を机に戻し、床に積まれた書物に目をやる。呪を呟く。カツンッと独特の手応えがある。
「それを取って貰えるかしら」
積み重ねられた書物の中から、フランに示された書物を妖魔が抜き取り、フランに差し出す。
「ありがとう」
フランがページをめくる。
笑みが零れる。
屋敷の他の部屋を調べている妖魔たちとフランは視覚と聴覚を繋いでいる。
ホールのハーディの様子もずっと追っている。
「ハーディ。そこで話そう」と言ったシオンの声を聞き、フランは書物を手にしたまま自分の影に沈んだ。
***
「あたしも座らせて頂いて宜しいかしら?シオンさん」
「あ、……はい」
フランはシオンの正面に回り、隠し小部屋から持ってきた魔術書と思われる書物をテーブルに置いてから、腰を下ろした。
シオンは不安を浮かべてずっとフランを目で追っている。
「……君は」
「怒鳴ることしか知らないどこかの誰かとは、大違いね」
笑みを浮かべたままフランが言う。
シオンが口を閉じる。
「どこかの誰かって?」
口を閉じたシオンに代わってハーディが問う。
「詳しいことは聞かない方がいいことよ。ハーディ」
「それにしても、意外だね」
「何が意外なのかしら?」
「君がその姿なのが、だよ。
ボクはてっきり、君がそれらしい姿で現れるんじゃないかと思っていたから。まさか、そのままの姿で現れるとは思わなかったよ」
「お願い事をしようというのに、幻を纏っていたのでは失礼でしょう?」
「ああ、確かにその通りだね」
「ハーディ」
シオンが二人の会話に割って入る。
「こちらの方が、ボクに紹介したいという君の友人かい?」
「うん。彼女だ」
シオンがフランに向き直る。
「お話を遮って申し訳ありませんでした。えーと、失礼ですが、見た目通りの歳ではない、ということですか?」
「ええ」
「失礼いたします」
シオンの背後のカーテンの向こうから声が響く。
シオンがぎくりっと身体を震わせる。
使用人の娘の声だった。
「何か飲み物を持って行くよう、あなたの奥様に命じられたのよ。どうぞ。何も問題は起こらないわ」
シオンが口を開くより先にフランが言う。フランの顔をシオンがまじまじと見る。覚悟を決める。
「どうぞ」
フランを見つめたままシオンが応じる。
カーテンが開かれ、トレイを手にした使用人の若い娘が現れる。
「奥様がお飲み物をお持ちするようにと。テーブルに置かさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「頼むよ」
「これ、邪魔ね」
フランの手の動きに合わせてテーブルの上から魔術書が消える。
シオンとハーディの前にグラスが置かれる。
「レミちゃん」
立ち去ろうとした娘にハーディが声をかける。
「ここまで歩いてきて喉が渇いたから、悪いけど、オレンジジュースも頼めるかな」
「承知いたしました」
すぐにオレンジジュースの入ったグラスを手にレミと呼ばれた娘がホールの喧騒の中から戻り、ハーディの前にグラスを置く。
深くお辞儀をしてレミが下がり、カーテンを閉じる。
「どうぞ。フラン」
フランがグラスを受け取る。
「ありがとう、ハーディ」
「……まさか、彼女にはあなたの姿が見えなかったのですか?あ、いや、声も聞こえなかった?」
シオンからはフランはずっと見えている。グラスを置くために、レミはシオンよりもフランに近づいた。
それにも関わらず、レミがフランに気づいた様子はなかった。
「あたしがここにいることは、他の人には知られない方が良いのでしょう?」
シオンが顔を伏せる。何かを呟く。「……先生でも、ここまでは……」と聞こえた。顔を上げ、小さく息を吐く。
「ハーディ、フランさんを、改めてボクに紹介してくれるかい?」
「わざわざハーディに訊くまでもないわ」
フランが割って入る。
「あたしはフラン。
ハーディに誘われて、シオンさんの悪だくみに参加させて頂きたくて、失礼ながら勝手にお邪魔させて頂きましたわ。
もうひとつ名前がありますけど、そちらもお教えしましょうか?」
ハーディがフランの横顔を窺う。それを明かすのかい?と視線だけでフランに問い、ま、君がその気ならいいか、と軽く眉を上げる。
「お願いします」
フランが頷く。
「シャッカタカー。千の妖魔の女王。それがあたしのもうひとつの名よ」
シオンが沈黙する。フランから視線を外さない。フランの言葉が本当かどうか、フランの表情から読み取ろうとしている。
怖れはない。
戸惑ってもいない。
気弱さの裏に隠していた本性が青い瞳の奥から覗いている。
「ハーディ」
「何だい」
「ひとつ教えて貰ってもいいだろうか」
「何なりと」
「君はどこで、フランさんと知り合ったんだい?」
「そうだね。もう、30年ほど前になるかな。
ラカン帝国が、ブローゲイル王国とマクフォン地方の領有権をめぐっていくさになってね。ボクも駆り出されて、そこでフランに助けられたんだよ。
それ以来のつき合いだね」
「……見知らぬ者同士が出会うには、あまり相応しくないところだね」
「うん。ボクもそう思うよ」
「あたしがそこにいた理由からお話しした方がいいかしら」
「もし宜しければ」
「ラカン帝国ではなく、ブローゲイル王国軍に知り合いがいたのよ。彼がどんな風に死ぬか知りたかったので、あたしはそれを見に行ったのよ」
「どんな風に死ぬか……」
魔術師のローブを纏い無数の死体の間をそぞろ歩くフランの姿でも想像したか、シオンの顔を恐れが掠める。
「--どなたが、いらしゃったのですか?」
「カフカス侯爵という人だけれど、シオンさん、ご存知かしら」
「いえ。……あ、いや、もしや、カフカス傲慢候のことでしょうか?」
「よくご存知ね」
「詳しくは知りません。ただ、ブローゲイル王国の宰相になったものの、あまりに傲慢な態度に王が怒り、僅か1か月ほどで解任されたとか」
「それだけ知っていれば十分よ。
彼は2度、失脚しているわ。あたしが彼と知り合ったのは1度目の失脚の後よ。
傲慢候と呼ばれるだけあって本当に傲慢な人だったわ。
彼は。
自分がこの世界で一番優秀だと確信してて、怒りっぽくて、自分の言うことを理解できない相手は平気で無視して。
彼は多趣味でね、料理も趣味のひとつで、あたしも料理は好きだから、それが縁で彼と知り合ったのよ。
傲慢候らしく最初はあたしのことを馬鹿にしていたけれど、彼と料理の勝負をしてへこまして、8回目の勝負の後にようやく、あたしには敵わないって認めたわ。
彼はとても好戦的な性格でもあったから、あたしと出会った頃、--1度目の失脚の後ね--、王宮から出仕不要を宣告されて戦う場所を失くて酒浸りになっていたわ。『こうして朽ちていくぐらいならいくさ場で死ぬことを望むよ、ワシは』というのがあたしと呑んでいる時の彼の口癖でね、マクフォン地方の件でいくさが始まった時には、子供みたいにはしゃいで出掛けて行ったわ。彼の立場なら前線に立つ必要はないのに、最前線を希望してね。
あたしもついて行ったのよ。
彼は魔術師を毛嫌いしていたから、彼には気づかれないようこっそりね。
いくさ場での彼はまるで人が変わったみたいだったわ。
お酒を手放せないのは変わらなかったけど、いつも上機嫌で、部下になったひとりひとりの兵士の名前はもちろん、家族構成や誕生日まで憶えて、ごく自然に兵士の間に溶け込んでいたわ。
いくさは結局、痛み分けに終わったけれど、最後の衝突の際に、彼の部隊は前線に取り残されたの。どうするかと思っていたら、彼は楽しそうに、退却を命じて最後まで残って指揮をしていたわ。
ここで死ぬ筈じゃなかったのかしらと思ったけれど--あたしはそれを見に行ったのだけれど--、部下を一人でも多く助けようとしている彼を見ていると、ここで死なせない方が面白そうだと思って、彼の部隊が他の部隊と合流出来るよう彼に気づかれないよう手助けしたわ。
彼が宰相になったのはその後。
いくさ場での実戦経験を材料に王宮に復帰して、政敵を蹴落として宰相まで昇り詰めたのよ。
でも、敵が多かったし、王にお世辞を言えるような性格ではなかったから、シオンさんの言う通り、たった一ヶ月で2度目の失脚をしたわ。
もし、当時のブローゲイルの王に彼を使いこなすだけの度量があれば、マクフォン地方をラカン帝国に獲られることはなかったでしょうね。
彼は2度目に失脚した2年後に死んだわ。失意の中、お酒の呑み過ぎでね。
憤死と言ってもいいかしら。
枕元にお酒のグラスを置いて、手にはペンを持って、王への意見書を書きながら死んでいたって聞いているから。
話を戻すとね、ハーディと出会ったのは、傲慢君が味方の部隊と合流したのを見届けた後よ。
ニムシェに帰ろうとした時に、ハーディが歌っているのを聞いたのよ」
「歌、ですか?」
「ハーディはハーディで、部隊ごと前線に取り残されて、死んだ兵士の為に歌を歌っていたのよ。
細く、微かな歌声ではあったけれど、まるで目に見えるかのような力強い声だったわ。いくさ場には相応しくないその歌声を辿って、あたしはハーディに会ったのよ」
「--取り残されたのは下層に属する平民出の兵たちで構成された部隊でね、死んだ彼も、他の兵もボクの歌をすごく気に入ってくれていたんだよ。そこでボクも死ぬ筈だったんだが、彼らに助けられた。
生き残ってしまったボクにできたのは、彼らのために歌うことだけだったからね」
シオンが笑う。
「君らしいな、ハーディ」
「シオン。
ボクは君たちを止めるべきかどうか、ずっと迷っていた。けれど、フランが力を貸してくれるのなら話は違う。
ボクは、フランを是非、この悪だくみに加わらせたいんだよ」
「……」
「シオンさん」
「何でしょう、フランさん」
「あなたが、あなたの悪だくみにあたしを参加させてくれなくても、あたしは手を引く気はありませんわよ。
これ」
フランがテーブルを指さす。
消えていた魔術書がフランの指の下にある。
「『完璧な世界』の写本。
その偽物ね」




