3-6(西端ベルリアーズ公国からの亡命者)
「ここかしら」
フランとハーデイがフランの影から浮かび上がったのは、一軒の広い屋敷の前だった。屋敷の南側に”八葉の壁”の一枚がそそり立ち、屋敷は”八葉の壁”が落とす影の中に暗く沈んでいる。
「うん。ここに住んでる。シオンは」
答えたハーディは、ぼさぼさの髪を頭の後ろで一つにまとめ、皺だらけだった服を着替えて、貴族であることを示すために腰には長剣をぶら下げている。
「悪いけれど、先に中を見せて貰うわね」
フランが影の中に沈む。
門は開いている。
ハーディは玄関まで進み、扉の横にぶら下がった紐を引いた。
からりからりと遠くで呼び鈴が鳴る。
扉が開かれ、使用人が姿を現す。
使用人とは面識がある。
ハーディは屋敷の主への取り次ぎを頼み、「こちらでお待ちください」と、エントランスへと招じ入れられた。
さほど待つことなく、ひとりの男が、柔らかな笑みを浮かべて姿を現した。
歳は30代はじめぐらいか。
身長は高くない。
色白で、骨も細く、青い瞳の目元に人を思いやる優しさがあり、反面、気が弱そうに見える。
「悪いね、シオン。約束もなく押しかけて」
歩み寄って来る男にハーディが笑顔で声をかける。
「とんでもない。君ならいつでも歓迎だよ、ハーディ」
男が、シオンが、温かな心からの笑みで応じる。シオンはハーディに頬を寄せて抱擁を交わした。分裂した旧ベルリアーズ王国の国々特有の挨拶だ。
「それで、今日は何の用だい?」
「例の借財の件で、君に相談したいことがあってね」
「ああ」
シオンが声を落とす。
「もうボクたちは止める気はないよ。心配してくれるのはありがたいけれど」
「判ってる。
ボクも止めようと言うんじゃない。
話だけでも聞いてくれないか。友人として」
「いい話?」
「どちらとも言えないな。場合によっては悪い話だし、場合によってはとてもいい話になるよ。
どっちになるかは、君たち次第かな」
シオンが笑う。
「随分と思わせぶりな言い方だね。判った。とりあえず話を聞かせてくれるかな?どうぞこちらへ」
シオンが先に立ち、屋敷の奥へと案内する。
「少し騒がしいけどね」
まるで、暗い夜がいきなり明けたかのようだった。
シオンが両開きの扉を押し開くと、賑やかな音楽と人々の明るい笑い声が溢れてハーディを包み込んだ。
ホールだ。
広い。
そこで、十数人の男女が、アルコールや食事が並べられたテーブルの間を回遊しながら談笑していた。
誰もが美々しく着飾り、身に着けた宝飾品がきらきらと輝いている。
人々の中心にひときわ目を引く女がいる。
すっかり晒した両腕も、斜めにカットしたスカートから伸びた白い両脚も彫像の如く細くなめらかですらりとしている。折れてしまいそうなほど細い首の上に小さな頭が載り、豊かなブロンドの髪を高く品よく結い上げている。
歳は20代後半だろうか。
雪色の肌に鮮やかな赤い口紅をさし、知性と親し気な笑みを湛えた青みを帯びた灰色の大きな瞳を明るく輝かせている。
開いた扉に気づいて女が振り返る。
ホールに入って来たシオンの姿を認めた女の眉間に不快気な皺が寄る。
しかし、シオンの後ろのハーディに気づき、
「あら。ハーディ」
と、女は軽やかに、弾むように歩み寄って来た。
「いつも思うけれど本当に残念だよ、エレナ」
先程のシオンと同じように頬を寄せて女と抱擁を交わし、ハーディが言う。
「何が残念なの?」
正面からハーディを見つめて、エレナと呼ばれた女が笑顔のまま問う。
「ボクが神々から詩の才能を与えられなかったことがだよ。
もし、ボクに詩の才能があれば、君のとてもすてきな青灰色の瞳を適切な言葉で称えられるのに。
君を称える言葉の持ち合わせがないことがだよ」
エレナが、楽しそうに笑う。
「ありがとうハーディ。そんな風に言って頂くだけで、充分嬉しいわ」
ためらいがちな咳払いが二人を振り返らせる。
「エレナを称賛してくれるのはいいんだがね、ハーディ、ここに夫がいることを、君、忘れてないか?」
シオンが暗い声で文句を言う。
ハーディが明るく笑う。
「ああ、それこそ忘れたくても忘れられない、何よりも残念なことだよ。シオン」
「忘れてくれてもいいのよ、ハーディ。そんなこと」
エレナが横目でシオンを睨みながら言う。
「それで、何かご用かしら?今日はあなたはご招待していなかった筈だけれど」
「ちょっとシオンに相談したいことがあってね」
「例の件?」
エントランスでのシオンと同じく、エレナが声を潜める。
「ま、ボクも貧乏貴族、収入と言えば、ささやかな軍人恩給と、もっとささやかな貴族院議員手当しかないから残念ながら君たちの力にはなれないけれど、生活が苦しい者同士、何か良い知恵が出せないかと思ってね」
「ハーディ」
「何だい」
「あまり無理はなさらないで。わたしたちは、わたしたちで何とかするわ。だってこれはわたしの--」
「エレナ」
「何?」
「ボクにも友人らしいことをさせて貰えれば嬉しいよ」
エレナが視線を落す。
「そうね」
と呟く。
何かを振り払うように顔を上げ、明るく笑う。
「ごめんなさい。大事なお話があるのにお引き止めして。お話しするには少し賑やかだけど、ゆっくりしていってね」
「ありがとう。エレナ」
「ハーディ。そこで話そう」
シオンが示したのは、ホールの隅にあるカーテンで仕切られただけの小部屋だ。小部屋に入り、シオンがカーテンを閉める。
小部屋には小さな丸テーブルを囲んでやはり小さな丸椅子が3脚、据えられている。
「それで相談したいことというのは何だろう」
「ボクの友人をひとり君に紹介したい」
丸椅子に座り、ハーディが言う。
「彼女を、君たちの悪だくみに参加させたいんだ」
「え?」
驚くシオンのすぐ後ろで、「あら。ちょうど良いところに来たみたいね」と、若い女の声が響いた。




