第08話 訃報
(ああ⋯生き返る⋯)
昼を過ぎて閑散としてきた食堂の隅で、ギリーは実に2日ぶりのまともな食事にありついた。
テーブルには、食べかけの郷土料理『サングリア風オムレツ』と『キノコシチュー』、白パンが並んでいる。
「お兄さん、ほんとにワインはいらないのかい?」
給仕の女性が持ってきた鉄製の水差しをギリーの前にドン、と置く。
「ああ、呑みたいがこの後も仕事なんでな」
ギリーは水差しを掴んで鉄製のコップに水をなみなみと注ぎ、ゆっくりとあおって口の中のものを喉の奥へ流し込んだ。
「しかし、いい食べっぷりだね。パンのお代わり、持ってこようか?」
給仕は感心しながら残りひとつになった白パンを指差した。
「ああ、頼む。こんな美味いパンも久しぶりだ」
「あいよ」
給仕の女性は笑いながら厨房の奥へ消えていった。
ギリーは最後のパンを掴んで半分に割ると、片方をシチューの中へたっぷりと浸した。
ふわりと軽いパンが、シチューのスープを吸って重くなる。
そこにオムレツをフォークで掬い、口の中へ運ぶ。
卵のとろりとした濃厚な滋味のあとに、細かく刻まれたタマネギと肉に効かせたピリッとした香辛料が、いいアクセントとなって口の中でとろけていく。
そこにスープを吸って重くなった白パンを放り込むと、きのこの風味が加わった濃厚なシチューの旨味が口の中いっぱいに広がる。
噛めば噛むほど甘みと旨味が混ざり合い、飲み込んで胃の中に収まると、身も心も満たされていく。
「パンお待ち。夜は肉料理を出すよ、良かったらまたおいでよ」
「ああ、ぜひまた寄らせてもらうよ」
ギリーは口を動かしながら、給仕へ笑顔を見せた。
* * *
食事を終えたギリーは、市場の通りに出て復路用の物資を調達した。
乾燥パン、干し肉、ワインひと瓶、火口などの着火材の買い増しと薪ひと束、飼葉と特産のニンジンひと束を買い込み、両手いっぱいの荷物を抱えて士官用待機所まで戻ってくると、セルテウスが休んでいる厩舎へ向かった。
セルテウスはたらふく食べたせいか、馬房の中で横になっていた。
しっかりブラシをかけてもらい、世話してもらったせいか、馬体の色艶もよく、ギリーの姿を見ても敷き詰められた寝藁の上に横になったまま、首だけをギリーに向けている。
(ゆっくり休んでくれ、上官どの)
ギリーはセルテウスの邪魔にならないよう、馬房の外に買い込んだ荷をまとめると、その横に腰掛けた。
「おお、こちらにおいででしたか、ギリー殿」
門兵が馬房の外からギリーを見つけ、声をかけてきた。
「グライベル家の使用人が参りました。こちらへ」
(やれやれ、やっとか⋯)
ギリーは腰を上げた。
門兵は身なりの整った使用人を連れていたが、使用人はギリーの姿を見るなり顔をしかめた。
ギリーはゆっくりと門兵と使用人へ歩み寄り、一礼した。
「バストリア国より伝令を仰せつかったギリーと申します」
「グライベル家使用人のクラウスと申します。では、ご案内いたします」
——クラウスと名乗った使用人の後に続き、待機所を出ると馬車が待ち構えていた。
馬車には、見覚えのある鳥の紋章が刻まれていた。
「では、こちらに」
馬車のキャビンの扉を開け、ギリーは中に通された。
(まぁ⋯こんな汚い身なりの男を乗せるとは思ってなかったんだろうな⋯)
使用人が見せたしかめ面の理由はこれか、とギリーはキャビンの中で苦笑いした。
クラウスはギリーに一礼した後、キャビンの扉を閉めて御者台に上がり、隣に座る御者に出発を告げた。
* * *
——馬車に揺られて半時ほどで、グライベル伯爵邸に到着したギリーは、使用人のクラウスに促され、瀟洒な洋館の奥へと通された。
両開きの扉の先では、奥へと続く臙脂色の絨毯が敷かれ、その両脇に一定間隔で椅子が設置されている。絨毯の先、最奥には控えめながら威厳のある大きな椅子が置かれ、その背後に家紋である両羽を広げた鳥の紋章が刺繍されたタペストリーが掛かっていた。
「ギリー様、閣下へのお届け物があるようでしたら、いまのうちに承ります」
ギリーの傍に立つクラウスが、静かに呟いた。
「かしこまりました」
ギリーは背嚢を下ろし、厳重に封をした革袋を取り出した。
口紐を解いて、中から木綿の布に包まれた『包み』を取り出すと、両手で捧げ持ち、クラウスへ手渡した。
「こちらが⋯」
クラウスも両手で受け取った包みの手触りから察したのか、顔を曇らせて俯いた。
「しばらくお待ちください。閣下と奥様が参られます」
クラウスはギリーへ一礼すると部屋の奥へと進み、奥の扉の向こうへ消えていった。
ギリーは背嚢を下ろしたまま、その場で片膝をつき、頭を深く下げて伯爵夫妻の入室を待った。
数分後、クラウスが恭しく包みを載せた盆を捧げ持ちながら、奥の扉から入室すると、次いで軍服姿のグライベル伯爵とその夫人が現れ、ギリーの前の椅子へ静かに座った。
「待たせてしまってすまなかったな。グライベルだ」
伯爵が静かに口を開くと、次いでクラウスが抑揚のない声で告げた。
「ギリー殿、閣下へ報告をお願いいたします」
ギリーは跪いて頭を下げたまま、口を開いた。
「バストリア城門、衛兵詰所からの伝令の任を承った、運び屋のギリーと申します。伯爵閣下へ極めて重き報せを届けにまいりました」
「イザベルの件だな⋯」
「左様にございます」
「⋯聞こう」
「コンスタンツ高地からバストリアへつながる丘陵付近にて、盗賊の襲撃に遭ったと思しき馬車が発見されました。馬車には、グライベル家のものと思われる鳥の紋章が刻まれており、付近にて男女の亡骸が発見されました」
「男性は御者と思われる者1名。女性は赤い髪の若いご令嬢と推察され、馬車の紋章から閣下ゆかりの方ではと、急ぎ馳せ参じた次第でございます」
「赤い髪か」
「ご確認いただくため、亡骸より御髪を一房頂戴し、お届けに上がりました」
伯爵の傍に控えていたクラウスが、盆に載せた木綿の包みを伯爵の御前に差し出すと、伯爵はゆっくりと包みを開いた。
伯爵は眉ひとつ動かさず、包みの中の遺髪を見下ろしていたが、横に座っていた夫人は包みの中の遺髪を見て泣き崩れた。
「ああ⋯イザベル⋯なんてこと⋯」
泣き崩れる夫人の肩を抱きかかえながら、伯爵はただ静かに首を振った。
まるで、こうなることを予測していたかのように、ただただ首を振り続けていた。
「ギリーとやら、面を上げよ」
「はっ」
ギリーはゆっくりと顔を上げた。
伯爵はギリーの姿を見据え、静かに口を開いた。
「まずは急ぎ報せを届けてくれた事に感謝いたす。ご苦労であったな」
「ありがたき御言葉」
「汝、運び屋と言ったな。なぜ騎士の儀礼に通じておる」
「⋯以前、ゲルス砦の戦にて、とある家の従者として務めておりました」
「ほう?どこの家の者か」
「レックス家にございます」
「レックス家⋯そうか⋯すまない、つらい事を思い出させたかな」
「いえ⋯」
「娘は⋯イザベルの最期はどうであったろうか」
——ギリーの脳裏に、身ぐるみ剥がされた女性の亡骸の姿が浮かんだ⋯
「お顔は安らかでございました。貴族に恥じぬ、立派な最期であったと存じます」
「すまなかったな⋯感謝する。バストリア国へも改めて感謝を伝えるとしよう」
——こうして、ギリーの仕事がひとつ、終わった。
邸宅を出るとき、送りの馬車に乗るギリーに使用人のクラウスが改まって頭を下げた。
「人は見掛けによりませんな、ギリー殿。お迎えの折、失礼な態度をとってしまい申し訳ございませんでした」
「いえ、お気になさらず」
ギリーは小さく一礼し、馬車のキャビンに乗り込んだ。




