第03話 バストリアへ
——翌朝。
洞窟の外では雨は止み、深い霧に覆われていた。
ギリーは洞窟の外へ出て、空を見上げた。
深い霧の向こうに、微かに青空が見える。
(よし)
ギリーは手早く荷物を背嚢へしまい込み、背中に担いだ。
昨日濡れそぼった外套を強引に絞り、背中の背嚢に覆いかぶせた。
手元の荷物を確認する。
ナイフ、手帳、路銀の詰まった革袋、ロープに水袋。
最後に、片足ずつブーツをドンドン!と地面に踏みつけて、感触を確かめる。
(大丈夫だ。いける)
霧はまだ辺りを白く覆い、視界を遮っていたが、付近の枯れ木を集めるには問題なかった。
ただ、昨日の雨ですっかり湿っていたので、洞窟の入口に立てかけておいた。
こうしていれば、乾いて誰かの薪として使えるかもしれない。
昨夜の薪を残してくれた誰かへの返礼としては、これで十分だろう。
ギリーは洞窟を出て、街道へ向かった。
道なき草原を進む中、白い霧の向こうで、大山羊の家族の群れがギリーの前を横切っていくのが見えた。
ギリーは身を屈め、息を殺し、群れが遠のくまで気配を消した。
大山羊の雄がギリーの気配を感じ取り、立ち止まったが、群れが無事に通り過ぎていくのを見守った後、ゆっくりと去って行った。
(お互い平穏がいちばんだよな)
ギリーは大山羊の雄の後ろ姿を見送った後、ゆっくりと立ち上がって街道を目指した。
雨に濡れた草は柔らかく、白い霧はひんやりとほほを湿らせる。
やがて、緑の大地の先に、踏み鳴らされた土の大地が見えた。
無事に街道に戻れたようだ。
日が昇るにつれて、白い霧もゆっくりと晴れていく。
ブーツの底に土の感触を感じながら、まがりくねった街道を上へ上へと歩を進めた。
やがて、坂道は急に終わりを告げ、目の前には白い岩壁に囲まれた平坦な道が続いていた。
コンスタンツ高地を登り切った。
街道の端に、壊れかけた道標が佇んでいる。
指し示す進路には、消えかかった文字で「バストリア」と書かれている。
ギリーは振り向いて眼下に広がる高地を見下ろした。
白い岩山に囲まれた緑の大地に、白い岩塊が点々と顔を覗かせる美しい急斜面が広がっている。
その中をまがりくねった街道が右に左にと縫うように下まで続き、そのはるか向こうの林の先に、白い砂丘がうっすらと見えた。
(はぁ・・・)
ギリーはひとつ、大きなため息をついた。
(雨さえ降らなければ、今日の昼には着いたはずなんだがな)
ギリーは穏やかな高地に背を向け、再び歩き始めた。
白い岩肌の山あいを抜け、剥き出しの大地と岩が広がるなだらかな丘陵を南へ向かって歩き続けた。
なにもない、見通しだけはいい大地を、ただひとりギリーは歩いている。
そういえば、シルビナの砂丘を過ぎてから一度も荷馬車や旅人の姿を見かけていない。
その理由と思しきものをギリーは見つけた。
街道の途中で、破壊された馬車の残骸を見つけた。
斃れた馬の亡骸と、御者らしき男、それに若い女性の亡骸があった。
身ぐるみを剥がされ、盗賊に襲われたことは明らかだった。
襲われてもうかなりの時間が経っているようで、腐敗がかなり進んでいた。
ギリーは身元のわかるものを探してみたが、何一つ見つからなかった。
仕方なく、遺体の風貌をメモに書きこんだ。
男性:おそらく御者、黒髪。中肉中背。30代くらい
女性:赤毛。20代くらい。
馬車:羽ばたく鳥の紋章あり。
・・・鳥の紋章?
ギリーは馬車の扉に描かれた紋章をじっと見つめた。
(あの荷物の木箱の封蝋の紋章の鳥に似ているが、しかし・・・)
ギリーは馬車の紋章を手帳に書き写し、打ち捨てられた亡骸に跪いて祈りを捧げ、足早に立ち去った。
(盗賊が出るなんて話、聞いてないぞ)
ギリーは周囲を細かく見定めながら、街道を足早に進む。
(こんな見通しのいい場所で盗賊?)
旅人や荷馬車の往来が無いのも、盗賊を警戒してのことだろうか。
(少々危ないが、『あのルート』を使うか)
ギリーは南東に進む街道を外れて、真南へ向かった。
その先には、間欠泉が湧く「枯れ谷」と呼ばれる荒れ地があった。
とても馬が入れる場所ではなく、人ひとりがやっと通れる険しい道。
ときおり大地から温泉が湧き出ていることもあり、旅人たちの間では「隠し湯」としても知られている。
ギリーは岩場の間を縫うように、「枯れ谷」の中へ入った。
谷底には何もない。だが大地は熱く、時折激しい勢いで熱せられた蒸気が噴き出す。
まともに浴びれば、火傷では済まない。
その代わり、無事に谷を抜けられれば、バストリア南部の鉱山区へ抜けられる。
ルートさえ間違えなければ、南側の出口へすぐにたどり着けるはず。
細い岩棚の間を抜け、段差を降りたり登ったりしながら、ギリーは慎重に足元を確かめていく。
すると、子供たちが楽しげに騒ぐ声が聞こえてきた。
狭い通路を奥へ進んで行くと、開けた場所に出た。
子供たちが、大きな湯だまりの中でお湯をかけあって遊んでいた。
「おい、これって」
子供のひとりが、ギリーに気付いた。
「おじちゃん、だれ?」
「え?旅の者だけど・・・ここは?」
「ボクらの秘密の遊び場だよ」
子供たちは珍しそうにギリーの姿をじっと見つめている。
「バストリアは近いのかい?」
「うん!鉱山の中を通るけど、街の中につながってるよ!」
「そうか、そりゃあ・・・良かった」
ギリーは緊張の糸が解けたように、その場に座り込んだ。
「おじちゃん、お疲れ?」
小さな少女が、座り込んだギリーに近寄ってきた。
「ああ、疲れたよ。ずっと歩いてきたしね」
「こっちの湯だまり、あったかいよ」
少女はギリーの手を掴んで引っ張った。
ギリーはゆっくりと立ち上がって、引っ張られるままに奥の湯だまりまで連れていかれた。
「おくつ、ぬいで」
少女は裸足のまま湯だまりの端に腰掛け、その足を湯の中に浸した。
「こうすると疲れがとれるんだって、おじちゃん」
(足湯か・・・ありがたい)
ギリーは屈んでブーツの紐をゆるめ、脱いで両足を湯だまりに突っ込むと、そのまま端の岩場に座り込んだ。
(きもちいい・・・)
「あ゛ぁぁぁぁぁ・・・」
旅の疲れ。解けた緊張。足元から広がっていく暖かさ。
思わず大きなため息が漏れた。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
少女はギリーの真似をして、大きく笑い転げた。




