第9話:一人だと風邪でもやばい
シェルターから出て三ヶ月ほど経っただろうか。
これまで病気らしい病気などしたこともなかったのに、
ここにきて風邪を引いてしまったらしい。
思えば、シェルターで暮らしていた頃は精神的には辛かったが、
肉体的にはアイによって健康を維持できていた。
それが外に出てからは好き勝手に動き回るようになり、
知らないうちに疲労が蓄積していたのだろう、とアイは分析していた。
確かに、清潔で暑くも寒くもないシェルターの環境に慣れた体には、
電気も十分に使えない不衛生な外の環境は過酷だった。
それに加えて、充電拠点の開発という重労働まで続いた。
俺の体にもとうとう限界が来たということだ。
思い返してみれば、もっと早く倒れていてもおかしくなかった。
プロジェクト繁忙期には倒れるわけにはいかないという社畜根性が、ここまで持たせていたのだろう。
「山田さん、動けなくなる前にシェルターに戻りましょう」
「……そうだな。悪化する前に戻るか」
せっかく作った充電拠点が心配だったが、このまま動けなくなっては本末転倒だ。
俺は必要最低限のものだけリュックにつめ自転車にまたがった。
(具合がよくなったら取りに戻ろう)
動けなくなる前にシェルターに戻る。
ただそれだけを考えてペダルをこいだ。
※※※※※
具合が悪い中の長距離移動は最悪だった。
途中何度も休みながら、数日かけてシェルターに帰って来た。
埃っぽく湿ったホテルで夜をやり過ごしながら思っていた。
整備されていない高級宿泊施設よりも安心できる場所はここだけだと。
疲れ切った俺はベッドに倒れ込むとそのまま寝てしまった。
「山田さん、しっかりしてください。
汗をかいた服は脱いで着替えないと体調が悪化しますよ」
アイが何か言っているのは聞こえたが、何も考えたくなかった。
瞼が重くて開けていられない。
目を閉じ眠気と戦っていると濡れたわずかに温かいおしぼりが顔に当たった。
行きつけの居酒屋で嗅いだ懐かしい匂いがした。
朦朧とする意識の中、半ば習慣化している動きで顔や首元をおしぼりでぬぐった。
ぬぐい終えたおしぼりを適当に放り投げる。
すぐにドローンのモーター音が聞こえた。
たぶん回収しに行ったのだろう。
(ドローンにアームを追加しておいてよかった)
「ありがと、アイ」
俺はそのまま寝落ちした。
※※※※※
トントントン
包丁がまな板を叩く音が聞こえた。
ジューッ
何かを焼く音と香ばしい香りが漂ってくる。
まるで誰かが朝食を作っているようだった。
快適なベッドでぐっすり眠ったおかげで頭痛は収まり、熱も引いていた。
まだ少し寝ていたい気持ちに逆らえずベッドの上でグネグネしているとドローンが静かに飛んできた。
枕元のサイドテーブルにお椀を降ろす。
お椀の中身はおかゆに刻んだねぎを散らしたものだった。
「おはようございます。山田さん、具合はいかがですか?食事はとれそうですか?」
「おはよう、アイ。腹ペコだ、いただくよ」
俺はお椀を手に取りおかゆをかき込む。
薄めの塩味に薬味のネギが効いていてうまかった。
妙に食べやすくてあっという間に完食してしまった。
「ごちそうさま。美味かったよ」
「その様子ならもう大丈夫そうですね。念のためサプリで栄養を補ってください」
そういって色とりどりのサプリが載った皿と水の入ったコップを置いた。
なんだかおかゆより腹にたまりそうだった。
「こんなに飲むのか?多すぎじゃ……」
「適量です。
ここのところ食事の内容が偏り気味でしたから。
しばらく節制しましょう」
言われてみれば肉体労働が続いて汗をかくことが多かったので味の濃いものばかり食べていた。
食事のたびにサプリも摂るように言われてはいたが面倒で断っていたのだ。
それだけが原因とは思わないがアイからすれば今回の件は俺の自業自得だろう。
今回は大したことがなかった。
だが、もし高熱で数日動けなくなっていたら。
もし意識を失ったまま倒れていたら。
この世界には救急車も病院もない。
アイは助言こそしてくれるし、簡単な世話もしてくれる。
だが、意識を失った人間に薬を飲ませたり、医療行為を行ったりはできない。
一人で病気になるというのは思った以上に怖いことだった。
俺はラムネ菓子を口に入れるようにサプリをざらざらと口に含み水で流し込む。
まるで治験のバイトみたいだ。
新薬の実験台にされてるんじゃないだろうか。
「飲み終わったら食器をシンクに運んで洗ってください」
まるで付き合いの長い彼女みたいなことを言うアイに俺は苦笑した。
「なんだよ、俺にやらせるのか。病み上がりだぞ、こっちは」
冗談交じりにクレームのような文句を言ってみた。
「……食事の後は少し体を動かしたほうがいいです。
激しい運動はお勧めできませんから食器を洗うぐらいがちょうどいいと思われます」
合理的なのか何なのかわからないが妙に説得力のある言い分に納得させられた俺はお椀を運んで洗うことにした。
ついでに包丁やまな板も洗うとするか。
しかし、シンクには鍋も包丁もなく、まな板も濡れていなかった。
いったいどうやって調理したんだ?
「なあ、あのおかゆはどうやって作ったんだ。
まさかそのアームで全部やったわけじゃないだろ?」
「白米の缶詰に水を適量注ぎ、乾燥ネギを散らしお椀に盛り付けただけです」
「なるほど……それなら確かに鍋も包丁もいらないか。
あれ?でも、包丁の音とかフライパンで何かを焼くような音がしてたけど」
「……それはこういう音ですか?」
トントントン
ジューッ
包丁がまな板を叩く音と何かを焼く音が聞こえてきた。
香ばしい香りまで漂ってくる。
しかし、キッチンにはその発生源が見当たらない。
「そう、これだよ、これ。ってなんだこれ?環境音?」
「そうです。体調不良の人が目覚めたときに効きたい音ランキング一位の環境音です。
より臨場感を増すため野菜炒めのルームフレグランスを散布しています」
「なんなんだそのランキングは……。
それに野菜炒めのルームフレグランスなんていつ使うんだよ」
「……お気に召しませんでしたか?」
「いや、そんなことはない。確かになんか癒されたし、ちょっと嬉しかった」
「それは何よりです」
わけのわからない環境音にルームフレグランスだが、今朝の状況には確かにぴったりだった。
「こういうのも手作り料理というのかな?」
食器を洗いながら俺はつぶやいた。
今までは食事に関しては自分でやってきていたので、アイに世話になったのは今回が初めてだった。
自分で選んだものを自分で温めて食べる。
おかゆ自体も閉じ込められていた時に何度か同じレシピで作ったことはある。
だが、それをアイが覚えていて再現してくれたのが何となくうれしかった。
昔付き合った彼女は総菜を買ってきて皿に移し替えてチンしただけで手料理と言い張っていた。
俺が指摘したら険悪になって別れるきっかけになったんだ。
あれに比べたらこれはもう手料理みたいなものだろう。
少なくとも俺にはそう思えた。
「これは手料理ではありません。
せいぜい手料理風の料理です」
俺の独り言にアイが突っ込みを入れる。
「……これは手料理だよ。
お前がおかゆにしてお椀によそってくれたんだから、十分手料理だ」
昔の俺が聞いたらどう思うかな。
でも、これが今の俺の本音だった。
「承知いたしました。
以後、食器に移し替えただけの料理を手料理と呼称します」
「ああ、そうしてくれ」
自分でもAIに感情移入しすぎだとは思う。
他人から見れば、さぞ痛くて気持ち悪いおっさんだろう。
だが、どこにも存在しない他人のことを気にして自分の気持ちを取り繕う方が気持ち悪い。
少なくとも今はそう思えた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白かったら、ブックマークや評価をいただけると、執筆の励みになります。




