第68話:選択肢は俺の手の中
正直、養鶏場で見た凄惨な光景にはだいぶ精神を削られた。
今までは考えないようにしていた、生々しい現実を直視させられ、
いろんなことを想像してしまった。
消えた人たちはどうなったのか。
残った生きものはどうなったのか。
俺はこの先どうなるのか。
そんな考えがぐるぐる回っていた。
だが、トンビにサンドイッチを奪われるという、
漫画のようなハプニングがあったおかげで少し気が紛れた。
死んでしまったものもいるが生きてるものもいる。
全てが終わってしまったわけではない。
そう思えた。
「少し顔色がよくなりましたね」
「ああ、ずっとへこんでてもしょうがないからな。
鶏たちはかわいそうだったとは思うが、俺に何かできたわけでもないし」
「それでいいと思いますよ。
山田さんが何かしたわけでもありませんしね。
飼育動物は人間社会を前提に生きていますから、
人間が消えれば、こうなるのは避けられません」
「……そういうもんかな」
「そういうものです。
山田さんが責任を感じる話ではありません」
どちらかというと人災のような気がしたが、反論する気にはなれなかった。
アイが俺を励まそうとしているような気がしたからだ。
これ以上、この話題を続けてもいいことはない気がした。
「それじゃ、次に行きますか。
次は動物と触れ合えるのを売りにしてる牧場です。
そこなら生き残りがいるかもしれません」
午後からは気を取り直して観光牧場に行くことにした。
住宅街の近くにあった観光牧場は、養鶏場とは違ってどこかのどかな雰囲気を残していた。
畜産施設というよりはその名の通り観光地という感じだ。
広さも養鶏場ほどではなく、グラウンド一つ分ほどだろうか。
割とこじんまりしている。
正直、有名な動物園や水族館を想像して来ると肩透かしを食らうだろう。
もっとも俺が期待しているのはそういう立派な箱モノではなく、
少し手作り感があるこういう施設なので期待通りではある。
「ここは鶏だけを飼ってたわけじゃないんだな」
「ええ、いろんな動物がいたみたいですよ。
牧場という名称ですが、小さな動物園みたいなものです」
「なるほど……こうしてみると、何が消えて何が残ってるのか見えてくるな。
鳥と魚は残ってるっぽいけど、他は消えてるか……」
「今のところはそう見えますね。
哺乳類だけでなく、爬虫類や両生類も確認できていません」
「動物園を調べれば、もう少し細かくわかるかもな」
「そうですね。
……調べますか?」
「いや、いいよ。
また必要になった時で。
今は鶏を探そう」
「承知しました。
じゃあ、行きます。
こっちです」
「え、もう見つけたのか?」
「はい、上空から見ればすぐわかりました」
アイに案内されて奥の方にあった広場のような場所に行くとそこにはのんきに虫をついばむ鶏たちがいた。
十、二十……もっとか。
思っていたよりたくさんいた。
「こんなに生き残ってたんだな。
自力で」
「養鶏場とは環境が違いましたからね」
「それにしたって餌をもらえなきゃ大変だっただろうに」
「それはそうですね。
餌も水も十分とは言えなかったでしょう。
それでも生き残っていたのだから大したものです」
「……そうだな」
運動場を走り回る鶏たちを見た。
餌も水も十分にはなかっただろう。
それでも五年生き延びて、ここまで増えたのだ。
苦労して生き残ってきたんだろうな。
俺には無理だ。
走り回ってるこいつらを見てしまったら、殺せるわけがない。
理屈じゃない。
スーパーでパックになってる肉は食える。
でも目の前で殺せと言われたら俺にはできん。
「せっかく生き残ってた鶏を食べていいものか、なんて悩んでたりしますか、山田さん」
「まあな。だってそうだろ。
こいつらは養鶏場の鶏たちと違ってまだ生きてる。
それを殺すのは……ちょっとな」
養鶏場で死んだ連中のことを考えると、なんだかな。
ようやく生き残った奴らまで俺が食うのかと思うと気が進まない。
「それなら無理に食べる必要はないのでは?
食べ物は他にもありますし、山田さんが大量に釣った鯛もまだ山ほどあります」
痛いところを突かれた気がして、少しだけ居心地が悪くなった。
もちろんアイにそんな意図はない。
わかっている。
それでも妙に胸がちくりとした。
そうだな。
そうだよ。
魚はいいのに鶏は駄目ってのはおかしい。
理屈が通らない。
だからこれは感情だ。
俺の心が拒否してしまっている。
「そうだな……食べなきゃいいだけだよな」
殺すのが嫌なら食べなければいい。
簡単な話だ。
必要に迫られているわけでもない。
誰かに強制されているわけでもない。
「山田さんの好きにしていいんですよ。
殺すのが嫌なら殺さなければいいし。
オムライスが食べたければ食べればいい。
ただ、食べたいけど殺したくない、というのは無理です。
山田さんが手を汚す必要はありません。
ですが、どうするかは決めてください」
……どうしよう。
正直こういうのは苦手だ。
こんな世界で自由になって分かったことの一つは、強制される方が楽な場合もあるということだ。
強制されれば反発することも文句を言いながら従うこともできる。
強制してくる相手を理由に決められるのだ。
だが、ここには何かを押し付けてくる誰かはいない。
いるとしたら、それは俺自身だ。
アイはただ、どうしたいのか、どうするのかを決めてくれと言っているだけだ。
選択肢は俺の手の中にある。
それでも俺には、この鶏たちを殺すという選択はできそうもなかった。
「やめとくよ。
卵だけもらおう。
走り回ってるこいつらを見たら殺して食べるのは俺には無理だ」
「承知しました。
それなら卵だけ回収してキャンピングカーに運ぶようにしましょう。
今まで人の世話なしで五年も生きてきたなら、今さら私たちが世話をする必要もなさそうです」
鶏たちの運動場を歩いて回って卵を回収した。
割れているものも多かったが、食べられそうなものだけでも十個ほど確保できた。
産みたてかどうかはわからないが、パック詰めされていない卵を触るのは初めてだった。
手のひらに乗せると、妙に生々しい。
たった一個の卵なのに、なんとなく重く感じた。
俺はそれを落とさないように、慎重に運んだ。
卵を抱えながら運動場を振り返った。
鶏たちは何事もなかったように地面をつついている。
俺のことなど気にも留めていない。
鶏たちの無関心さに少し気が楽になった。
キッチンカーに持って行き、にゃんタンクに調理してもらう。
衛生面を考慮して、卵焼きにはしっかり火を通してもらった。
いつかは半熟のふわトロオムライスが食べたいものだ。
周囲に卵焼きの香りがふわりと広がる。
にゃんタンクから出来立てのオムライスを受け取り一気にかきこむ。
「ああ、うまいな。
この味、何年ぶりだろう……」
ごく普通の卵。
それなのに、妙に懐かしかった。
心なしか鶏たちの声が大きくなった気がした。
抗議しているのか、自分たちにも食わせろと言っているのか。
多分、後者だろう。
あとで餌を探して鶏たちにふるまってから帰るか。
せめてそのくらいはしていこう。
卵も分けてもらったことだしな。
「鶏肉抜きでもオムライスは最高だな」
鶏肉は入っていない。
ケチャップライスを薄焼き卵で包んだだけの簡易版だ。
それでも十分だった。
窓の外ではさっきまで騒いでいた鶏たちが何事もなかったように地面をつついていた。
匂いが収まれば、すぐに興味を失ったらしい。
現金なものだ。
鳥頭というのも案外本当なのかもしれない。
その姿を見ながら、俺は温かいオムライスを口に運んだ。
「喜んでいただけてなによりです。
唐揚げが食べたくなったら早めに教えてくださいね。
卵と違って、肉の加工は手間が段違いですから」
「……頼まないよ。
当分な」
先のことはわからない。
今日見た光景を忘れた頃に聞かれたら普通に食べたいと答えてしまうかもしれない。
でも今はそんな気になれなかった。
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