第61話:予想は的中するがうれしくない
無人の公園を俺はゆっくりと歩いていた。
砂利を踏みしめる自分の靴音だけが、妙によく響く。
見上げれば、頭上を覆う桜の隙間から、吸い込まれそうな青空がのぞいていた。
ひらひらと舞い落ちる花びらを、そっと手のひらで受け止める。
「桜はきれいなんだけどな……」
俺の呟きは、誰に届くこともない。
「そうですね。いい時期に来られましたね、山田さん」
……アイ以外には。
奈良公園。
言わずと知れた奈良の観光名所だ。
かつては観光客でごった返していたこの地も今は静寂に包まれていた。
人の気配はない。
この広い公園を歩いているのは俺だけだった。
手入れをするものがいなくなり、雑草の混じった芝生は伸び放題だ。
そんな中でも桜は変わらぬ美しさで咲き誇っている。
そして、そこには本来いるはずのものがいなかった。
「やはり鹿もいないのか……」
人類消失から五年。
各地を巡る中、ただの一度も動物の姿を見たことはなかった。
それこそ猫一匹、ネズミ一匹もだ。
薄々そんな気はしていたが、ここまで来ると認めるしかない。
「今さらではありませんか?
これまで一度も動物を見かけていないのですから」
「そうだな。いまさらだ。
でもここは鹿で有名だからな。
その辺で野良猫を見かけないのとはわけが違う」
人がいないことには慣れていた。
だが動物もいないとなると話は別だった。
桜は満開なのに、どこか景色が作り物めいて見えた。
「私に言わせてもらえば、十分な食料もない場所に
過剰な数の鹿が存在していたことの方が不自然だと思いますよ」
「……お前、それを奈良県民の皆さんが聞いたら戦争だぞ。
長年守ってきた文化を何だと思ってるんだ」
「その鹿も人類の消失と共に消えてしまったというのは皮肉なものですね」
「……そうだな。本当に残念だ」
「でも山田さんとしては助かったのではないですか?
動物が健在だったら今ほど快適な旅にはなっていないと思いますよ」
「どういうことだ?」
「まず間違いなく、ネズミや野生化した犬や猫によって、食料を荒らされていたでしょうね。
仙台で作っている米も今ほど順調にはいかないでしょう。
それどころか車で寝ているところを野犬の群れに襲われてたかもしれません」
「おい、怖いこと言って脅かすなよ」
「冗談ではありませんよ。
十分にありえた話です。
消えたのが人類だけじゃなかったと喜ぶべきところですよ。山田さん」
「……それでも俺は鹿が見たかったよ」
アイの指摘はもっともだ。
俺がここまで危険らしい危険に遭わずに来れたのは、とにかく誰もいないからだ。
人も獣も、俺を害するものは存在しない。
虫はいるが、虫よけスプレーで対処できる程度だ。
少なくとも、命の危険を感じるようなものじゃない。
そう考えれば、不幸中の幸いなのだろう。
それでも、素直には喜べなかった。
たとえ危険が増えたとしても――
鹿くらいは、いてほしかった。
俺はもう一度、誰もいない奈良公園を見回した。
桜は綺麗だった。
それでも、どこか物足りなかった。
「……行くか」
「どちらへ?」
「せっかく奈良まで来たんだ。鹿がいなくても、他のところくらい見て回ろう」
「承知しました」
いないものは仕方ない。
他の楽しみを探すとしよう。
※※※※※
奈良公園を出た後、奈良の有名な寺社をいくつか巡ることにした。
京都に負けず劣らず、奈良も坂道や階段が多い。
すっかり辟易していたところで、アイからものすごいサプライズがあった。
「なんだこれ!?
すごい、すごいぞ!
あはは、まるででかい犬に乗ってるみたいだ!」
俺がまたがっているのは、四本の脚を持つ奇妙な乗り物だった。
頭部はなく、尻尾もない。
それでも四本脚で駆ける姿は大型犬か狼を連想させた。
ゲームに出てくる動物型の機械モンスターみたいなメタリックな見た目だ。
四本の脚を器用に動かして階段を駆け上がっていく。
振り落とされないように必死にしがみついているが、アトラクションみたいで楽しい。
「どうですウルフェンの乗り心地は?」
「最高だよ!長い階段もしんどい坂道もこいつならばっちこいだ!
もう自転車には戻れないな」
「……そうですか。喜んでいただけたようで何よりです」
「いつの間にこんなの作ってたんだ?」
「以前、仙台でにゃんタンクが泥にはまってひどい目にあったでしょう?
あの頃からですよ。
……整地されていない場所でも走れるロボットというコンセプトだったんですが。
まあ、山田さんが楽しいなら問題ありません」
「そうか。まあ、なんでもいいや。
こいつは最高だ!」
数分で長い階段を上り切り、そのまま境内をのっしのっしと練り歩く。
まだ筋肉痛が治り切っていないので、歩かなくていいのは楽ちんだ。
厳粛な空気に包まれた神社を、近代的なデザインの乗り物で見て回る。
まるでフェイク動画のような光景だが、これは現実だ。
人類が消えた世界だからこそ実現した光景だと思うと、何とも皮肉な話だった。
「足の不自由な人とか、こいつがあったら大喜びだろうな。
歩かなくてもどこでも見て回れる。
細かい段差を移動できるのがいいよな」
「段差どころか、沼地でも砂地でも走れますよ。
重心の問題で、大きな荷物の運搬には向かないと思っていたんですが……。
荷物の方がしがみついてくれるなら問題ないようですね」
「俺を荷物扱いするな!」
口では怒って見せたものの俺の頬は緩みっぱなしだった。
鹿の件で少し気落ちしていたところに、このサプライズだ。
喜ばないほうがおかしい。
ウルフェンは最高だった。
だが、それ以上に嬉しかったのは、アイが俺のためにこれを用意してくれたことだった。
「ありがとな。アイ。
最高のサプライズだよ」
「いえいえ、喜んでいただけて何よりです」
「さて、それじゃ、降りるとするか」
「そうですね。そろそろ降りたほうがいいです。
ウルフェンの胸のランプが点滅してます」
「ん、どういう意味だ?俺は階段を降りようって言ったつもりなんだが」
「ああ、そうでしたか。
残念ですが、時間切れです。」
「なに?って、おわっ!」
今まで気分よくのっしのっしと歩いていたウルフェンが、突然、のろのろと足を折りたたんだ。
「ちょ、おい、どうなってるんだよ!?」
「充電切れです。
……一時間ちょっとというところですか。
まだまだ稼働時間が足りませんね」
「電池切れだって!?じゃあ、ここからどうするんだよ。
この階段を歩いて降りるのか?いやだぞ、俺は」
ずっとウルフェンにしがみついていたのでいつも使わない筋肉が痙攣している。
こんな状態で長い階段を降りるのはきつすぎる。
「できればウルフェンを担いで降りてほしいぐらいなんですが……だめですか?」
「駄目に決まってるだろ!殺す気か!」
「そうですか。ではあとで回収するしかありませんね。
ウルフェンはここに置いていきましょう。
性能はいいんですが、バッテリーが特殊なのがネックなんですよね」
「……階段はどうするんだよ?」
「歩いて降りればいいでしょう。
山田さんには自前の足があるじゃないですか」
「足がプルプルしてるのが見えないのか!」
「立派に動いてる証拠です。
私は足がないんで空中を失礼します」
アイはそう言うと、俺を置き去りにして無慈悲に階段を飛んで降りていった。
「くそう……散々喜ばせておいて、最後にこれかよ……」
長い階段を、一歩一歩、転ばないように降りていく。
行きはよいよい、帰りは恐い。
まさにその通りだった。
俺は足をぷるぷる震わせながら、アイの待つ車を目指した。
……やっぱり自転車の方がいいかもしれない。
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