3-4(フラン、悪だくみに誘われる)
「これ、仕舞っておいてもらえる?」
フランの影から伸び上がった妖魔が魔術書を抱きかかえるように覆う。何かをフランに問う。「そうね。これもお願い」妖魔がテーブルの上にあった薄い冊子を包み込み、ひったくるように素早くフランの影へと戻る。
妖魔が影の中に消えるのを見送り、ロランが用意してくれたクッキーをつまんで、
「さっきは何をしてたの?」
とフランは尋ねた。
「ん?あれ?」
ハーディが机の上の楽器を示す。
「ええ」
「最近、作曲に凝っててね。これで、えーと、6曲目か。たまには演奏会もやってるんだよ」
「さっきの曲、バルリアの--」旧大陸の東方沖に浮かぶ常夏の島の名をフランが口にする。「曲を参考にしているのかしら?」
「よく判るね」
「耳が良くなければ魔術師にはなれないわ。
それに、あれ」
フランが指さしたのは、部屋の奥の書物の山の上に投げ出された仮面だ。
「バルリアで売られているお土産の仮面でしょう?前に来たときにはなかったわ。バルリアに行ったの?」
ハーディが笑う。
フランは何も忘れない。そのことを改めて実感する。
「さすがに遠いよ、バルリアは。
西の市場でバレリアの物産展をやっていてね。その時に買ったんだよ。
バルリアの音楽を聞いたのもその時だ。
それで猛烈に作曲をしたくなってね」
「いいわね。あなたの歌、久しぶりに聞かせてもらいたいわ」
「もちろん喜んで。
もっとも、歌舞音曲は禁止だから、こっそりとね。さっき、演奏会をやってるって言ったけど、聞いてくれるのはロランひとりだけだよ」
「歌舞音曲が禁止になったの?」
「内区では、ね。大隠殿--」大隠殿。ラカン帝国を実質的に支配している宦官の長を指す隠語だ。「が、ますます綱紀粛正に力を入れているようでね」
「帝都維持保全法のことね」
「素晴らしくも硬苦しい法律だよ」
「王宮でも歌舞音曲を禁止にしたのかしら?」
「流石に王宮では禁止できないよ。でも、ズイブンとつつましやかになったらしいね、いろいろな儀式が」
「ラカン帝国の儀式は、大災厄以降、ラカン一族が磨き上げてきた文化だわ。厳粛で、華やかさもあってあたしも好きだったのに、あの子も判っていないわね」
「ここに来るまで、浮浪者を見たかい?」
「いいえ」
「貧民保護施設を造ってるよ。ニムシェからなるべく遠くに」
「お莫迦さんねぇ」
「一方で軍備はどんどん拡張している。ケンラ駐屯所は行ってみたかい?」
ニムシェから遠くない軍の施設をハーディが口にする。
「何があるの?」
「アースディア大陸から新兵器を導入しててね。えーと、ここに隠しておいた筈」ハーディが書棚の奥から数枚の紙を引っ張り出す。「貴族院議員団で視察した後、スケッチしてみたんだ。君ほど記憶力は良くないから、正確ではないけれどね」
「ルルイ=イロス式機械人形ね」
受け取ったスケッチをひと目見て、フランが言う。ハーディは絵に凝っていたこともある。観察眼も確かで、単純な線だけで特徴をよく表している。
「知っているんだね」
「ルルイとイロスという名の兄弟が開発した機械人形よ。アースディア大陸でも南の技術で、門外不出の筈だけれど、よく導入できたわね」
「アル・カロス官が十年以上も交渉して実現したそうだよ」アル・カロス官。会ったことはないが、フランも名前は知っている。後宮に勤める宦官の一人だ。
「第9席の子ね」
「この件もあって今は第8席に序列を上げているよ」
「良い時に留守にしちゃったわねぇ」
序列の移動があったということは、後宮内でいろいろとモメ事があった筈だ。さぞかし見モノとしては面白かっただろう。
「でもこれ、実戦だと案山子程度の役にしか立たないわよ。よく序列を上げられたわね」
「皇帝陛下の御前で、大隠殿も列席して、機械人形同士の格闘戦をやったらしいね。全高20mもある機械人形同士の格闘戦だ。迫力満点で、皇帝陛下も大層、ご満足されたらしいよ。
デモンストレーションの勝利、といったところかな」
「上の子たち、大変ね」
フランがグレープフルーツジュースの入ったグラスを口に運ぶ。
閃くものがあった。
「もしかすると、ラカン帝国が軍事力の増強を進めていることに関係があるのかしら」
「何のことだい?」
「『完璧な世界』という名の魔術書のこと、聞いたことある?ハーディ」
ハーディがグラスを止める。
「『完璧な世界』?」
「ええ。150年ほど前に、西ナリス王国で編まれた魔術書よ。いまの地図だと中央ナリス王国になるけれど。『完璧な世界』は、あたしが知る中でも最も危険な術のひとつだわ。だけど、今はもうどこにも存在しない筈なの。
正本は術の発動とともに消えたわ。写本が2冊あったけれど、一冊は神々に忠実な若者によって廃棄されたし、もう一冊はあたしが灰にしたわ」
「君が?」
「そうよ。
でも、そのある筈のない『完璧な世界』の写本が、西端ベルリアーズ公国が滅ぼされた時に持ち出されたという噂を聞いたの。
ニムシェには、家の様子を見るためと、あなたに会うために来たのだけれど、ここに来る前に、西端ベルリアーズ公国からの亡命者がニムシェにいるらしいという話を聞いたわ。
これは偶然かしら」
「……」
「ラカン帝国は軍事力の増強を進めているのでしょう?
大ぼら吹きのボクちゃんなら、『完璧な世界』に目をつけても不思議ではないわ。魔術師であれば『完璧な世界』のことは必ず知っているし、あの子は魔術師としても優秀だから。
あの子に仕えている宦官たちだって優秀な子は多いわ。
そうね、何も本物である必要はないわね。
ラカン帝国が『完璧な世界』の写本を手に入れたと喧伝さえすれば--それらしい騒ぎを起こして--ブラフとしては十分だわ。
もしそうだとしたら、デール聖王国で『完璧な世界』の噂を広めているのもラカン帝国なのかも知れないわね」
「フラン」
「何かしら、ハーディ」
「君、ぜんぶ知ってて、ボクをからかっている訳じゃないよね?」
「あら。どういう意味かしら」
ハーディが視線を彷徨わせる。
「そうだね。--予想しておくべきだったな」
短い沈黙の後、独り言のように呟く。
「何を?」
「『完璧な世界』と聞けば、君が訪ねて来るかも知れないってことをだよ」
「どういうことかしら」
ハーディが手にしたグラスを揺らす。氷が鳴る。
「いま、ボクはちょっとした悪だくみに加担していてね。
もうコトは始まってしまっているけれど、このまま進めてもいいか、それとも止めるべきか、迷っているところだったんだ。
でも、君がいれば話は違う。
もし良ければ、ボクに手を貸してくれないかな」
空になったグラスを、フランがトンッとテーブルに置く。
「答えを聞くまでもないでしょう?」
身体的にはまだ13歳であるフランは、今の姿に相応しくない--つまり、とてもフランらしい--妖しく悪戯っぽい笑みを浮かべて、心底楽しそうに微笑んだ。




