第07話 サングリア西門
「はっ!」
ギリーは鐙に体重を乗せて腰を浮かせ、リズミカルに躍動するセルテウスの馬体に身を委ねた。
平坦だがあちこちに大きな亀裂が走り、その縁が断崖となっているラフェイヌ平原は、草原が亀裂を巧みに隠しており、道を誤れば断崖の下へ真っ逆さまに落ちてしまう難所である。
サングリアへ向かう道は簡単ではない。
いくつもの台地が折り重なるように連なるラフェイヌ平原は、台地によっては上の段差へ至る坂まで、ぐるりと遠回りしながら登っていかなければならない。
それでも、人馬や馬車が通って踏み固められた街道に沿って、セルテウスは軽快に台地を駆け上がっていく。
(この台地で最後だ、頑張れ)
朝のひんやりとした空気を裂きながら、セルテウスはラフェイヌ平原の台地を駆け抜けた。
目の前の街道の先には、サングリア教国へつながる深い森が広がっていた。
「よーしよし、どうどう」
ギリーは手綱を引き、セルテウスを制した。
早駆けに近かった馬脚は、ゆっくりと速度を落とす。
セルテウスの蹄が奏でていた軽快なリズムはゆったりとしたワルツのようなテンポとなり、薄暗い森の中へゆっくりと吸い込まれていった。
(少し進んだところに森の守衛所があったはず)
薄暗い森の中に続く街道の先に、松明のゆらぐ明るい点が見える。
サングリア教国を護るように広がる深い森の中に、ひっそりと佇む守衛所。
かつて獣人侵攻の折には戦の最前線基地となった場所。
ギリーがグリムと最後に別れた場所でもある。
(あれから3年か)
守衛所の門で、手を振る騎士の姿が、グリムと被る。
あのとき預かった荷は、まだ背嚢の中で届けられずにいる。
「とまーれー!用件を検める!」
守衛所の門兵が片手を上げてギリーに手を振り、声を張り上げた。
ギリーは一旦セルテウスの鞍から降りて、手綱を引いて兵士の前まで進むと、セルテウスの額革に付けられたバストリア国の国章を門兵に見せた。
「運び屋のギリーと申します。バストリアのカイン兵長より、国使としてグライベル伯爵へ至急の報せを届けに参りました」
「グライベル伯爵!」
門兵は驚いたように声を上げた。
「ご存知か。この先西門と東門、どちらへ伺えばよいか」
「西門へ向かわれよ。すまないが城門の門兵へ再度グライベル伯爵への取次を要請されると良いだろう」
「西門だな。かたじけない」
「気をつけて参られよ!」
彼は道を塞いでいた簡易型のバリケードをどけた。
ギリーは門兵へ一礼すると、セルテウスへ再び跨り、門を越えた。
——「じゃあな、ギリアム、頼んだぞ」
門の前でグリムが淋しげに笑った。
「ああ、さっさと届けて、ユーノの酒場でゆっくりさせてもらうわ」
ギリーは笑ってそう答えるとグリムが差し出した右手を強く握り返した。
それが最後になるとは、その時は微塵も思っていなかった——
(グリム⋯)
静かに進むセルテウスの背の上で、ふと昔のことを思い出した。
(だからサングリアへはあまり来たくないんだよ⋯)
ギリーは眉間に皺を寄せながら、森の西側、樹木の間から見える小高い剥げ山を見上げた。
(あの戦がなきゃぁ、今頃は⋯)
ギリーは首を振り、余計な事を考えるのを止めた。
セルテウスは、小さくぶるる、と首を上下に振った。
前を向き直したギリーの目に、西門を照らす篝火と、連なる巨大な城壁が木々の向こうから見えてきた。
急ぎの旅が、もうすぐ終わる。
「もう少しだ。着いたらたっぷり食わせてやるからな」
ギリーはセルテウスのたてがみを撫でた。
セルテウスもまもなくの到着を察したのか、歩調がタタン、タタンとステップを踏むように変わった。
——「とまーれー!下馬のうえー、ゆっくりとー、参られよー!」
門兵が片手でギリーたちを制止し、大仰に声を上げた。
ギリーはセルテウスから降りると、手綱を引いてゆっくりと門兵の前まで進む。
「長旅ご苦労であった。失礼ながら姓名と用件を述べられたし!」
ギリーは一礼し、セルテウスの額革の国章を門兵に見せた。
「運び屋のギリーと申します。バストリアより国使としてグライベル伯爵へ至急の報せを届けに参上しました。急ぎお取次ぎをお願いしたい」
「グライベル家⋯紹介状などの書状はお持ちか」
「いえ、火急の件につき、書状はございませぬ。しかしながら伯爵家へ『ご令嬢の件で』とお伝えのうえ、お取次ぎをお願いしたい」
「ご令嬢の件、だな。承った。しばし中庭でお待ちいただけるだろうか」
「かたじけない。出来れば馬を休ませたいのですが」
「よろしい、中庭に軍馬用の厩舎もある。そこで休ませたまえ、案内いたす」
門兵に従い、城門を越えた先の中庭に案内された。
中庭といえば聞こえはいいが、実際は番兵の待機所であり、待機中の兵士と軍馬でごった返していた。
(この空気⋯懐かしいが好きにはなれんな)
ギリーは城壁によりかかり休息している兵士たちを見て昔を思い出したが、兵士や軍馬たち、踏み荒らされた真っ黒い中庭の土から放たれる独特の匂いに顔をしかめた。
門兵は彼らの前をそのまま通り過ぎると、街区画に面した静かな一角へ二人を通した。
足元は石畳が敷き詰められ、きれいに整備された厩舎と屋根付きの詰所が置かれていた。
「火急の旅、ご苦労でしたな。こちらは上級士官の待機所となります。お取次ぎに少々時間がかかります故、こちらでお待ち頂きたい。軍馬はこちらの厩舎でお預かりいたす」
門兵はギリーに一礼すると、厩舎に控えていた厩務員に声をかけ、出ていった。
厩務員の少年はギリーに駆け寄ってくると、恭しく一礼した。
「すまないが、腹を空かせていると思う。これで上等な飼葉をたっぷり食べさせてやってくれ」
ギリーは銀貨を1枚、懐から取り出して少年に手渡した。
「こんなに!?⋯かしこまりました。丁重に扱わせていただきます」
少年は手渡された銀貨に驚きながら手綱を受け取ると、セルテウスを丁重に厩舎へ引き入れた。
ギリーは背嚢を一旦下ろして詰所のベンチに座り、背嚢を抱きかかえた。
(腹減ったなぁ⋯)
ちらりと厩舎の方を見ると、先ほどの少年がせっせとセルテウスの世話をしている。
餌場に飼葉を入れ、水桶を満たし、セルテウスの馬体にやさしくブラシをかけている。
(よかったな。上官どの)
ギリーは視線を城壁の上の方へ向けた。
縦に並ぶ小窓が3つ・・・3階建ての城壁の上は物見櫓とその通路。
高い城壁の上では、巡回の兵士がゆっくりと歩いている。
空は青く、太陽はすっかり天頂高くに位置している。
(もう昼か⋯俺も何か喰いたいが⋯)
ギリーは腰の水袋を取り出すと、両手で掲げてゴクゴクと喉を鳴らした。
とりあえず水で満たそうという意図だろう。
セルテウスは上機嫌で飼葉の詰まった餌場に顔を突っ込んでいる。
(くそっ⋯)
思わず舌打ちが漏れた。
「ギリー殿!」
先ほどの門兵が一般兵の待機所の方から声をかけてきた。
ギリーは立ち上がり、背嚢を背負い直すと、門兵の方へ向かう。
「グライベル伯爵家へ伝令を向かわせましたが、使用人によると、伯爵はサングリア城で軍議に出席中とのことです。お戻りは夕刻になるそうですが⋯」
「左様ですか。では、それまで待たせて頂いてもよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんが⋯」
「できれば、南の市場で食事や物資の調達もしたいのだが」
「ええ、もちろんです。ご案内しましょうか?」
「ああ、頼みます」
(やっと飯にありつけそうだ)
ギリーはちらりと厩舎のセルテウスを見た。
セルテウスはぶるると鼻を鳴らし、首を大きく縦に振った。
(俺も腹ごしらえだ)
ギリーはセルテウスに軽く手を上げた。




