第06話 ラフェイヌ平原
(馬を潰すなっていってもなぁ)
辺りはすっかり宵闇に包まれ始めている。
コンスタンツ高地のくねった下り坂を早足で駆け下り、砂丘まで辿り着いたギリーは馬の脚を緩めた。
二手にわかれた街道の前で、西のシルビナでひと晩馬を休ませるか、このまま北へ向かって砂丘を抜けるかどうか、考えあぐねていた。
(俺はいいんだよ。楽させてもらってるから)
高地の下り坂を休むこと無く下りきったセルテウスは、荒かった息を徐々に整えつつある。
ぶるる、と鼻を鳴らし、馬上のギリーに向かって合図はまだか、と云わんばかりに首を左右に振っている。
「お前、まだいけるのか」
ギリーは驚いて、馬のたてがみをそっと撫でた。
(ぶるるっ)
セルテウスは数歩前に進み、蹄を鳴らすように砂を踏みしめた。
「そうか。じゃあオールデル名物のよく冷えた水をご馳走しようじゃないか」
ギリーは手綱を使い、わかれ道を北へ針路をとった。
「ハッ!」
ギリーの掛け声に応じるように、セルテウスは元気よく北に向かう街道へ駆け出した。
街道とはいえ砂地が多いのに、セルテウスの脚はしっかりと踏ん張って砂を蹴って進む。
(タフだな、お前)
軽快に上下する鞍の上で、ギリーは素直に感心した。
(いい馬だ。潰さないでくれ、というだけある)
「もう少しだ。日が落ちきるまでに平原まで行っちまおう!」
ギリーは鐙に力を入れ、鞍から腰を浮かせた。
セルテウスはリズミカルに胴を上下させ、さらに速度を上げると、あっという間に砂丘を抜け、その先のラフェイヌ平原へ続く林の中へ入っていった。
* * *
ラフェイヌ平原。
段差のある平坦で広大な平原の中に、かなり深い断崖となった窪地が点々とある難所でもある。
暗い夜道の中を無作為に進むと、突然現れる断崖に足を踏み外し落下⋯となる。
道さえ間違わなければ、裂け目の奥に向かうなだらかな坂道があり、下っていった先には天然の鍾乳洞が静かに口を開けている。
内部には清廉で冷たい地下水を湛えており、旅人の疲れを静かに癒してくれる。
(よくがんばってくれた)
ギリーは息が荒くなったセルテウスを労い、鞍から降りた。
宵闇の中、目を凝らしながらゆっくりと手綱を引いて前へ進む。
(たしかこのあたり⋯)
雲に遮られていた月がゆっくりと顔を出すと、切り立った崖の間を下っていく坂道が照らし出された。
ギリーはフフッと安堵のため息を漏らしながら、セルテウスを引いてゆっくりと坂道を降りた。
風の音ひとつしない、月明かりだけの坂道を下り切ると、断崖の一番奥にぼうっと光る洞窟の入口が見えた。
「さあもう少しだ。よく頑張ってくれたな」
(ぶるるっ)
会話が成立しているかはわからないが、ギリーとセルテウスはゆっくりと鍾乳洞の中へと進んでいった。
洞窟はひんやりとした空気が漂い、岩肌に張り付く光苔が内部を明るく照らしている。
入ってすぐの大きな窪みに、信じられないほど澄み切った水が鏡のように湛えられていた。
ギリーは窪みの前で片膝をついてしゃがみ込み、水面に手を差し入れた。
「冷やっ!」
あまりの冷たさにすぐに手を引っ込める。
しかし、セルテウスは水面に鼻を近付けた後、我慢しきれなかったように鼻先を突っ込んで喉を潤し始めた。
「お前、冷たくないのかよ」
ギリーは苦笑いしながら、腰の水袋を外して飲み口を外し、水の中に沈めた。
コポコポと小さな空気が水袋からこぼれ、冷たい水が満たされていく。
ギリーも我慢できなくなり、水袋はそのままに、両手で掬い上げて、喉を潤した。
冷たい水が、喉を抜けて食道を通り、胃の中へ収まっていくのがわかる。
火照った身体が急速に冷えていく感覚に、思わず「お゛ぉぉぉぉ⋯」と声が漏れた。
静かだった鍾乳洞の中で声が反響し、洞窟の奥から怪物の唸り声のように様変わりしながら響き渡った。
(ドラゴンのため息だな。知らんけど)
苦笑いを浮かべるギリーの顔を、セルテウスの鼻先がなぞった。
「なんだよ」
(ぶるっ)
セルテウスは鼻を軽く震わせた後、身を翻して洞窟の外へと勝手に歩きだした。
(腹が減ったんだな。大方谷底に生えてる草でも食みに行くんだろう)
「あんまり遠くへ行くなよ」
セルテウスはギリーの言葉に頭を上下に振って応え、外の闇へ消えていった。
(⋯賢い馬だな)
ギリーは外へ向かうセルテウスの蹄の音を聞きながら、背負っていた背嚢を下ろしてしゃがみこんだ。
そして、洞窟の岩肌へ背中を預けて背嚢を抱きかかえ、両脚を前に放り出して虚空を見つめた。
(腹が減ったが⋯干物しか無いな。薪もないし、俺はサングリアまでお預けだな)
ギリーは静かに目を瞑った。
* * *
(ぶるるんっ)
ギリーの頬を、セルテウスが鼻先で小突いた。
(おいギリー、さっさと起きねえと後ろ脚で蹴り上げるぞ!)
「はぁっ!」
微睡みの中で、ギリーはふいに、セルテウスがかつての上官となって自分を叩き起こす夢を垣間見た。
顔を起こすと、セルテウスの鼻先が目の前にあった。
(ああ、どのくらい寝てたんだ)
ギリーはセルテウスの馬体の向こうで、外の暗闇が徐々に白み始めていることに気付いた。
「おはよう、上官どの」
ギリーは身体を起こし、背嚢を背負い直すと、目の前の窪みへ四つん這いで這っていった。
そのまま冷たい水面へ両手を伸ばし、バシャバシャと顔を洗った。
冷たい水で、一気に目が醒める。
再び両手で水を掬い、口に含んでうがいをし、口を濯いだ。
セルテウスは、ギリーの隣で静かに鼻先を沈め、喉を潤す。
(よし、行くか)
ギリーは立ち上がってセルテウスの手綱をとると、洞窟の外へ向かって歩き出した。
遠くで鳥の囀る声が聞こえてきた。
洞窟を出て空を見上げると、徐々に青空へと変化しはじめている。
ふたりは坂道を上り、朝日に照らされた平原へと戻った。
ギリーはセルテウスの鼻先、首筋をやさしく撫でた。
「よろしく頼むよ、上官どの」
(ぶるるっ)
ギリーは鞍に手をかけ、鐙に足をかけてセルテウスに跨った。
手綱に、セルテウスの気力が伝わってくる。
ギリーが軽く手綱を振るうと、セルテウスはその合図を待っていたかのようにゆっくりと前へ進み始め、徐々に速度を上げて駆け出した。
ギリーは思わず、愉しげに口元を綻ばせた。




