ふたりでfu●kin
男の子が女の子とふたりきりの部室でfu●kinするお話です。
マインドスポーツという言葉がある。
通常のスポーツが、身体能力を競うものと定義するなら、マインドスポーツは思考、もしくは知性そのものを競いあうスポーツということになる。
代表的な種目は将棋、囲碁、チェス等の、いわゆる二人零和有限確定完全情報ゲーム。もしくは、運の要素がからむにしても戦略性が重要になってくる、バックギャモンや麻雀のようなゲームである。
チェスが盛んなヨーロッパでは広く認知された概念だそうだが、日本ではこのマインドスポーツ、頭脳スポーツという単語は、あまりなじみがない。とはいえ、まったく知られていないわけでもなく、わが校にはマインドスポーツ部という名称の部活動が存在し、おもに将棋とチェスの練習をしている。
ちなみに、将棋にしてもチェスにしても、残念ながらわがマインドスポーツ部はそんなに強いほうではない。どちらかといえば、かなり弱いほうだったりする。
というのも、校風自体がそれほど部活に熱心ではなく、在籍者はせいぜいのところ、部長が中学のころから趣味ていどにやっていたぐらいで、俺をふくめほかは全員高校に入ってからはじめたものばかり。しかも、欠席率もかなり高いという体たらくなのだ。
正直なところ、部費と部室がもらえているのがふしぎなほどであり、部員のなかでは女子でありながら最強である部長氏が引退してしまえば、部の存続すらも危ぶまれかねないところのある零細部活動なのだった。
さて、身体を使うスポーツにおいても、頭脳が重要な役割をしめすのと同様、マインドスポーツにも肉体、体力は非常に大切な要素になる。たとえば将棋のトッププロのタイトル戦になると、一回の対局で体重が二、三キロも落ちるのだとか。それほどでなくても、脳が人体のなかでとくにエネルギーを消費する臓器であることは論をまたないだろう。
そこでわが部には、見るからに文化系の部活動でありながら、部員は体力を維持するための運動をしなければならないというルールが存在している。
具体的なメニューをいうと、部活開始直後にする五十×三セットの各種筋トレ、トラック五周のランニング。そして――。
「ふふん、これで腹筋二百回ね」
赤い唇を嘲笑の形にゆがめて、部長が言った。
対局に負けたら、罰ゲームとして下校まえに(負け数-勝ち数)×二十回の腹筋というルール。通常は勝ったり負けたりを繰り返すので、どんなに多くても六十回ぐらいにおさまるのが関の山なのに、今日は部員が俺と部長のふたりしか出席しておらず、必然的にずっとその組み合わせで対局をせざるをえなかったため、一勝すらできずの十連敗を喫してしまったのだった。
「なあ、部長さ。半分ぐらいに負けてもらえないかな」
「ダーメ。負けたあなたが悪いの。さあ、キリキリ横になる!」
部長は対戦者が俺しかいないとわかった時点で、体操服ではなく制服に着替えていた。彼女は最初から、自分が罰ゲームを受けるとは夢にも考えていなかったのだ。実力差を鑑みるとまったく妥当な判断ながら、それが忌々しくて、熱くなってしまっての連敗だった。
「ああもう、わかったよ」
たかが二百回ぐらいなんだ。俺は部活への出席率はよいほうで、つまりほぼ毎日、基本と罰ゲームあわせて数十から百ちかい回数の腹筋をこなしているのだ。
部室の奥、筋トレのために用意されたスペースに、俺は横たわった。マットが敷いてあるので、背中は痛くない。しいていうなら脳の出来の違いを見せつけられて、プライドが痛かった。
視界のすみで、女ものの上履きが動いている。首をまわしてそちらを見やると、部長がマットのすぐわきにパイプ椅子をもってきて、悪の女幹部よろしく、華麗に脚を組みつつ腰をおろしているところだった。
「ほぉら、なにをしているの。ちゃんと見ていてあげるから、はじめちゃっていいのよ」
相手は部長だ。しかも、逆立ちしても俺のかなわない棋力の持ち主でもある。それでも、このあからさまにひとを見下す態度にはカチンときた。
「見ているのはいいんだけどさ、部長」
俺はつとめて不敵な感じの表情をつくって言った。
「そんな場所でかっこつけてポーズをとってるから、水色の縞々がまる見えだぜ」
即座に、部長が立ち上がった。
「口の減らない男ね。負け犬のくせに」
顔面が、あざやかに紅潮している。にきびなどのないつるりとした額にも、郵便記号のような皺がよっていた。彼女は盤外戦こそ通用しないものの、案外と怒りっぽいところがあるのだ。挑発に乗りやすいため、腹いせをするのは簡単だった。
ただし、今回は少々、俺の分が悪かったようである。
「そっかぁ、二百回ぐらいでは物足りないってわけね」
いきなり、部長がそんなことをいって、部室のすみに移動した。そうして備え付けの本棚から、ゲームの解説書を十冊ばかり抱えてもどってきた。
「おなかのうえに、これを乗せるといいわ。あなただったらちょうどいい負荷でしょう?」
もはや、売り言葉に買い言葉である。
「本ぐらい、軽いかるい」
ひきつりそうになる顔を、俺は懸命にこらえてやり返した。
「なんなら部長がうえに乗っかってもいいんだぜ。重量的にも申し分ないだろ」
「……あなた、言ったわね?」
漫画で表現するなら、ビキリと額に血管が浮き出しそうな表情をうかべ、部長はまさか、ほんとうに俺に馬乗りになってきた。
「お、おい? 部長、いまのはさすがに冗談」
「あたしの体重は五十三キロよ」
傲然と見おろしながら、部長が言った。あれ、けっこう背が高いけどそんなものなのか。見た目よりずっと軽かったんだな。
「もちろん、本気で全体重をかけたりはしないから、安心するといいわ。マウントポジションってやつ。この」
ぺちぺちと、部長が自身の白い太ももを叩いた。
「脚をつかって重さを調整してあげる。見ているだけじゃあたしも運動にならないものね」
悪魔のような笑みである。人間とはこれほど邪悪な表情を浮かべられるものなのか。
「さっきまでは、なんだかんだで百回ぐらいやったらうやむやにしてあげようかとも思っていたけど、女の子の体重をどうこういうやつに情けは無用よ。きっちり二百回、たっぷり汗を絞りとってあげるから覚悟なさい」
「けっ。だったら部長も、途中で振り落とされ、ぐふっ」
しゃべっているあいだに腹に臀部を落とされて、一瞬息が詰まった。もっとも、相手のいうとおり、全体重はかけられていないようである。
こういうことを言ってはいけないのだろうが、とてもやわらかい。むにゅんという擬音がよくにあう感触だった。
「おほん。……じゃ、じゃあ、はじめるからな」
さっそく、俺は腹筋を開始した。
「いーち」
「まって、まだ動かないで」
いったい、なんだってんだ。
いぶかしむ俺を尻目に、すっと、部長が手をかざした。
「頭をここまで持ってきなさい。額に掌がふれなかったらノーカンね」
いや、そこってかなり位置が高くないか。胸どころか肩の高さに近いぞ。
「あーら、やっぱり無理なのかしら。将棋もチェスもからっきし弱いし、運動もダメ。しょせんあなたは口だけのドザコってこと」
こいつ、むかつく。俺を舐めたことを後悔させてやる!
勢いをつけて、俺は腹筋を再開した。
ただの腹筋ではない。上体にひねりを加え、部長が安定できないようにしたのだ。マジで、途中で振り落としてやる。そう思い、俺は激しく体を動かした。
しかし……。
「そりゃ、うりゃ、けいっ」
「あはは、なにそれ。動きがキモいわよ。そんなので最後までもつの?」
意外にも、部長は俺の暴れ馬のような動きを、完璧に乗りこなしていた。巧みに尻を上下させ、腰が浮いているときには太ももを締めつける。しかも、本人の宣言どおり、体重をかけすぎてもいない。
くそ、こいつ、うえに乗るのがうますぎだ。このままでは、俺のほうがすぐにバテてしまう。
途中で動けなくなったら、ますますこの女に馬鹿にされること請け合いである。俺はやむなく、普通の腹筋の動きに切り替えることにした。
「えー、面白い動きをするのはやめたのぉ? つまんなぁーい」
甘ったるく鼻にかかった、過剰なまでに女子高生じみたイントネーションのしゃべりかただった。明らかに、俺を愚弄するための口調の変化である。
おのれ、目にものみせてやる。俺は腹筋のピッチをあげることにした。こうすれば、早く回数を稼ぐことができるうえに、反動を利用して、部長を縦に揺さぶることもできる。こちらにとってはひねりを加えた動きほどの負荷はなく、相手にとってはそこまで乗りこなしやすくはならないはずだ。
ところが、部長はその動きにすら、膝を起点に腰を前後にふることで、やすやすとついてきた。
「息があがってるわよ、あなた」
カウント用に差し出した手とは反対のほうの手で、部長が口元をかくしている。見えなくても、ニヤニヤと笑っているのはよくわかった。まだまだ、こんなものじゃないぞ。そう思ういっぽうで、俺の腹筋にはじわじわと疲労物質、おっぱいがすっぱいと書いて乳酸が溜まっていく。
「ひゃく……さんじゅう……いち」
「百三十、百二十九、百二十八」
こ、こら、数字をごまかそうとするんじゃない!
口にだしてツッコミをいれる余裕もなく、俺は顔をしかめて必死に腹筋をつづけた。もはや当初の速度はない。それでも体を起こして、部長の掌に額を打ちつけていく。
「目、つぶっちゃだめ」
なぜか、額にぴしゃりとデコピンをくらった。
「ちゃんと目をあけて、あたしの顔を見ながらするの。じゃないとせっかくの腹筋の効果がないでしょ」
いって、彼女は掌をさらに十センチほども高い位置に移動させた。
「罰として、ここまで頭をあげなさい。……うふふ、なぁに、そんな顔して。まあ、そろそろ百五十回だし、いまなら土下座して謝罪すれば、勘弁してあげてもいいわよ」
勝ち誇ったようなその表情に、一瞬、俺の心は折れかけた。
もう、百五十回。まだ、百五十回。残り四分の一が多いのか少ないのか、俺には判断がつかなくなってきている。
しょせん、ただの罰ゲームである。辛い思いをして最後までやらなくても、相手のいうままに膝をつき、許しを乞うて終わらせてしまえば、そのほうが楽なのではないか。
すんでのところで、俺がその誘惑に屈服しなかったのは、しっかり目をあけて、彼女の顔をまじまじと見直したからだった。
(汗だくじゃないか、部長)
たしかに俺は、ここまで百五十回もの腹筋をやってきて、疲労困憊している。だが、彼女とてそのあいだずっと、俺の腹のうえで腰を動かし、太ももを締めてきたのだ。疲れていないはずがない。
おまけに、部長は部員中最強の存在であるため、すくなくとも負けた罰ゲームの筋トレはやったことがないのだ。積み重ねから考えても、体力は俺のほうがずっとうえであるはずだった。
「生意気いってごめんなさいっていえば、あたしだって鬼じゃ……ひゃ?」
猛然と、俺は腹筋を再開した。ほとんど頭突きをするように、激しく彼女の掌に額を叩きつける。
「うそ、こんなところまで届くなんて」
ひるんだような、部長の声が聞こえる。彼女の顔。勢いに圧倒されてか、怯えを含んだまなざしを泳がせていた。
振り絞れ。勝負に負けて、罰ゲームまで挫折してたまるか。百六十、百七十、百八十。俺は自分が人間ではなく、一頭のけものとなった気持ちで、野生の力を解放した。
「やぁ、はげしっ」
ついに、部長の太ももに限界が来たらしい。彼女は俺の腹にぺたりと腰をおろした。相手の全体重がそこにかかってきた。
「あっ……ご、ごめん」
高飛車な部長らしからぬ、気弱な謝罪だった。彼女は即座に態勢をととのえて、ふたたび腰をあげた。すでに俺の腹筋はバキバキに固まっているので、内臓に衝撃が伝わる辛さはない。だが、そのほんのわずかな時間にかけられた重量は、溜まりにたまった疲労感の限界を突破させるのに充分なものだった。
「くっ……お、俺、もう」
目のはしに、涙がにじんできた。こういうのが生理的な涙というのだろうと、なんとなく俺は思った。
「だ、ダメ。あとちょっと、あとちょっとでいくの、二百回に」
懇願するような声。どこか遠くから聞こえたような現実感のない響きに、それでも俺は、ほとんどうめき声のような雄叫びをあげて、ラストスパートをかけた。
「ろく……なな……はち……きゅう……おらぁ、二百ぅ!」
「きゃあっ、落ちちゃうっ?」
突然、部長の太ももが俺の脇腹に食いこんできた。
「ば、ばか、そんな締めつけ……ううっ」
かつて経験したことのない強烈な感覚が、腹の奥から湧き上がってくる。腹筋が、攣ったのである。筋繊維がねじられるような痛みに耐えかね、思わず俺は、倒れこんできたやわらかな物体にしがみついていた。
びくん、びくん。体をふるわせて、痛みに耐える。数十秒もそうしていただろうか。俺はようやく、いくらかの冷静さを取り戻しはじめた。
いま、俺がしがみついているもの。マシュマロのようにやわらかく、柑橘系の制汗剤の匂いに、ほのかにべつのなにかが入り混じった甘い香りがする。
はあはあという、弾んだ吐息の音も聞こえてきた。視線をよこにずらすと、信じられないほど赤く染まったちいさな耳が見えた。
ごくりと、俺はつばを飲みこんだ。部長って、こんな場所にほくろがあったのか。そんなどうでもいいことに意識をとらえられかけ、しかしすぐに気がついて、やっとのことで相手に巻きつけていた自分の腕をはなした。
彼女が体を起こしたのは、俺がいましめを解いてから、たっぷり十回の呼吸を数えてからだった。
「あの、部長?」
「う、うん……」
うつむきがちに、部長がマットのうえで女の子座りをしている。彼女はどこか呆然としているようだった。
つづいて、俺も両肘をついて体を起こした。
「ええと……なんつーかさ、ほら。腹がぱんぱんになっちゃったよ」
ヘソのあたりをさすりながら、俺がそんなことをいうと、部長が恥ずかしそうに笑った。
「いっぱい出ちゃったね、汗」
指摘を受けるまでもなく、服がびしょびしょである。もっとも、俺のほうは体操服なので問題はすくない。むしろ、制服を着けている部長のほうが大変なのではという気がした。
かあかあと、カラスの鳴き声がする。すでに外は日が暮れつつあった。
「そろそろ、帰ろうか」
どちらからともなく、ふたりいっしょにということになった。
だべりながらの帰りの道すがら、俺たちはふと、路傍のたい焼き屋のまえで足をとめた。
「食ってこうぜ、部長。運動のしすぎで腹が減ったんだ」
とくに理由があるわけでもない。それなのに、俺はなぜか、そうしなければならない、そうするべきだという気分になり、彼女にたい焼きを奢ることを提案した。
「ありがとう」
ふだんよりもいくぶんしおらしくお礼を述べた部長を見て、俺は自分でもふしぎなほど素直に――もっと彼女がよろこぶことをしてやりたい、と思ったのだった。




