第02話 高地越え
シルビナの城門を抜けると、両脇に小高く切り立った崖に囲まれた街道に出る。
崖の上には、弓を背負った守衛の兵士が点々と配置され、街道に沿って行き交う人々や荷馬車を見下ろしている。
ギリーは干物の串焼きの最後のひとかけらを口にした後、城門の前から彼らを見上げた。
(ここの衛兵はお気楽でいいな)
身の程を知らない冒険者が砂丘の野生動物にちょっかいを出して逃げ込んでこない限り、彼らはただ見下ろしていればいい。
海洋交易の要所でありながら、シルビナは戦争とは縁遠い。
北のサングリアと南のバストリア。そのどちらにも属さない中立の土地だった。
ギリーが口の中のものを喉の奥へと押しやったとき、目の前の街道からひとりの若い男が慌てた様子で駆け込んで来るのが見えた。
背後には、大きな砂トカゲ。
(・・・いわんこっちゃない)
ギリーは残った串を咥えなおし、腰を屈めて後ろ手に背中の背嚢へ手を伸ばす。
ハチェットの柄の感触を右手で確かめ、指先で留め金を外した。
「助けて・・・」
息も絶え絶えに、若い男は小さく呻き、足をもつれさせてギリーの目の前で倒れ込んだ。
「構え!」
「射て!!」
崖の上から、一斉に砂トカゲに向かって矢が放たれる。
いくつかの矢が、砂トカゲの胴に突き立つが、その勢いを殺すには至らない。
ギリーは腰を落とし、ハチェットを引き抜いて構えた。
が、間合いに入る寸前に放たれた矢が砂トカゲの頭部を射貫き、転がるように絶命した。
「大丈夫か」
「は、はい・・・」
ギリーはハチェットを背嚢に戻し、留め金を掛け直した。
(お気楽でもないか)
広大な砂丘は踏み固められた交易路を除くとたいそう足場が悪い。
1歩進むごとに砂に足をとられ、走ることもままならない。
そんな土地だ。
どうせこの若い男も近道をしようと交易路を外れたのだろう。
ギリーは男の無事を見届けたあと、再び砂丘へ続く街道を歩み始めた。
両脇の崖が開けて、目の前に白く広大な砂丘が広がる。
はるか遠くに広がる林が陽炎にゆらぐ。
開けていく崖に沿って、獣避けの背の低い柵が扇状に延び、街道を護っている。
ギリーは街道を東へ進む。
右手には美しい浜辺が広がっているが、海水浴を楽しむような者はいない。
波打ち際で、大きな鋏を持つ甲殻類が数匹、のんびりと這っている。
(喰ったら美味いらしいが・・・)
ギリーは街道を外れないよう、海岸沿いを東へと歩き続けた。
海岸を吹き抜ける風は心地良いが、燦燦と照りつける太陽に潮を含んだ風が喉の渇きを呼び寄せる。
腰の水袋を取り出し、ひと口だけ含む。
乾いた砂が、ブーツの隙間から靴の中に入り込み、ざらりとした不快感が襲う。
それでもなお、東の街道の先に見える、林へ向かって歩き続ける。
大きな荷馬車が、ギリーを追い抜いていき、少し先の道標の先を曲がって北へと向かっていった。
荷馬車はサングリア方面へ向かっていく。
(残念だ。同じ方向なら乗せてもらえたのだが)
ギリーは肩に食い込む背嚢を背負い直し、黙々と東へと歩き続けた。
海岸線を離れた頃から、低木や小さな雑草が目立つようになり、白い砂だった地面も硬い土へと変わっていく。
遠くで低い汽笛が鳴り響き、ギリーは立ち止まって音が聞こえた方へ振り向いた。
シルビナを囲む稜線の向こうで、大型船が水平線に向かって出航していくのが見えた。
(あいつに乗って大陸の反対側まで行くのも悪くないな)
水平線の向こうへ消えていく汽船を見送り、ギリーは砂丘をあとにした。
* * *
低い雑木林に囲まれた街道を抜けると、目の前に青々とした急斜面が姿を現した。
所々白い岩が突き出し、街道は曲がりくねりながら上へ上へと続いている。
見上げると、薄暗い雲が緑色の大地を色濃く染め始めている。
(ひと雨来そうだな)
街道を包む空気も、少し湿ってきている。
ギリーはやわらかくなった地面を踏みしめ、斜面を登り始めた。
コンスタンツ高地。
かつて海底だったといわれるこの一帯には、良質な鉱石を産する鉱山が点在している。
そのほとんどが、南のバストリアへ鉱石を送り出していた。
今は、閑散とした緑の大地に白い剥き出しの岩が点在する静かな場所。
この場所の主は、野生の大山羊の家族の群れだけ。
彼らは、不意に近づかなければ、ただ穏やかに草を食むだけだ。
ギリーは大山羊の家族を遠巻きに眺めながら、街道に沿って急斜面を登っていく。
踏み固められた土色の街道の傍で、白い花を咲かせる草花たちが風に揺れる。
風に煽られた草原が、さざ波のように幾重にも揺れる。
(坂道続きじゃなければ、よかったんだがな)
ギリーは風が通り抜ける音を聞きながら、まがりくねった街道を進む。
ふと、頬に冷たいものがぽつぽつと降りかかって来た。
(降ってきやがったか)
ぽつ、ぽつという音は徐々にその間隔を狭めていき、やがてまとまった雨音に変わった。
ギリーは周囲を見渡す。
(たしか、近くに廃坑跡の洞穴があったはず)
岩肌が露出する山肌に目を凝らす。
右手の街道を外れた先に、奥へと続く岩場を見つけた。
雨はどんどん強くなり、草原を湿らせていく。
街道を外れ、草原のど真ん中を岩場に向かって走るギリーの足には、湿った柔らかい感触が伝わってくる。
はっはっ・・・
雨音の中で、ギリーの呼吸だけが響く。
岩場の先に、ぬかるんだ大地の小路が続き、その先の剥き出しの岩肌の中に、ぽっかりと暗闇が口を開けていた。
(あったあった)
ギリーは足を速める。
背中の背嚢の中で、コッヘルが何かに当たってカチャカチャと音を立てる。
強まる雨の中をギリーは走り続け、ついに小さな洞穴の中へ辿り着いた。
はぁ、はぁ・・・
ギリーは膝に手をついて屈みこみ、息を整えた。
外はみるみる暗くなり、雨足はどんどん強くなり、遠くで雷鳴が轟きはじめた。
(こりゃだめだな)
ギリーは外の様子を見たあと、洞穴の奥へと目を向けた。
記憶が正しければ、掘りかけの短い洞穴で、動物の巣穴にすらなっていないはず。
背嚢からハチェットを取り出し、右手に携えながら奥へ進んだ。
わずか10数歩で、奥に辿り着いた。
足元には、使いかけの薪の束が小さな木箱に収められていた。
(ありがたい)
傍らには、石を積み上げただけの小さなかまどもあった。
誰かがここで野営したのだろう。
なんにせよ助かった。
ギリーは濡れた外套を脱ぎ捨て、背嚢を地面に下ろした。
中から火打石を取り出し、ポケットに突っ込んだ。
ギリーはハチェットで器用に薪の端を薄く削ぎ、切り落とさずに残した薄片を、まるで花が開くように幾重にも広げた。
火打石で乾いた火口に火を移して薄片へ近づけると、やがて小さな炎が薪を舐め始めた。
(よしよし)
木箱の中から燃えやすそうな枝をいくつか選んで、かまどに火をくべた。
パチパチと炎が爆ぜ、少しずつ炎は大きくなっていく。
(今日はここで一泊だな)
外は大雨になり、暫くは動けそうにない。
ギリーは諦めて背嚢からコッヘルと女主人から預かった包みを取り出した。
包みを開くと、大きな魚の身を開いた干物が数枚入っていた。
しっかりと塩で下処理されており、生臭さはなかった。
ギリーはシルビナから持ってきた串の先端をナイフで削り、尖らせた先端を干物に突き刺した。
コッヘルに水を満たし、かまどに掛けて湯をわかしながら、干物を炎で炙り始めた。
洞穴の外では雨音が響き、内ではかまどの薪がぱちぱちと爆ぜる。やがて、干物の焼ける香ばしい匂いが漂い始めた。
コッヘルの湯が沸き立ったのを見て、ギリーはコッヘルをかまどから降ろして湯を冷ました。
炙られた干物から、ふつふつと脂がしたたり落ち始めた。
焦がさないように、くるくると両面を火で炙り、頃合いを見計らって、ギリーは干物にかぶりついた。
(旨いな・・・)
これはたしかにごちそうだ。
干物の皮は炙られて香ばしく、魚肉は熱せられてふっくらとしている。
皮と身の間から溶け出す脂には、魚の旨味が凝縮されている。
歩き通しの身体には、少し強い塩気が心地よかった。
満腹にはならないが、活力を取り戻すには十分だった。
温かい湯で暖をとりながら、ギリーは地面に座り込んで黙々と食事を愉しんだ。
夜が明けるまでは、身体を休めよう。
雨音を聞きながら、ギリーは食後の余韻のひとときを静かに過ごすことにした。




