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3-3(5000年の呪い。もしくは)

 まるで空を漂う蜘蛛の糸のようだった。その歌声は。今にも途切れそうな細い歌声を辿って、フランは彼に会った。

「歌を歌うには相応しくないところね」

 彼は歌うのをやめ、顔を上げてフランを見た。フランは魔術師のローブを纏い、赤い紅を塗った口元以外、フードを深く被って顔を隠していた。

「ボクの歌を気に入ってくれていたからね、彼が」

「もう十分だと思うわ」

 彼の膝にはひとりの兵士の姿があった。瞳を閉じ、笑みを浮かべ、すでに息をしてはいなかった。

 彼は視線を落し「ああ、そうだね」と応じた。ふたりの周囲には他にもいくつもの死体があった。

「どうして逃げなかったの?」

「彼らを残しては行けなかったからね」

「死にたいのかしら」

「いや、死にたくはないな。やりたいことがある」

「そう」

 フランが頷く。

「ひとつ約束してもらえるかしら」

「何かな?」

「あなたをここから味方のところまで帰してあげるわ。だから、もし、生き延びることが出来たら、あたしにもあなたの歌を聞かせて頂戴」


「お疲れ様」

「もしかして、魔術師殿か?」

「ええ」

「これは驚いた。

 こんなにきれいな方だったとは思わなかったな。

 何より、上官を手にかけて生きて出て来られるとは思わなかった。あなたが助けてくれたのだろうか?」

「あたしは、報せるべきところに報せただけよ。残念な中佐さんが、部下を見捨てて敵前逃亡したって。

 あなたはそれを正しただけだってね」

「それにしても、何故」

「約束したでしょう、あなたの歌を聞かせてくれるって」

 彼が楽しそうに笑う。

「それじゃあ、早速、約束を果たしに行こう。良い居酒屋が--ああ、申し訳ない、釈放されたばかりで持ち合わせがないな」

「自由になったお祝いにあたしが奢ってあげるわ。ところで、あなたの名前、教えて貰えないかしら」

「そうか。まだ名乗ってなかったね。

 ボクはハーディ・ハーディ7世、ハーディと呼んでくれ。

 君は?」

「あたしはフラン。もうひとつ名前があるけれど、あたしのことはフランと呼んで頂戴、ハーディ」


    ***


 フランが影から出たのは、”八葉の壁”に囲まれた内区にある、王宮に近い貴族の屋敷が並ぶ一角である。

 開いたままの門を潜るとフランはマントを落とすように幻を脱ぎ捨てた。偽の実体を形作っていた妖魔が淡く溶けて彼女の影に戻る。

 そのまま玄関まで進み扉の横のボタンを押す。

 遠くでベルの音が響き、ほどなく現れたのは、白い髪を首の後ろでひとつにまとめた細身の老女だった。老女はフランを見るとすぐに温かな笑みを浮かべ、「お久しぶりです。フラン様」と扉を大きく開いた。

「お久しぶりね、ロラン」

 フランも笑顔で答え、両手を差し出した。

 何も持っていなかった筈のフランの手に、いつの間にかハノ酒が握られている。

「あたしが留守にしている間、うちのこと見てくれていたんでしょう?ありがとう。ささやかだけど、これ、お礼よ」

「まぁ。ありがとうございます。お高かったでしょう?」

「うちを見てくれていたことに比べれば安いものだわ。ハーディはいる?」

「書斎にいらっしゃいますわ」

「ありがとう」

「何かお飲み物を用意しましょう」

 この屋敷に来るのは久しぶりだが、初めてではない。フランである。間取りを忘れる筈もなく、フランは屋敷の奥にある書斎に向かった。固く閉じた扉の前で「ハーディ、入るわよ」と声をかけるが返事はない。ただ、鼻歌が聞こえる。

 そっと扉を開く。

 書斎だ。しかし、雑多な物で溢れて足の踏み場もない。物置と言った方が相応しい有様だった。

 窓はフランが開いた扉から見て右側にひとつ。正確には、他の窓は厚いカーテンで閉ざされ、ぎっしりと本の詰まった書棚で塞がれている。怪しげな等身大の人形、同じく人の大きさほどもある盾、羽根飾りのついた槍、丸いランプ、植物の鉢植えもあり、あちらこちらに無数の書物がいまにも崩れ落ちそうなほど積み上げられている。

 ひとりの男が、部屋の最奥に据えた机に向かって何かを書きつけている。

 顔を上げ、何か考え、傍らに置いてあった小さな弦楽器を手にし、ポロンポロンと鳴らして再び机に向かう。

 フランは彼の作業が一段落するまで待つことにしてソファーに座った。ロランがフランの前にグレープフルーツジュースの入ったグラスを置いても、男は振り返ることなく鼻歌を歌い続けていた。

 気長に待つことにして室内を見るともなく見回していて、ふと、フランは壁に貼られた一枚の紙に気づいた。

 何か書いてある。

 男が長い息を吐いて顔を上げ、伸びをする。振り返り、フランを認めて「おや」と声を上げ、「久しぶりだね。フラン」と笑う。

 軍務の経験もある。50を越えたはずだが、細身で、よく引き締まった身体を維持している。ぼさぼさの髪を肩に落とし--昔から身なりには気を使わない人だった--さすがに夜着ではないものの、着ている服も皺だらけだ。身なりはよくないものの、口元には優しい笑みがあり、ほっそりとした顔にも何気ない仕草にも余裕と気品がある。

「久しぶりね。ハーディ」

「飲んでいるのは、グレープフルーツジュースかい?」

 フランが手にしたグラスを見て、ハーディと呼ばれた男が訊く。

「ええ」

「君らしくないね。ロランにビールかワインでも持ってきてもらおうか?」

「見ての通りあたしはまだ成人前よ。ハルナに叱られるわ」

 ハーディが苦笑する。

「君の場合、見た目だけではちょっと判らないけど、それなら仕方ないね」

「はい、これ。お土産よ」

 自分の影から妖魔が差し出したイルシャリ・ア王国の蒸留酒を、フランがテーブルに置く。

「ああ、いいね!君には悪いけれど、さっそく呑ませてもらっていいかな。えーと、グラスをロランに頼まないといけないな」

「もう用意済みよ」

 フランの示した先に、グラスと氷、水が置いてある。

「さすが、ロランだ」

「ねぇ、ハーディ。あなた、どうしてあたしだと判ったのかしら?」

「姿が違うのに?」

 水割りを作りながらハーディが訊く。

「ええ」

「君以外の誰かを、ボクの許しもなしにロランがここに入れるハズないからね。そうでなくても、ボクが君を見間違えるハズがないよ」

「ロランもかしら」

「ボクよりも君とは長いつき合いだ。そうだろうね」

「そう言われるのは初めてじゃないけれど、釈然としないわねぇ」

 ハーディがグラスを手に、フランの前に座る。

「今日は何をしに?」

「友だちの顔を見に来ただけよ」

「光栄だね」

「それと、何か新作がないかと思ってね。何かある?」

「もちろん。ああ、その前に」

 ハーディがグラスを掲げる。

「お帰り、フラン」

「ただいま」

「ボクの新作は、この5作だね」

 ハーディが数冊の薄い冊子をフランの前に置く。

「これは某国の後宮を舞台にした宦官同士の恋愛物だ。で、こちらは某国に嫁いだお姫様と宦官の恋をネタにしたもの。こちらは男装の令嬢が某国の宮廷に入って、王妃との禁断の恋の末に国を亡ぼす話。これは小国の貴族と平民の娘のすれ違いを描いた喜劇で、最後のこれは、侍女の女の子を悪気なく弄んだ貴族の顛末を描いた作品で、内容は深刻だけれど喜劇になるかな」

「最初の二冊は、ラカン帝国だと禁書どころか焚書になりそうな話ね」

「もし、ボクが作者だと知られたら、今度こそ首が飛ぶだろうね」

「いいわね」

「ボクが書いたモノ以外でも、何作かお薦めがあるよ」

 ハーディが更に何冊か冊子を置く。

「持ち帰ったらハルナさんに叱られるかも知れないけれどね」

「むかし、あたしがあの子のお尻をぶったのは、不良図書の持ち込みが理由よ」

「ハルナさんに気に入って貰えれば嬉しいよ。

 ああ、返却はいつでもいいよ。

 回覧するべきところには回覧してしまったし、うちに置いておくよりも安全だろうからね。

 君たちの屋敷でずっと読まれるのも悪くない」

「ウチで回し読みするだけじゃもったいないから、これ、シロレ劇場で上演してもいいかしら。

 お恥ずかしい話だけれど、シロレ劇場の支配人と芸術監督が殴り合いのケンカをしたらしくてね、芸術性の違いが原因で。でも、要はヒマだってことだから新しいネタを提供すればきっと収まるわ。

 例えば、コレなんかをね」

 フランがハーディの新作を掲げる。

「原作料はもらえる?」

「チケットの売り上げに応じた歩合制でどう?」

「売った」

「ありがとう、ハーディ」

「礼なんか要らないよ。むしろ礼を言うならボクの方かな。

 そうだ、礼代わりという訳ではないけれど、君に見て貰いたいものがあるんだ。いいかな」

「何かしら」

「何年か前にニムシェの外区で宦官が殺された事件があってね」

「ラカン帝国の?」

「そう」

「不可能だわ」

 ただ事実をフランが告げる。

「偶然、逃げている犯人を見つけてね。深手を負って、もう、虫の息だったけれど、仇を討ったって笑っていたよ」

 ハーディが部屋の隅に無造作に立てかけていた長剣を手にする。

「その時に、これを託されたんだ」

 装飾はほとんどない。両手持ちの武骨な剣だ。

 しかし、不思議な気品がある。

「--神剣ね」

 理解がフランの声に宿る。

「やはり」

「まだ人の世に残されていたのね」

「出来ればお返ししたい。これはどなたが下されたものだろう」

「返さなくてもいいと思うわ。もし返す必要があれば、わざわざ神殿まで持っていく必要はないわ。

 本来であれば、元の所有者が--、英雄が死んだ時点で天に返された筈だから。

 まだ世に残っているのは、神がそう望んでいるからよ。

 でも、そうね、その神剣を下された神は、厳密には今はもういないけど、--もし、その神剣を誰かが取りに来るとしたら、雷神よ」

「そうか。雷神様の剣か」

 納得したようにハーディが頷く。

「雷神の剣だから宦官を殺せた訳じゃないわ」

「どういうことだい?」

 フランが首を振る。

「推測するには材料が足りないわ。ただ、神剣だからというだけで破れる術じゃないわ、彼らに施している術は。

 仇を討ったと言ったのなら、相当強く思いを込めたのかも知れない。

 それに雷神が応えたのかも知れない。

 --そうね、やっぱり、推測するには材料が足りないわ」

 フランは口にしない。

 犯人が娘たちの力を持っていた可能性もある。

「あなたの手に渡ったのも神の意志よ。その神剣はこの部屋の隅に置いておくのが正しいわ。ハーディ」

「気がついたら消えているかも知れない、ということだね」

「ええ」

「この剣はどれぐらいの間、人の世を彷徨っていたんだろう」

「350年よ。

 あたしが最後に見たのは暴君と呼ばれた森人が腰に差していたところよ。それが350年前のこと。

 それからどれほどの人の手を経てここにあるのか、興味があるわね」

 ハーディが頷く。

「判った。これはここに置いておくことにするよ」そう言いながらハーディが神剣を部屋の隅に立てかけると、まるで歴史に埋もれるかのように神剣は存在感を失くした。「君に見て貰いたいものがもうひとつあってね」

 ハーディが書棚に向かう。

 魔術書らしき一冊の本を手に取る。

 フランはグラスをそっと置いた。

 見たことのない魔術書だ。だが、装填には作り手の特徴が出る。よく似た作りの魔術書を知っていた。

 自分の前に積まれていた薄い冊子を脇に避け、ハーディから受け取った魔術書をテーブルに置く。

 表紙に描かれた模様を指で追う。呪を呟く。

「去年、アレクシに行った時に露店で手に入れた物だよ。見た目は新しい。しかし、書いてある文字はボクが見たことのない文字だ。

 それで気になってね。

 君に調べて貰おうと思って買ったんだ」

 フランと向かい合って座ったハーディがグラスを手に取る。フランが表紙を開き、ハーディは手を止め、身構えた。

 何が起こるかと。

 もし開いた魔術書から巨竜が飛び出して屋敷を粉砕したとしてもハーディは驚かなかっただろう。

 しかし何も起こらない。

「驚いたわ」

 と、フランが笑う。

 ハーディはイルシャリ・ア酒を舌に乗せた。

「驚いたと言うより、楽しんでいるように見えるよ。フラン」

「そうね。楽しい驚きだわ」

 フランがゆっくりページをめくる。

「これは、ホウンガンが記した魔術書よ」

「君と同じデアの4大魔導士の?」

「そうだけど、そうじゃないわ。デアの4大魔導士に数えられているのは、岩のホウンガン、ゴーレムの方。

 この魔術書を記したのは創造主の方。

 あたしの知る中で最高のゴーレムの造り手よ」

「君よりも?」

「あなたも知っているでしょう?技術というのは、知識があるだけではダメだわ。同じ材料、同じ手順を踏んでも彼が創造したほどのゴーレムは造れないわ。ううん、彼に教えて貰って何度も試してはみたけれど、ダメだったわ。

 信じられる?

 彼が創ったごつごつクンは皮肉屋で、冗談まで言うのよ」

「ごつごつくんって、デアの4大魔導士に数えられている方のホウンガン魔術師のことかい?」

 フランが頷く。

「魔術師としての実力はごつごつクンの方がはるかに上よ。彼--この魔術書を記した方のホウンガンは、ゴーレム造り以外の魔術の腕は人並みだったわ。

 この魔術書に記されているのは、とても価値があるものだけれど、驚く程の内容ではないわ。

 あたしが驚いたのはね、この魔術書そのものよ。この魔術書が作られたのは5000年も前のことよ」

「そうは思えないな」

「時の流れに逆らうように、術を施してあるわ。おそらく術を施したのはごつごつクンの方ね。

 彼にこんな腕はないもの。

 でもそれも、驚くことではないわ。あたしが驚いたのは、この魔術書がここに、あたしの前にあることよ。

 ホウンガンが呪いをかけてる」

「呪い?術じゃなくて?」

「ええ」

 フランが魔術書の最初のページを開く。指さす。

「これが呪いよ」

 ハーディがフランの指先を追う。

「何と書いてあるんだろう」

「あなたが読めなくても無理はないわ。

 いまはもう使われていない、いえ、5000年前でさえ知っている人がほとんどいなかった文字と言葉だから。

 こう書いてある」

 フランがいちど唇を閉じる。大事に包み込むように読む。


「--君の人生に、ささやかな彩りを--」


 姿を見た訳ではない。何かを感じた訳でもない。自分のとりとめのない想像だとハーディは判っている。

 ソファーに座るフランの傍らに、魔術師が立っている。

「つまり、君を驚かそうとしたということか」

「ええ」

「5000年もの時間をかけて」

「こんな気の利いたことをする人じゃなかったわ。もしかすると、ごつごつクンの入れ知恵かも知れないわね」

「良ければ、どんな人だったか教えて貰えるかな」

「あたしのタイプじゃなかったわね」

 ハーディがイメージを修正する。

 フランのタイプではなかったということは、武人ではない。

 むしろひょろりとした文官の方が近いか。

 背は高い。魔術師の黒いローブは、当然纏っているだろう。髪は長くくせがなく、邪魔にならないよう背中でひとつに纏めて落している--。

「いつも曖昧な笑みを浮かべて、頼りなくて、魔術師としての技量も大したことはないと思ったわ。最初は。

 でも、工房にいる彼は、いつもの彼とは別人だったわ」

 ハーディがもう少しイメージを修正する。魔術師というより、職人タイプだ。頼りないということは、やはりひょろりとしているか。

 魔術師のローブは似合わない人だ。

 ふむ。

 確かにフランの好きなタイプとはまったく違う。

「それで恋した」

「年甲斐もなくね」

「会ってみたかったね、彼に」

 きっといい友だちになれただろう。

「人づき合いの下手な人だったから、どう接したらいいか困った筈よ。ゴーレム造り以外、興味のない人だったから」

 温かく、口の端だけで、ハーディが笑う。

「ボクも呪いに捕まったってことかな」

「多分ね」

「その魔術書は君に進呈するよ。ああ、この言い方は正しくないね。それは元々、君の物なのだから」

 フランが顔を上げる。今の姿に相応しい--つまり、フランらしくない--少女のような笑みを浮かべる。

「ありがとう、ハーディ」

「君に喜んで貰えて良かったよ」

 そう笑ってハーディは、光を透かして複雑に色を変えるイルシャリ・ア酒を喉に落とした。

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